ミルクパンであたためる

 わたしが悲しい日、怒る日、落ち込んだ日、風邪をひいた日、きみは決まってキッチンに立つ。毎朝カフェオレを作るために買った牛乳を夜に冷蔵庫から取り出して、ミルクパンに注ぎ火にかける。沸騰する直前で火を止めてマグカップに移し、はちみつを掬ってかき混ぜる。一口含むと胸がじんわりあたたまってポロポロと涙がこぼれ、きみは何も言わないでそばにいてくれる。

 どうしてわざわざミルクパンであたためるのか聞いたことがある。電子レンジなんていう便利なものがあるのだからそれを使えばいいじゃないと。きみはしばし考えたそぶりを見せた後「そうかもしれないけど、なんとなく、こっちのほうがあったかく感じない?」と微笑んだ。

 ある日、きみはいつもとは違う雰囲気で佇んでいた。どうしたのと声をかけたら笑顔を見せて、だけどそれも陰りがあるように見えた。思えば出会ったころから今まで負の感情を聞いたことがなく、このままだと抱えたまま自分一人の力で解消するのだろうと察しがつく。待っててとだけ言葉を残し、キッチンでいつもきみがしてくれるように冷蔵庫から牛乳を取り出し、ミルクパンに注いで火をかけた後、沸騰する前に止め、マグカップに移し、はちみつを掬ってかき混ぜる。一口含んだきみは「美味しい」と呟き、漏れた息からきみにあった負の感情が外に出ていくように見えた。

 電子レンジであたためることは簡単だ。それなのにひと手間加えるのは、きみが元気になりますようにと、願いを、魔法を、かけたいからかもしれない。

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