夏の別室、叔父の話

 三日天下、三日坊主、雷三日。三日続けば何でも上出来だ。嘘も不実も三度重ねる頃には立派に手遅れだ、鶏が鳴いたら裁きが下る。

 一度だけなら出来心で済ませても、三度通ればそれは立派な執心だ。執着すれば縁ができる、そうすればもう手遅れだ──いや、脅かすつもりはない。喜ばしい話だと、そういう事実を述べているというだけのことだとも。

 つまりだ、やはりお前に縋って良かった。喚いて拒まれずに済んだからな。それならひどいことにはならない。そんなことをしなくていいのは俺としても大変嬉しい。なるべくなら穏便に、平穏に、安穏と過ごしたいのは人の常だろう。お前だってそうだ、ならばその希望には沿うべきだろう。俺の望みを叶えてくれているのだから、尚更。


 さて。

 三度目だ。だから今夜は、俺が叔父だった頃の話だ。

 順序としては妥当だろう。兄で、先輩で、叔父だ。血の近いも歳の遠いも、どれも丁度の塩梅だとは思わないか。見えるかどうかの話は──そうとも、意味がないわけだ。

 何、先の二つと変わらない。お前に繋がる昔話だ。忘れていたって構わない。俺がこうして話せば、覚えのいいお前はきちんと思い出してくれるからな。


 新幹線で三時間、座席に座ってうたた寝してればあっという間の道行きだ。人で混むから嫌だとお前の母は乗るたびに言ったが、手段がないからどうにもならない。高速を使えば八時間、どこぞのロードレースのようにぶっ続けというわけでもないが、そんな神経を使うような真似は父ならともかく母には向いていなかったからな。取れない手段はないも同じ、ないものは当然選べない、そういうことだろう。

 何の話だったらお前の話だ。さんと一緒に、夏になると里帰り、してたろう。俺ともその時に遭うばっかりで、つまりお盆と年末年始しかいないんだから年に二回で……ああ、そんな顔をするものじゃあないだろう。

 俺はお前の叔父なんだから、そうやって親戚の集まるときに会うのは何もおかしくないだろう。

 盆暮れ正月、支度に人手がいるのはその通りだ。けれども頭数がそれなりにいれば、仕事役目にあぶれるやつも出る。実家うちの場合はそうだな、宮田のおじやら鉄木の家の連中やら、人の集まりを仕切るのに慣れているやつらがいるからな。お前の母さんも長女だから尚更だ、分家としても長子ならばそれなりに立場というものがある。

 そうしてできるやつらがすべきことを真っ当に片付けるものだから、つまるところ俺は手持無沙汰を拗らせるしかないわけだ。

 お前も似たようなものだろう。一緒にされるが嫌かもしれないが、未成年子供だったら仕方がない……ああ、今なら二十を超えたか。それでもどうせ俺より年下だし、一族郎党の中じゃあどうあがいても年少だ。結局仕事も任されず、子供のようにあやされもせずにただただ放っておかれるばかりだ、そうだろう?

 そうして夏の間中、真っ当な親戚連中が仏間や横の和室やらでわあわあたむろってるから、俺たちはなんとなく居づらくってよそに行くのが常だったろう。

 悪い連中じゃない、けれどもあれだな、どうも配慮とか気遣いとかいうものがそれなりに足りない。遠慮なく踏み込める歩幅が身内の証だと、あけすけで無礼な物言いが情の賜物だと、そう信じているのが厄介というだけだ。たかが血の同じだけの他人に、自分の夢も望みも失敗も楽しみも、話したくもないのに教えてやる必要があるものか。聞かせたければ勝手に話すというのに、そういう道理がどうも分からないのだから面倒だな。悪気がないだけ尚更よくない。お前も──ああ、そう思ってくれているな。そうとも、そういう目をしている。

 そうして逃げ出すったって、さほどのあてがあるわけでもない。一階の居間は台所があるせいで誰かしらが出入りしてるし、奥の座敷は死んだ爺様の私室だったから何となく具合が悪くていられない。かといって二階もどうにもならない。畳部屋は遠方から来た連中の寝室扱いになるもんだからやっぱりいられないし、そもそもいても何もない。結局は一階、テレビのある部屋に二人して逃げ込んでいたな。覚えているだろう、爺様が自室にしていた和室の横、絨毯張りで本棚やら飾り用の食器なんかを詰めてる棚のあるところだ。俺は洋間と呼んでいたけども、どうも家の連中以外にはそう呼んでも通じなくてな……けれどもお前は分かるだろう、だって覚えているはずだ。


 冷蔵庫からくすねてきた冷えた缶ジュースを手に、夏の日差しにぬくまったソファに掛けて、二人で映画を眺めていたろ。


 映画の内容、覚えているか。お盆の午後なんて絶好の時間帯なのに、どういうわけかやけにじとじとした話をやっていたな。一人の死人と、死ぬべき時に死に損なった男と、何もかもに立ち会えず関われもしない友人の話だ。

 静かな映画だったな。血も暴力も、怒鳴り声さえほとんどなかった。四人掛けの食卓に一人で座って食べる夕食、箸が食器を掠める音。深夜の交差点、夜に赤々と灯る歩行者用信号。磨かれた墓と燃え尽き積もる線香の灰にただただの青空。

 どこかで見たような風景に、登場人物の迂遠な会話が挟まって、ときたま手遅れの予兆じみた画が差し込まれる。その繰り返しが上方へと積み重なって、いつか破綻に辿り着くのを眺めるのが目的とでもいうような映画だった。

