有縁:俗談、街談、さすれど迂遠

「そういやお前ってまだ夢見てんの」

「言いたいことは分かりますけど、それ受け取り方によっては結構な悪口になるやつじゃないですか」

「繊細なこと言うなよ、そういうとこ意外とめんどくせえよなお前」


 夏休みだから暇だろ映画観に行こうぜという五木先輩からの雑な誘いがスマホから吐き出されたのは、朝の日差しが徐々に凶暴さを増し始めた十時を少し過ぎた頃だった。何時の回かと聞けば午後一時半という絶妙に猶予がない予定が提示されたので、慌てて支度を済ませて部屋を飛び出した。そうして映画館の最寄り駅で待ち合わせ、互いに雑な挨拶じみた動作を交わしてからそれなりに通い慣れた映画館に駆け込み、二時間後にどろどろと建物から吐き出され、半端な時間と腹具合からどちらが言い出すでもなく手近なファストフード店に吸い込まれた──というのが今の状況である。計画性というものが一切存在していない。適当に注文した品の載ったトレーを手に階段を登り、いつもの癖で窓際の席へと座った。その瞬間にいつかの夢を思い出して、フロアの中央へと視線を向けようとして止める。いつもの店とは別の店なのだから、確認したところで意味がない。万が一何かしらが居たとしても、気づかない方がマシだろう。

 各々注文した商品を手に取りながら、ぽつぽつと感想と考察の合いの子じみたことを話し始める。今日観た映画は先輩のチョイスのくせにそれなりに分かりやすい映画──人がそれなりに死んで建物がたくさん壊れるような娯楽映画ディザスター・ムービーだったので、色んなもんが大変なことになったし竜巻が怖かったですと寝起きの幼児のような感想を答えれば、コーヒーを手にしたまま先輩が愉快そうに笑った。

 そうしてから思い出したように俺の夢の話へと話題がスライドしたのだから、俺が少々対応に戸惑っても致し方ないと思う。半分罵倒のような物言いをされたのだから尚更だ。

 先輩はコーヒーの入った容器の蓋を爪で軽く叩きながら、俺の方へと視線を向けた。


「そんで再確認になるんだけどさ、心当たりは思い出せたか」

「全然ですね。いいことも悪いことも特にしてないんですよ俺」

「あそう。まあそうだろね」


 最初から期待していなかったとでもいうような軽い返答を挟んで、先輩は続けた。


「一応さあ、俺も色々考えてはみたんだよ暇だったから。文学サークルの先輩として、文学的っぽい雑なあれこれを。お前が見てる夢ってのがそういう……何、お前の頭が不具合起こしてる案件だって可能性を一旦除外して、魑魅魍魎とか悪鬼怪異なんかの超自然的スパナチュっぽいやつならどういうのがあり得るかみたいなのを」

「信じるんですか、俺のうわごと」

「信じた場合で考えたってだけだよ。別にお前がおかしい分岐だって捨てちゃないよ。あり得るもん」

「本人にそういうこと直に言いますか」

「だってお前がお脳の調子をどうかさせてても俺としてはどうでもいいもの。映画の感想もちゃんとしてたし、今こうやっててもクソ熱いコーヒーぶっかけてから殴りかかってきてないから安全だろ」


 乱暴な物言いだ。それでも一応はこちらに都合がいいので、喉元を這い上っていた文句をどうにか飲み下す。とりあえずは心配してくれた、と解釈しておくべきだろう。悪意を読み取ったところで得るものはないだろうし、この人の口が悪いのはそれこそいつものことだ。

