第4話 夜魔斬りの太刀

飛龍「来たね、準備はいい?」

天城「ああ。遅れて悪い」


飛龍「・・・行くよ!」


扉は固く閉ざされている。

蹴破ろうにも頑丈なので二人は窓を破壊した。

割れたガラスに注意しつつ侵入すると、

調理場らしき部屋の扉を内から開けて廊下に出る。


天城「さて、どこにいるかな」


飛龍「“西日屋”に地下は無いよね。以前来た時に見なかったのは、ボイラー室と屋上だ。どっちから行く?」


天城「・・・」


飛龍「天城?」


和装の少年は、楽器ケースを背負ったまま、ロビーの天井を睨んでいた。


天城「俺が上に行く。飛龍はボイラー室を頼む」

飛龍「え?二手に分かれるの?今?」


天城「屋上とボイラー室・・・多分どっちも無視できない。そして・・・順番に巡っている時間はない」


飛龍「分かった、気をつけてよ?君、時々思い切りが良すぎるから」


天城と別れた飛龍は、東側にあるボイラー室に急ぐ。

一方の天城は西階段へと走った。

屋上の扉が、東の階段とは通じていないためだ。


その道中、階段を駆け上がる天城に対し、活発な霊が襲いかかる。


天城「邪魔!今はお前達とは、遊んでられるか!」


相手にせず脇をすり抜けていく。

刀を取り出す時間が惜しいのではない。

階段での戦闘は高低差があるため体力を消耗する。

彼の場合見えるわけではないので、霊の位置を捉えるには集中力も必要となる。


屋上からの刺すような視線、恐らくは元凶の霊の強い敵意に、彼は気付いていた。


飛龍は前回くすねていたマスターキーを使い、ボイラー室の扉を開ける。

こちらは道中何の妨害も無かった。霊が飛龍を避けているのだ。


飛龍「うっ・・・!?」


扉を開けた瞬間、飛龍は後ずさる。

凄まじい怨念が渦巻き、悪臭のように立ち込めていた。


飛龍「ああはい、バリアバリア!こんなの効かないから!・・・天城の勘は凄いな、扉を開けるまで気付かなかった」


パイプの隙間、錆び落ちた通気口の奥、穴の空いたタンクの中。

見える限りでもかなりの数の霊が棲みつき、飛龍の方を覗き込んでいた。


飛龍「・・・なるほど、こっちが被害者の霊か。これだけ寄り集まっているとなると、そのうち完全に溶け合って、女湯の怪程度にはなりそうだね」


無念の渦巻く暗闇へ。

鮮緑の瞳の少年は、軽い足取りで進み入った。

知らない街の公園に、好奇心で立ち寄るように。


背後の黒い天井から、無数の瞳が覗き込む。

それらは泥のように滴り落ち、飛龍の背中へ被さった。


瞬間。白い光が漏れ、触れた泥状の怨念が消える。

油を熱した鉄鍋に、氷を落としたかのように。

飛龍の体の表面で、弾け、溶け、蒸発した。


飛龍「池中蓮華、大如車輪」


彼は瞼を閉ざし、両手を広げて経を唱える。

周囲に光が広がり、渦巻く怨念は部屋の外へと逃げ出した。


飛龍「青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光」


しかし開かれたはずの扉の敷居に、見えない壁があるかのように、

霊は出口で弾き返され、逃げられずに詰まってしまう。


飛龍「微妙香潔、舍利弗、極楽国土」


逃げ惑う霊。

しかしこの部屋に逃げ道は無い。

部屋に入る時、飛龍が張った結界である。


怪異祓いや妖怪退治、除霊は時に結界を使う。

身近な物では盛塩や注連縄により、その場に霊的な壁を作る。

力を持った宝石や、土地に引いた線を境界として使う事もある。


飛龍は自らの体の周囲に、瞬時に結界を張る事ができる。

彼自身どのように行なっているかは理解していない。

ある種の霊媒体質、生まれ持った生体結界である。


飛龍「形のない霊は天城と相性が悪い。これだけ集まってると気配も暈けて分からない。でも今日の僕は調子が良いから、このくらいなら一人で送れるよ」


両手を合わせ、瞳を開き、歌うように唱え上げる。


飛龍「成就如是。功徳荘厳」


部屋は光で満たされた。

渦巻いていた怨念は、一つ残らず祓われた。


飛龍「・・・ふぅ。あっちは大丈夫かな」



同時刻、天城は室外機の並ぶ屋上に踏み入っていた。

扉の鍵は彼が来る前から、開いた状態で放置されていた。

コンクリートに照る月光で、屋上は燃えているかのように明るかった。


天城には霊の姿は見えない。

しかし屋上には、とても強い負の感情が渦巻いている。

怪奇現象に実感を持てない天城でさえ、“いる”と確信する程の気配。

そして明らかに物理現象に反する、目を疑う現実が視界に映っている。


天城「佳苗さん・・・」


気を失った、裸の女性が浮いている。

見えない糸に吊り下げられているかのようだ。


天城は霊を見る事はできないが、気配を感じ取る力はとても強い。

特に、自分に向けられる悪意の念、呪いに対して敏感である。

霊が彼を認識した事で、彼もまた霊を認識する。

見えない姿を、感じ取った気配を元に、自らへの暗示で補完する。


