誰そ彼時の温度を知らない

 きみはわたしに向かって手を振る。わたしもそれに倣って振り返す。芝生の上に腰を下ろして、他愛もない話をして笑い合って、それがわたしたちのすべてだった。あんまりも話が弾むものだから、きみの名前が何であるかどこに住んでいるか、そんな重要なはずのことをいつも聞きそびれてしまう。

 目まぐるしく変化する現代社会とは正反対にきみと過ごす時間はいつも穏やかでゆっくり流れていく。このまま一生きみと話して過ごせたらいいのに、なんて淡い期待を抱いてもそれが叶うことはなく、青い空は色を変え、紫光に包まれ始める頃きみは立ち上がる。途端に座っていた芝生が冷たく感じ始め、あたたかい春の陽気のような空気も冷たいものに変わってしまう。座り込んだままきみに向かって手を伸ばすと、きみは困ったような顔をした気がした。ねえ、今度はいつ会える? もっとここでお話していようよ。声にならない声を矢継ぎ早に紡ぐわたしにきみが口を開いた。

 ――ピピピピピ……

 電子音が遮る。視界に入るのは見慣れた天井だ。

 夢で会うきみが何を言っているのかわたしはいつも知らないまま。現実世界に戻れば、あれだけ鮮明に見て聞いていたはずの顔も声も話した内容もすべてを思い出せないのだ。ただ、きみを愛しいという感情だけを残して。

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