 先輩は細いポテトを齧ってから、俺の目を覗くように見た。


「まずな、変なことが起こるのに因縁原因がないのは別に不自然ってのもないんだよ」

「そうなんですか」

「最近はそんな具合、って言った方が正しいだろうし、もっと言うと『俺が思ってる』っていうのがつく。個人の見解ですってやつだな」


 迂遠なのか慎重なのか分からない前置きを吐いて、先輩は言葉を続けた。


「お前あれだろ、お化けが出るのは番町皿屋敷のお菊さんとか殺人犯のところに殺されたやつがでろでろみたいなやつだと思ってるだろ」

「そうじゃないと怖いじゃないですか。俺のせいじゃないのに俺がひどい目に遭うの、理不尽でしょうよ」


 自分に落ち度がないところで責められるのは不本意だ。子供じみた言い方にはなるが、何にも悪いことをしていないのに叱られるのは誰だって嫌だろう。極端な話、覚えのない殺人事件の加害者として逮捕されて罰せられるようなものだ。それは冤罪とかそういう類の代物だろう。自分に相応な落ち度もないのに、ただ理不尽に平穏な日常を奪われる。それと同じ種類の恐怖がある。

 何もしていないのにお化けが出る怖い目に遭うのは嫌だ。それだけの話ではある。


「それだよ。理不尽に被害を受けるのが怖い、シンプルだけど結構絶対的だろ」

「誰だってそうなんじゃないですか。覚えもないのに殴られて最高! って言う人、見たことないですよ」

「まあな、そんなやついたらバケモンかお脳の動きがオリジナリティに溢れてるタイプの人だからな……そんでさ、俺さっき番町皿屋敷って言ったけどさ、あれって体験者っつうか登場人物が確定的かつ固定的じゃん」


 突然に出てきた番町皿屋敷に困惑するが、とりあえず頷く。すると話のあらすじまとめてみろと意味の分からない指示が飛んできて、俺は訳の分からないままに手元のスマホで検索をかけて出てきたページを要約する。


「えー……お菊さんが皿を割って、屋敷の主人とその奥方にひどい目に遭わされてから死んで、夜な夜な井戸で皿を数えて、不幸が起きて加害者連中もひどい目に遭います」

「素直過ぎて馬鹿のまとめだ。合ってるからいいけど」


 それなりの暴言ではあるが、こちらとしても自覚があるので抗議をする気にもなれなかった。

 先輩は何度か瞬きをしてから、コーヒーを手に口を開いた。


「今のあらすじを踏まえるとさ、主人たちが何でお菊さんに祟られたかったら、殺したからじゃん」


 頷く。皿を割ったというだけで散々に責め苛んで殺したのだから恨みを買うのも当然だろう。過失はあるがそこまでされる謂れはないというやつだ。


「因縁、っていうか関係がちゃんと成立してるんだよな。使用人を惨たらしく殺した結果、その悪行の報いを受けて散々な目に遭いました。分かるな」

「分かりますよ」

「つまりさ、関係の外の人間には影響がないわけだよ。他の使用人とか近所の人には手を出してない。加害者だけが祟られて報われてる」

「……ああ、まあ、でしょうね」


 関係があるから祟るのであれば、関係のない相手には手出しをしない、というより興味がないということだろう。その理屈は分かる。意味のないこと、手間のかかる真似はしない。因果が、目標が定まっているからこその道理だろう。


「お菊さんは自分を殺した主人にしか祟らない、ってことですよね」

「そういうこと。だから俺たちにとっては番町皿屋敷はただの娯楽的な物語として楽しめるわけだ。だって俺らは武家の人間でもないし、使用人でもない。就職したらまた違うかもしんないけど、少なくとも仕事をミスったからって散々に責め苛んで膾にされて井戸に捨てられたりはしない、基本的にはそうだろ?」


 一息に語ってから、先輩が目を細める。翳った目がやけに黒々として見えて、俺は一瞬だけ目を逸らした。

 短く息を吐いてから、語りが続いた。


「で、最近のホラーだと体験者が俺なんだよね」

「は?」

「あれ、端折り過ぎたか。つまりさ、最近の怪談は因縁が薄いっていうか、設定が普遍的になってるっていうか……お化けを見るのに因縁みたいなものが必要なくなってきてる、って言いたいんだよ俺は」

「お菊さんを殺してなくても、お菊さんが化けて出るみたいな話をしてますかね」

「合ってる。っていうか、因縁とかがない方がいい、みたいな感じになってる。なんていやいいのかな、読み物とか物語からより体験の方に偏ってきてるっていうか……当事者になりたがっている、みたいな」


