第3話

 十二月十日午前七時――朝の冷たい空気の中、73式大型トラックが高速道路を走っている。幌で覆われた荷台には、江戸川駐屯地から派遣された普通科連隊の面々が二列で向かい合うように座っている。


「これから葬儀にでも参列するのか?」


 目的地が近づくにつれ、眉を八の字に垂らしていく部下たちを見兼ねた岳は、重い空気を切り裂くように口を開いた。

 唐突な言葉に、隊員たちは思わず顔を上げ、驚いたように岳を見つめた。


「顔が暗い。これから特別任務にあたる奴らのツラには見えないぞ」


 場の空気が張り詰める。いつの間にか、垂れていた眉も引き締まり、隊員たちの背筋は自然と伸びた。


「中隊長のおっしゃる通りだ。こういうときだからこそ、平常心を保て」


 平時には三十人ほどのを隊員を束ねる小銃小隊の小隊長、真藤しんどう千隼ちはや一尉が続けて言う。岳と対面するようにベンチに腰かけている真藤は、駐屯地を出発してから一度も表情を変えていない。自身にも他者にも厳格であり、一切手を抜かないのが、この男の長所であり短所であることを、直属の上司である岳が一番理解していた。次々期中隊長の候補として幹部陣の間では名が囁かれているが、少々感情が欠落しているところを、岳は懸念している。

 真藤の低音で芯の通った声に、ほとんどの隊員たちが縮こまる中、岳の隣に座っていた岡崎おかざき恭助きょうすけ一曹が肩をすくめながら言った。


「平常心って……そんなの無理に決まってるでしょ。任務内容も聞かされずに、どんな危険が待っているのかもわからないんですから」


 岡崎の皮肉めいた口調にも、真藤は表情を変えることなく、ただ冷たく鋭い視線を彼に向けた。


「どんな危険な場所でも、要請があればその場に赴く。未曾有の事態にも、動じることなく対処する。それが俺たち、自衛官の使命だ。――覚悟がないなら、降りるか?」


 真藤の言葉は厳しく、車内には緊張感が走った。誰もが、岡崎だけに言われていることではないと理解していた。しかし、岡崎は納得がいかなかったのか、言葉を続ける。


「……お二人は、ご存知なんでしょう? いまから自分たちが直面する事態を」


 岳と真藤は、その言葉を否定することは出来なかった。

 岡崎の言うように、幹部自衛官である岳と真藤は、今回の任務内容について説明を受けていたのだ。

 どうやら岡崎の言っていることは正しいらしい。

 そう判断したのか、先ほどまで居心地悪そうに顔を俯かせていた他の隊員たちは顔を上げ、説明を促すような視線を岳と真藤に投げかけた。さすがの真藤も動揺したのか、思案顔を岳に向ける。

 岳はようやく、小さく息を吐いた。


「現地に着けばわかることだ。話しても支障はない」

「……中隊長っ、」

「それに、あらかじめ事態を知っておいたほうが、現地に着いてから円滑に任務を遂行できるだろう」


 岳の言葉に、真藤は体裁悪そうに顔を歪めた。

 無理もない。

 現地到着まで、幹部未満の隊員に任務内容は伝えないと、防衛省と自衛隊将官らで執り行われた防衛会議によって決められていたのだ。それを破ろうとしている岳を前にして、真藤は内心、複雑な思いを抱いていた。規則を重んじる自分と、岳の判断を尊重したい自分との間で揺れているのだ。

 ただでさえ緊急で集められた特別チームだというのに、現地で任務内容を聞かされたところで、うまく連携は取れないだろう――というのが、岳の懸念だったに違いない。五日前に今回の特別派遣を会議室で命じられたときは、特に異論反論を唱えることはなかった。それは、何を言っても上が方針を変えるわけがない、ということがよくわかっているからだ。だからといって、諦めているわけではない。上官の目がないところで、規則や命令に許容範囲内で背くのが、岳のスタイルだった。その流儀に、ヒヤッとする瞬間はあるものの、柔軟で臨機応変な岳に、真藤はそこはかとない羨望を抱いていた。