月灯りを吸収したかのような、青白い大きな姿が見えた。

衣服のような膜の内側は、焦げたように黒く燻んでいる。


天城「月が綺麗だ・・・お前らには似合わない。死んだ奴が無念を語るなよなぁ!」


彼が駆け出すと同時に、楽器ケースが投げ出される。

中身は空。天城は既に刀を帯に差し、走りながら居合の構えを取った。


屋上の怪も動きを見せる。

輪郭がぶれ、黒い腑が溢れ落ち、

それぞれが意思を持ったように動き出した。


天城は躱し際に抜刀し、三つの塊を断ち切る。

下がった本体から更にボトボトと腸が落ち、

手足と目玉を生やして彼を取り囲む。


同時に、潜んでいた霊が通気口と室外機から飛び出して来た。


屋上はすぐに無数の悪霊で溢れ返る。

その中で肉薄した霊を切り払う彼の事を、

空洞のような暗い瞳で、屋上の怪は見つめていた。


天城「・・・っ!」


全身に張り詰めた彼の闘気は、

炭火の熱が肉を焼くように、付近の霊を照り付ける。

特別な力があるわけでもなく、ただ迫力で霊を怯ませている。


呪いの付け込む余地が無い。

常人であれば瞬きの間に正気を失う常ならざる状況にあって、

彼は寧ろ鬼気迫る迫力で霊を圧し、祓い続けた。


彼には霊は見えない。触れる事も無い。

呪いを感じる霊感はあれど、霊の手に掛かる素養が無い。

霊障への完全な耐性。

日差しのような確かさで、彼は己を保てるのだ。


屋上の怪は佳苗を掴んだまま後退する。

天城は既に、現れた全ての霊を斬り祓っていた。

そしてさながら、“次はお前だ”と言わんばかりに、親玉の霊に歩み寄る。


「・・・」


“来るな”


“殺すぞ”


“娘を殺すぞ”


天城に霊は見えず、その怨嗟の声も聞こえない。

不快な悪意が肌を撫で、外れた呪いはこだまするのみ。


天城「お前が何を考えて、どんな事をしようとお前の勝手だ。だが・・・その勝手で人に迷惑をかければ、相手の勝手がお前を殺す。人を呪うなら、呪われる覚悟を決めろ」


「・・・!」


佳苗を持っていた半透明な腕が、天城の素早い剣で落とされる。

彼はなんと、宙返りしながら瞬時に距離を詰め、

落下しながら彼女の体を抱えて降りた。

子供どころか人間離れしたその身体能力に、怪異は驚き柵まで下がった。


天城「・・・良かった、生きてる」


目を背けながら、羽織を被せて彼女を寝かせる。

怪異は彼の刀、“山霧八雲やまぎりやくも”に切られてなお、霧散せずに留まっている。

天城は再び斬りかかる。


速度を乗せた薙ぎ払い、反応を待たない斬り上げ、意表を突く跳び斬り。

いずれも外れる事なく命中するが、斬っている筈の怪異は消えない。

月光と強すぎる霊気で、正しく輪郭を拾えていないのだ。


天城「・・・周りの白いのは飾りか。その腹黒い中身を斬り裂いたら、お前はちゃんと消えるのかな」


「_」


明らかな恐れの感情を宿した屋上の怪は、

倒れるように柵を乗り越え、地上5階相当の高さから落下した。

しかしそれでも、天城は止まらなかった。止まる必要が無かった。


彼は怪異を追って屋上から飛び降りた。

月光の反射か、黒い空洞のような瞳に人間らしい光が宿る。

恐れる霊を空中で貫き、腹を割いて首を断ち切る。

そして素早く身を捻り、彼は落下に備えた。



落ちた先は露天風呂、今尚温泉が流れ込むプール。

決して深くは無い、人が立てる程度の浅瀬。

彼は刀を樹木へ投げて突き刺し、両腕を自由にした後、

水底の地面に対して五点着地を実行した。


水面から顔を上げて立つ彼の頭上で、

悪意の霊は光の粒子となって消滅した。



飛龍「天城!おっとと・・・!」


大きな水の音を聞きつけた飛龍は、

ボイラー室の外扉から露天風呂へと駆け付けた。


腐って落ちた柵を乗り越え、

木に刺さった刀を引き抜こうとする天城に近寄る。


飛龍「霊は?」

天城「斬った。これで大丈夫な筈だ。んん・・・!」

飛龍「・・・何してるのさ」


天城「・・・悪い、力が抜けて・・・一人で取れない・・・」

飛龍「はぁ、しょうがないな」


二人がかりで刀を強引に引き抜くと、

天城はそれを鞘に納めた。


天城「屋上に佳苗さんがいる、まだ眠ってるだろうな。服を着ていなかったから、適当に羽織る物を持って来て・・・ついでに警察にも通報しておいて。ここから先は、任せても大丈夫だと思う」


飛龍「わ、分かったけど・・・どう説明すれば良いのさ?」


天城「適当でいいんだ適当で。ああ、後で問い詰められると面倒だから、公衆電話にしておけよ」


行政機関も動き出す。

行方不明になっていた女性が、

全く予想もしていない場所で正体不明の通報によって発見される。

怪異とまでは行かないが、それなりに不可解な事件だろう。


天城と飛龍は警察が駆けつけるより早く、

証拠になり得る持ち物を回収し、佳苗にコートを被せて立ち去った。

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