 最後の方は殆ど自問するように呟きながら、先輩が眉間に皺を寄せる。机の上を痩せた指が幾度か叩いた。


「さっきさ、番町皿屋敷の話したろ。あれはもう古典の怪談なわけだけど、最近のだと……そうだな、お前アクロバティックサラサラと口裂け女だとどっちが分かる」

「口裂け女は分かりますけど、なんですかその……何? サラサラ?」

「サラサラはあれだよ、髪が長くてサラサラしてるから。じゃあいいや口裂け女の話しよう」


 気になる単語をそのまま放り捨てられたが、話の腰を折るのも行儀がよくないだろうと黙っておくことにした。


「口裂け女はさ、基本は遭遇した人間に私綺麗って質問を投げてきて、そっから返答とか反応次第であれこれしてくるやつじゃん」

「綺麗って言うと口を裂かれるし、ブスって言ってもやっぱり口を裂かれるのは覚えてます。なんでしたっけ、まあまあで逃げられるんでしたっけ?」


 昔通っていた小児科の待合に置いてあった漫画で読んだ覚えがあった。今思い返せば、あの病院の本棚はセレクトがおかしかった気がする。八割くらいが内臓とか出る系のホラーだった。


「とりあえずお前の言ってるので合ってる。逃げる方法も幾つかあるし、ご当地バージョンみたいな特徴もそこそこあるけど、それは今はいいや」


 話したいのはどうやったら会えるかってことなんだよと先輩が言った。


「口裂け女に会いたいんですか」

「違えよ。そうじゃなくて、口裂け女は襲う相手を選んでるかどうかってところ」


 三白眼がじろりとこちらを見た。

 俺はおざなりに頭を下げて話の続きを促す。


「先に結論だけ言うと、ひと気のない時間──夕方とか夜だな──に外を一人でうろついてる人間が会うってのが口裂け女の話のパターンとしては大半を占めてる。男女とかはあんまり関係がない。子供、つうか未成年が多いぐらいは言っていい気がするがな。勿論大人でも見たってやつはいる、最初の目撃譚なんかは婆さんだったはずだし」

「なんかあれですね、やり口が犯罪者と一緒ですね。通り魔系の」

「それ」

「は?」

「通り魔なんだよな。行き会っただけ、そこにいただけ、それだけなんだよ。以前に口裂け女に恨みを買ったとか霊感があったとか先祖代々怪異を斬るを生業にしているとかそういうのは一切なしに、時間帯の枠でランダム抽選して被害者体験者を決定してるわけだ」


 誰でもいいってことなんだよなと先輩が言った。


「つまりさ、怪談を他人事にできる可能性が低くなってんだよな。怪異の体験者は自分と何も変わらない、違うところがあるとすればたまたま運がなかったぐらい。そういう状態で読む怪談ってのは、ほとんど再体験なんじゃないかなってのも俺は思う」

「再体験」

「要は何の変哲もない、というか特徴とかがひたすらに平均化されて仮名で記録された体験者っていうのは、読者とほぼイコールの存在になってねえかなってこと」


 しばらく考え込む。店内の強い冷房にも負けずに湯気を立てるコーヒーを一口だけ啜る。

 先輩の発言を幾度か反芻してから、俺は口を開いた。


「……『口裂け女に襲われた大学生のAさんの話』を、俺の話だとして読んでもいいってことを言ってます?」

「お前でもできるし、俺でもできるな。Aさんが霊感とか因縁とかのない無個性な大学生であるだけ、そこのAさんに俺やお前を代入しても物語──怪談に矛盾は生まれないんだよな、恐ろしいことに」