 一瞬の沈黙の後、岳は隊員一人一人の目を真っ直ぐに見つめてから、そっと口を開いた。


「俺たちが向かっている場所は、山梨にある富士感染症研究センターだ」


 岳の口から放たれた場所は、あまりにも予想外のものだった。

 いまからおよそ五十年前、富士山に隕石が落下した。その隕石に付着していた未確認ウィルスにより、日本は未曾有の危機に直面した。五年後に終息を迎えるも、免疫の低い老人を中心に、七五〇万人もの人々の命が犠牲となった。隕石に残されたウィルスの研究と、死者への弔いのために建てられた――それが、富士感染症研究センターだ。センターの裏手には、感染症で命を落とした人々の慰霊碑もある。


「なぜ、そんなところに……?」


 岡崎が眉を顰めた。

 岳は、話を続ける。


「詳しいことはわからない。ただ、菅沼司令の話によれば、新たなウィルスが研究センターから漏出した可能性があるらしく、俺たちはその施設の警備を担うことになった。まあ、上には上がいる。司令でさえも、現地の詳細な情報は伝えられていないんだろう」


 岳の説明に、でも、と口を開いたのは、赤松あかまつ太陽たいよう陸士長だ。


「警備ってのは、警察の仕事やないんですか?」


 西の訛りを含んだ赤松の言葉に、他の隊員たちは頷きを見せた。


「……治安出動、ってことですよね?」


 隊員たちが戸惑いを見せる中、この場では最年少の田島たじま道晴みちはる一士が、ぼそりと呟いた。通信班から選抜された人員だったが、師団内でも名が通るほどの優秀な人材だ。声が小さいことが難点だが、それでも隊員たちは、彼の言葉を聞き逃さぬように耳を立てた。


「菅沼司令のおっしゃっていたことが本当なのであれば……警察の手が回らないほど、現地の状況は悪化しているはずです。武器の使用が認められているのも、おそらく、近隣住民による暴徒化――又は、それに匹敵するほどの緊急事態が発生しているということに他ならないでしょう」


 田島の言葉とその声色は、緊張感を誘発するには十分な材料だった。隊員たちの顔色は、黙っていたときのほうがまだマシに思えた。

 ふたたび顔を俯かせ、車の揺れに身を任せるだけの隊員たちを見渡し、岳は深いため息をついた。


「……きっと、大丈夫ですよ」


 不意に放たれた柔らかい声に、車内の空気がふと和らぐ。隊員たちの視線は、声の主に集まった。真藤の横に座っていた唯一の女性自衛官、守野もりの冬葉ふゆは三曹が、突然向けられた視線に戸惑ったように目を泳がせていた。守野は、真藤が統括する小隊の隊員だ。


「無責任に、すみません。でも、きっと大丈夫です」

「ふっ、なんだそれ」岡崎が鼻で笑う。「何がどう大丈夫なんだよ。こんな状況で呑気なこと言えるのは、お前が女で、守ってもらえる立場だと思ってるからだろ、あぁ?」

「わたしはっ……そんなんじゃ、」


 岡崎の発言に、守野は少々身を縮ませたが、負けじと唇を噛み締め、精一杯睨み返した。二人は、自衛官候補生時代の同期でもある。

 すぐにでも火花が散りそうな状況を危惧し、真藤が「やめろ」と制止した。


「仲間の足を引っ張ってどうする。お前のその発言で、チームの士気がどれほど下がるかわかっているのか?」


 冷静さが欠けることなくとも、真藤の声には怒りが孕んでいた。岡崎は言葉を続けようとするも、隊員たちの冷めた視線を感じ取り、顔を下げた。


「申し訳ありません。失礼しました」


 岡崎は納得のいっていない様子だったが、何とか場は収まったようだった。


「守野、」真藤が、隣に座っている守野に視線を移した。「言葉には自信と責任を持つんだ」

「……申し訳ありません」

「謝ることはない。お前の言葉は必要だ。だからこそ、その言葉に自信と責任を持て」

「……はいっ」


 守野は、真藤の言葉を真摯に受け止め、深く頷いた。

 岳がその光景を静かに見守っていると、幌の小さな窓から、富士山が姿を現した。

 目的地は、すぐそこだ。

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