法事の帰路、叔父の話

 どういうわけかは知らないが、今日は随分顔色がいいな。夜だまりの闇越しに見ても分かる、頬に血の気がある、開いた目に艶がある。三度目の夜は大概赤い目をしていたものだが、身体が慣れたか諦めたか、それとも昼寝でもしたか。居眠りと怠学サボりは学生の華だが、度が過ぎれば泣きを見るぞ。義務やら課題やらを放り出して浸る怠惰ほど心地のいいものもないのはそうだろうよ、取り返しのつかないことになる寸前、些細な破滅と喪失をつまみ食いする愉しみを否定はしないが、見誤ると大怪我をする。……心配ぐらいはして当然だろう、お前に何かあったら、俺は一体どうしていいのか分からない。ここまで夜を重ねて語りを聞いておいて、そんな火遊びで焦げ付くような真似をされては残念にも程があるからな。

 そうして真っ当なことを言ってはみたが、いかさま俺のようなものとしては、そうして昼間に眠ってくれる分だけこうして夜に無理が利く、と考えてしまう。お前にそのつもりがあるかどうかまでは問わないとも。わざわざ野暮な真似をするまでもない。だってお前、それで否やと答えるようなひどいことはしないだろうに──そうとも、そうして目を逸らすのが精一杯だ。そういうところが気に入っている。


 さて、学生の夏は長いそうだな。学業からも労働からも逸れた猶予期間モラトリアム、暇が余れば小人だろうが大人だろうが老若男女ろくでもないことをしでかすのが常ではあるな。大学生なんて最たるものだ。夜更かし夜遊び夜回り、どうしてか若人は夜にうろつきたがるものらしい。別に咎めはしないとも──ああ、そうして夜を徹して、俺が待ちぼうけを食うんじゃないかと心配しているのか。さても俺とてそこまで目端の利かない間抜けというわけでもない。夏休みで学生だ、人付き合い、ついでにお前の都合というものもあるだろうさ。

 二回までは見逃せるとも。三度目、そうだな、そうして約束を反故にするような真似を三度もするわけがないだろう、そうだろう?

 そう目を伏せても床しか見えないだろうに。大丈夫だとも、お前がそんな間抜けをするわけがない。起きるわけがないことを、する必要のない対処の話をしたところで意味がない。分かるだろうに。俺だってそんな話はしたくない。不義理の果てに何が待つかなど、わざわざ俺の口から言い出すほど悲しいこともない。


 しかしこうして夏の頃、盆が近くなるとあれば、お前そろそろ実家に帰る時期ではないのか。

 ああ、この物言いだと不十分だな。うん……お前も実家に帰って、盆だのなんだの義理を果たす時期だろう、と。実家というから紛らわしいな、お前の生家で、父の遺宅だ。

 お前の予定ぐらい知っているとも。毎年そうして実家に帰るのに、車を出しているのは俺だからな。だってお前の叔父だもの、せっかく近所に住んでいるんだから、その程度はするものだろう。年少の親族を、血の繋がった甥っ子を手助けするくらいは特段変わったことでもあるまいよ。

 盆の少し前、故郷に帰る連中より半歩だけずらしたような日程だ。少しばかりの荷物を手にしたお前を車に乗せて、深夜の高速を走るのが常だったな。夜の明ける頃に着いて、助手席で寝こけているお前を起こして、インターホンのカメラを覗きながら呼び鈴を押す。そうしてさんに挨拶してからそのまま適当な部屋で朝を眠って、そうして支度を始める。それがお前の夏だろうに。


 何の支度ったら盆支度だ、お前の父さんで、姉さんの夫で、俺の兄さんを迎える支度だ。


 棚を立てたり台を組んだり、灯篭を出したりと家の支度を済ませたら、墓場にも迎えに行かなければならないからな。何、法事と違って墓参りなら喪服にならない分だけ気楽でいい。勿論きっちりやろうと思えば服なり提灯なり揃えていくべきなんだろうが、そこまで細かくやったら死人の方が困惑するだろうよ。自分に対して手間を掛けられるのが苦手だったからな、義兄義兄さん。そういうところはお前に似ている、心当たりがあるだろう。お前自身に覚えがなくても、お前から見出す人間がいる間は