 体験者と読者の距離が近い、だからこそその位置は容易に交換される。ただ文字を読むだけで、場面を想像するだけで、知ることで体験は共有される。つまり、


「すげえ乱暴なこと思いついたんですけど、喋っていいですか」

「いいよ。あんまり馬鹿なこと言うと靴踏むけど」

「自分とよく似た人間が体験した怪談を読んで、知るなり覚えるなりするということは体験することと同義、みたいなことに、なりませんか」


 俺の言葉に先輩が右目だけを強く細めた。勧められて観た映画や借りた本に対して俺が吐いた感想がクリティカルだったときの表情だ。

 つまり、そういうことなのだろう──少なくとも先輩のお眼鏡には適ったということだ。


「要はさ、殺してなくても殺した体験だけはしたいし、ムショに入りたくはないけど入った記憶は知りたいんだよな、皆様」


 安全地帯で刺激だけは確保したいってことだもんな、やらしいの。

 そう嘯いた声にどことなく自嘲じみた色が滲んだように聞こえたのは、気のせいだと思うことにした。


「なんでそんな怪談もんが流行ってんですかね。怖い目に遭うの、できるだけ他人の方がいいじゃないですか、怖いから」

「あれじゃないの、共感したいんじゃないの」

「共感? 怪談に?」

「何だっけ、感情移入とか、没入感とか……他人事の気がしない方が嬉しい、みたいな?」

「怪談に感情移入してどうするんです」

「楽しいんじゃない」

「楽しい」


 さすがに処理がし切れずに、聞こえた単語をそのまま繰り返してしまった。

 先輩はコーヒーに口をつけてから、淡々とした調子で続けた。


「楽しいって言うと雑が過ぎるかな。……本の感想でさ、『主人公や登場人物に共感できなかった』とか言ってすーげえ悪態つくやついるんだよね。その辺と根っこが一緒なのかなって俺は思ってる」


 先輩が一瞬だけ眉間に皺を寄せた。


「共感できて共有できて、他人事なのに理解したっぽい感じになりたいんじゃないかなって俺は思う。人と一緒なのが嬉しい、っていうか安心すんでしょ。多分ね。それを楽しいって翻訳すんのはちょっと乱暴な気がするけど、まあその辺は個人の趣味だから言うだけ野暮な話……そんな具合かなって」

「すごいこと言ってませんか」

「欲が深いよな」

「欲っていうかあれじゃないですか、業」

「容赦ないこと言うねお前。まあ、蓼食う虫みたいなあれでいいと思うよ」


 人の好みってそれぞれだよなと今更のように穏便なことを言って、先輩は目を細めた。


 そしてその目を見ながら、俺はどうしようもないことを考える。

 知ることは、覚えることは体験することと同義だとするならば、夜毎にこの軽い脳味噌に吹き込まれるあの語りは既に俺の体験になっているのではないか。何しろあいつの語る思い出の当事者は俺だ。置き換えるまでもない。

 俺だけはそのままに、それ以外の何もかもを書き換えられて、それに気付けずにいるのではないか──。


「……たぶんさあ、そのままいくと軽めに火傷すんじゃねえかな」

「え」

「手。紙コップだからさ、潰れる」


 言われて自分がコーヒーの容器を両手で握っていたことに気付く。紙越しに伝わった熱が掌を焼いているのを一拍遅れで認識して、慌てて机に置いた。

 先輩は俺の様子をただ眺めてから、いつの間にか空になっていたポテトの容器を潰してみせた。


「まあ、とりあえず話が盛大にかっ飛んだ気もするけど──あれだな、お前に落ち度がなくてもそういうのは湧いて出る、ってことを言いたかったんだと思う、俺は」

「それ意図どっちなんですか。追い詰めたいんですか、怖がらせたいんですか」

「俺のことすごい性悪だと思ってないか。……気にすんなよ、ぐらいのことを言いたかったんだよ」


 先輩の目が俺から逸れてうろうろと彷徨う。ここで下手なことを言うと本当に怒られそうだと考えて、俺は黙ったままつられるように目を伏せた。

 賑やかなのに内容のない店内放送をしばらく聞いてから、先輩がようやく俺へと視線を戻した。


「どっちにしてもさ、話聞くぐらいはしてやるから。適当に喋りにこいよ。言うじゃん、一人で抱え込まないでみたいなの」

「それはまあ、それなりに。ちなみに何かあったら助けてくれたりとかは」

「お前セッタ吸ってたろ。供えるぐらいはしてやるよ」


 そのくらいは当然だろ先輩なんだから、と吊り上げられた右の口の端に覗く獰猛に白い八重歯を見つめて、俺は笑顔らしきものをどうにか浮かべてみせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る