あの夕陽に向かって
あの夕陽に向かって走れ! 子どもの頃に見ていた青春ドラマの定番ネタであったそれを、具現したのはいつの頃だったか。小学生の頃は運動会の父兄参加リレーで大人なのに速く走れないことを疑問に思っていたが、成人してからは大人なのに走れること自体尊敬に値した。歳を重ねるごとに走ることがなくなり、会社と自宅の往復の日々。
久しく会ったきみとの会話の途中でぽろっと「なんか、何もしてないのに疲れるよね」とこぼしてしまい、慌てて口を噤みながらおそるおそるきみを見れば「そうだね」と微笑みながらコーヒーカップに口をつけた。楽しいカフェタイムにあまりネガティブな言葉を残したくないと、その後は慎重に言葉を選んで話していれば、今度はまたそれに疲れてしまう。つくづく嫌な人間になったものだ。
カフェを出る頃には陽が傾いて、いつぞやのドラマのセリフを思い出す。あの夕陽に向かって走れ! 今ではその言葉が眩しすぎて、当時の映像を見るのは苦しくなるだろう。きみはチラリとわたしの足下を見てからニコリと笑う。「ねえ、あの夕陽に向って走ってみない?」え、と言葉を返す間もなく、きみはよーいドンで走り出す。
スニーカーを履いてきた。デニムのストレッチパンツを穿いてきた。荷物は小さなショルダーバッグひとつだし、走れない格好ではない。だけど。
前を走るきみが街ゆく人に奇怪な目を向けられてる。あの夕陽に向って走れ! と聞こえない声が聞こえた気がして、その声に導かれ、わたしの足は駆け出す。もはや走っていると呼んでいいのかわからないほど遅いけれど、きみに向けられた奇怪な目がわたしにも向けられているだろうけど、きみの背中を、夕陽を、追って走ればドンドン余計な思考が消えていく。
夕陽が消えた。走る足を止めた。きみは微笑む。ああ、今夜はいい夢を見られそうだ。
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