 そうだな、喪服、そっちはお前も少しは覚えがあるだろう。

 葬式のときはほんの子供だったからな、ちゃんと着たのは十三回忌のときだったか。お前、ちゃんと店で背丈に合わせて買ったはずなのに、どうしてか上着の袖ばっかり余ってたのが面白かったな。数珠を握るときにどうももたついて、坊主の号令に合わせて擦るのがじりじり遅れていただろう。その度目だけきょろきょろさせるから、不憫やら愉快やらで見ている俺がどういう顔をすべきか分からなかった。何、仕方がないことだ。着慣れない服を着るとどうにもそうなる。

 居心地がどうにも悪そうだったのは別口だな、それは退屈だったからだろうに。

 お前は父親に馴染みがないからな、ろくに知らない相手の法事なんて、大学で単位のためだけに取った授業以上に面白くない──そう目を伏せるものでもないだろう、実の親だろうが何だろうが、縁が薄ければそんなものだ。血の濃い薄いだけで変わるというのも、なんだ……傲慢な話だろう。人らしくはあるかもしれないが、基準に拠っては詰られる類の贔屓だ。善悪なんぞは知るものか。お前の好きに都合を建てればいいだろう。

 なんせ生きているのはお前の方だ、それなら結局お前が強い。……当然だろう、死人と生者、この世においては肉の体があるだけ生者お前の方が強い。自前の器があるということは、つまり自身の存在を他人に頼らなくてもいいわけだからな。融通が利く。体のある、居場所のあるやつが一番強い。世間というのはそういうものだ。


 葬式のときはお前、子供というより幼児だったろう。何にも覚えてないだろうし……別に責めてはいないとも、実の親の葬式だからって何でもかんでも覚えていないとならないなんて法はない。

 そもそも法事だってそれほどに面白いものでもない。坊主が長々と経を上げて、済んだと思ったらつらつらと説教をして、さんが挨拶して寺を出て、馴染みの食事処で遅い昼を食べて終わり、だからな。親戚がわらわらいるならともかく、佐倉さんの方はお義父さん以外はもういないらしいし、そのお義父さんだって大概御欠席だ。結局俺と姉さんにお前で飯を食っているのだから、法事と言われても納得しがたいのは分かる。ただの外食、だな。俺が呼ばれるのは、そうだな……一応は義弟、だからだろうよ。義兄弟だ。義兄にいさん、そういう縁みたいなのは薄かったらしいからな。見捨てたら後生が悪いだろう。つまりは賑やかしだ。何、然程不自然でもないだろう、生前もそれなりに世話にはなったのも嘘でもない。当たり前だろう、その程度の付き合いはあったとも、姉の夫だからな。親族というのはそういうものだろう。


 そうして用事を済ませて家に帰るとき、乗り込んだ車が走り出してから。そのときにバックミラーを、鏡に映り込む後ろの窓を見たことがあるか。

 真っ黒なんだ、何にも見えない。墨でも塗ったように、裏路地の夜に沈めたように、引き取り手のない死人のぽかりと開いた口腔のように、ただ一面に黒が貼り付いている。

 ずっとってわけじゃない、大体……そうだな、飯屋が寺のすぐ側だろ、そこから二回ぐらい信号過ぎると見えるようになる。

 お前は気づいてなかったか、仕方がない、よく寝ていたからな。ただでもお経と説教聞いてくたびれてるところに食事を取れば、眠たくなるのは生き物の道理だ。姉さんだって助手席で寝てるから、尚更責めるものでもない。

 そうだな、前方を塞がれたら死ぬだろうな。けれども後部座席、振り返らないと見えない窓だ。……まあな、危ないったらそうだろう、でもそれなりに何とかなる。気にはなるが、無茶をしなければなかったことにできる。それに──そうとも、お前は賢いな。下手に止まって車外に下りた方が危ない。俺ならそうする。だって強盗でもそういう手口があるだろう、窓を打ったり石を投げたりで気を引いて、中身人間が出てきたらひどい目に遭わせる。手堅いやつだな?