 そんな調子で起伏の薄い話が進むものだから、お前はほとんど眠りかけていたな。無理もない。俺もそれなりに退屈していたからな……。それでもこの部屋を出て馴染めない親族に愛想を振って過ごすよりかはマシだと、俺の隣で時折首をかくりと落としながら、眠気を堪えて眺めていたろう。

 クライマックス、というより破綻に到達する少し前。その後の悲惨を引き立てるためのささやかなやりとりの場面があったな。主人公の男──死に損ないがいつか何もかもが上手くいっていた頃の思い出に浸りながら、全てが解決したらまたこうして話をしようと、最後まで部外者になるしかなかった友人に約束をする場面だ。

 穏やかな顔をした青年が、空の写真立てを手にしてから、


『巡り合わせというには淡いが、それでも悪い目は一度眩んでしまえばいい』『そうしてこれは報いとしても』『右の脇腹を刺されたくらいじゃ足りない払いがあるだろう』


 明らかに場面にそぐわない台詞が、ぶつぶつと三つ聞こえた。

 確かにこれまで聞いていた俳優の声で、その抑揚で発されているのに、場面にも状況にも

 画面の中で楽し気に談笑しながら吐き捨てられたその言葉が、確かに俺たちに向けられたものだと


 目が眩むのは自分だと、お前は気づいていたな。俺も分かっていたとも、報いに腹を刺されるのだと。

 映画の、つくりごとの中からこちらに向けて投げつけられた呪詛じみたその声を確かに聞いたから、そう受け入れるしかなかった。


 そうして映画は進んで、全ては静かに破綻して、置き去りの友人と平穏な日常がただ続くであろうことが示唆されて映画が終わった。

 それでも俺たちは黙っていたな。口にするのが──ああ、そうだな。お前の思っている通り、んだ。お前はエンドロールの俳優名を見て、この人だけ知ってる左右対称の字だから見覚えがあるとやたらとはしゃいだ声を出していたが、缶を縋るように握る手が吹雪に晒されたように白かったのを俺はよく覚えている。


 予言だった、そうだな。

 お前は送り盆の日に目眩を起こしてぶっ倒れて、俺は夏の終わる頃にざっくり刺された。右の腹……ああ、この辺りだ。見せたこと、なかったな。知らなかったのは無理もない、外聞が悪いからな、お前の母俺の姉が教えなかったんだろう。仕方がない、報いで刺されたものだからな。よくないことをしたから、その分の贖いに傷が生えた。そういう理屈だ。


 そうだな。

 映画に教えられた通りのことが、確かに起きたな。映画の男が唐突に零した言葉は、どうしてか俺たちの身に律義に実現された。


 その後な、俺はもう一度その映画を見直した。実家の近く、今時VHSが三割も棚に残ってるような、そのくせ三ヶ月に一回は笠原和夫特集でコーナー作ってるようなレンタルショップで借りてな。あのときお前と見たシーンが、聞いた台詞がどこにあるかを確認しようと思ったんだ。だってそうだろう、いくらなんでも唐突だったからな……あの台詞が噛み合うような話だったら、それはそれでちゃんと見ておきたかった。俺だってそこまで真面目に見てはいなかった、そのくらいの自覚はあったからな。

 うたた寝もせず酒も飲まずにじっとエンディングまで見たけれども、そんな台詞はどこにもなかった。

 お前は知らなかっただろう、そもそも趣味じゃない映画だったろうし、そんなものをもう一度見る理由もない。


 じゃあ何だったのかったら、それは知らない。たまたま二人揃ってありもしないも台詞を聞いたつもりになって、その台詞を聞いた後にたまたま似たようなことが起きた、それだってまあない話じゃない。偶然も二度までなら見逃してもらえる。けれども……ああ、不服だろうな。あんな誂えたような目に遭って、それをなかったことにされるのは、釣り合いが取れない。予言を寄越した相手も、偶然そんなもののせいにされるのは業腹だろうよ。


 俺としては……まあ、偶然かどうかはさておいて、少しばかり思うところは、ある。

 こう考えたことはないか。

 ありえないことを一人で考えているだけなら妄想、二人で同じことを見れば空想、ただそうして虚妄を共有する相手の数を増やしていけば、それは現実と同じになるんじゃないかって、な。


 だからあの夏、お前と一緒に見た映画の予言は、あの瞬間には確かに存在していたんだと俺は思う。あのじりじり煮えるような夏の午後、熱の張りつくソファに寄り掛かってお前と叔父さんが一緒に聞いた、あの台詞は。

 世間の虚実は知らないが、俺には実で、それならお前にもだろう。それで十分、だからな。お前が覚えていてくれるなら、それでいい。そういうことだ。


 目元に隈が滲んでいる。まだ薄い、けれども見逃すわけにもいかない。

 加減はしていたつもりだったが、結果が伴わなければ意味がない。成果の実らぬ努力はおよそ無駄骨だ、そんなものを示したところで先もない、何よりお前に申し訳が立たない……。


 そうだな。

 悪いことをしたな。


 そうも辛そうな目をするな。急いた俺が何よりいけない。言ったろう、お前にひどいことをする気は少しだってないんだ。夢ばかり見て眠れなければ人は弱る。当たり前のことだな、眠れなくなった生き物は、およそどうでも死ぬばかりだ。

 そう怯えた顔をするな。どうしてお前をそんな目に遭わせたいものか。俺にも何の利もないからな、必要もないのに急いて浮かれた俺が悪い。

 何、もう三日も通ったからな。それなら少しは猶予がある。元より焦るものでもない、三日続けば道がつく。

 だからしばらくはお預けだ。その隈の薄れて目の潤むまで、しばらく静かに眠ればいい。難しいことでもないだろう、何しろ夜は眠るものだからな。そうだろう?

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