 どうだろうな。法事の後だったからこそ因縁みたいなものは考えられるけど、そうするとお前にとってが出てきやしないか。

 実の親父が、とまで限定しなくても、直に血の繋がった何かしらにそういう真似をやらかされてるっていうのは、気分のいいものではないだろうよ。

 だからそうだな、叔父としてはだ、そっちに比重を取るよりかは……寺の、というより土地のせいにした方が穏便に済むんじゃないかと思う。そこにいるもの、ではなくてそこのせい、だな。そちらの方が少なくともお前やさんは丸く収まる、夫妻に親子というのはそういうものだろう。一方が死んでいても、だ。

 俺としてはどちらでもいいさ。ああ……そうだな、たかだか血も繋がっていない義理の親族に、そこまで執着する方が始末が悪いやつだな。俺がお前に執心するより筋が悪い。──どうしてってお前、叔父と甥なら少しは血が同じだろう。義兄義弟と近しいものを名乗ったところで、あるのは仕来たりと理屈ばかり、繋がる血などひとしずくもありはしない。死人の分際でそんなものに縋るのは、何だか具合が悪くはないか……いや、お前の父かもしれないものに分際というのも失礼だな。そもそも俺が言えた義理でもない、といえばそうだが。情に理屈を差そうとするとどうにも妙なところが歪む。堪忍してくれ。


 ──ん、そうか。お前はそれでも考えるのか。

 土地のせいにするのはどうにも、そうは言っても別に不義理というほどのことも何もないだろう。言い掛かりと言われたらそうかもしれないが、そうだとしても何が悪いことがある。正しい理屈なら詰ってもいいというものでもないなら、元より行儀の悪い真似をしているようなものだろう。その上で多少相手を間違えたとして、今更しくじるものでもし損なうものもない。

 そもそもお前の理屈の外にいる事物だ。最初から正しい理解なんてものができるわけもない、そうだろう、同じ人間だって似たようなものだ。できる方がおかしい。


 何、要はお前が選べばいいだけだ。お前が納得するための理屈を、お前の好きに選べばいい。そのためなら道理も義理も後からどうとでもついてくる。少なくとも俺はそうしてやれる。お前以外が一人でもそう信じるなら、それで十分だろうに。


 どうしても気になるというのなら、今年の墓参りで確かめてみればいい……当たり前だろう、どうして法事のときだけってわけがある。

 ただそうだな、盆参りの方は控えめだ。法事のときのようにべっとり影の貼りつくような派手な真似はしないが、ちらちら鳥の横切るように薄闇の過る瞬間がある。その程度なら目の錯覚、気づかないふりも幾らでもできる。何しろ運転中だ、迂闊に気を取られる方が危ない。結局寺から離れれば見えなくなるんだから尚更だろう。下手に気を取られて事故るのも面白くない。そんなものに引っ掛かって死んでみろ、きっとろくな目に遭わない──確証はないがな、そういうものだろうよ。

 性根の悪い手出しをする相手が、それきりで済ませる理屈がない。だから、見ずに関わらずにいるに限るということだ。手出しをしたが最後、どうあれ付き合わなければいけなくなるからな。縁というのはそういうものだ。


 これで続けて三日目だ。分かっているとも、覚えているとも、約束通りにしばらく間を空けないとならないな。名残惜しいが致し方ない、駄々をこねても仕方がない、その程度の分別はある。

 いつも言っているだろう、そこで急いて無茶を強いて台無しにするのも面白くない。何より俺の損が多い。──こういう物言いの方が安心するだろう、お前。得体のしれない相手に情をぐより、取引の方が分かりやすくて納得できる。お前がそれで喜ぶのなら、俺はそれでも構わないとも。言っただろう、お前が最後まで付き合ってくれなければ何もかもがご破算なんだ。そうだとしてもお前を責めるものでもない、だってそんなことはあり得ないできないんだから、そうだろう。お前は優しくて、分別があって、きちんと夜を恐れている。素晴らしい。

 さておきお前もそれなりに馴染んでくれたことだ、そうしてこちらに向ける目が、幾らか俺を見ようとするようになった。先の夜の如くに、俺についてお喋りもしてくれるようになった。

 ともかくそれで十分だとも。高々夏の数夜を待つ程度、何が苦になるものか。逸る理由も急く根拠もない、全て不足も不満もない。ならば俺は粛々として嬉々としてただ約束を守るのみだ、分かるだろう?

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