■34 乾杯 / 料理人のコール / ハル

次元竜との戦いを終えた三人は、再び町へと戻っていた。

町は日常を取り戻し、活気あふれる市場や通りには、人々の声が絶え間なく響いている。

冒険者たちが自らの武勇を語り、商人が商品の良さを声高に宣伝する中、零、麻美、守田は町の片隅にある静かな宿に身を寄せ、一息ついていた。


「やっと落ち着けるな。」零は窓際の木製の椅子に深く腰を下ろし、柔らかな夕陽が差し込む中で静かに息を吐いた。

町の喧騒が遠くに聞こえるだけで、部屋の中は穏やかな静寂が支配していた。窓の外には、夕陽が黄金色に町全体を染め上げ、空には赤と紫が混じる壮大な夕焼けが広がっていた。


「こんなに落ち着けるのは久しぶりね…嵐の聖域や次元竜との戦いが続いていたから、緊張が解けないままだった。」麻美はベッドに横たわり、ふわりとした枕に頭を埋めて、肩の力を抜いた。彼女の顔には安堵の色が広がっていたが、その瞳の奥には、今までの試練を乗り越えた自信も垣間見えた。


守田は部屋の中央で大きく伸びをし、少し微笑みながら二人を見渡した。「そうだな、次元竜との戦いも厳しかったけど…こうして無事に戻れたのは、お互いに支え合ってきたからだ。」


零は頷き、ふと目を閉じた。「ああ、今回の戦いは本当に大変だったけど、俺たちの絆が強くなった気がする。特に守さんの新しい力には驚かされたよ。収納魔法がこんなにも役立つとは。」


守田は肩をすくめながら、「あの魔石のおかげだ。次元竜から手に入れた力をうまく使えるようになって、俺たちの戦いが格段に変わるだろう。だが、今はゆっくりと休む時だな。」と言って、麻美の隣のベッドにどっかりと腰を下ろした。


「そうね、休まないと次の戦いで力を発揮できないわ。私たちはこれからもっと強くなる。だけど、まずは体と心をしっかり休めることが大切よ。」と麻美は微笑み、窓の外に目をやった。


町は夕方の時間に入り、少しずつ活気が落ち着き始めていた。市場からはかすかに店じまいをする商人の声や、家に戻る家族たちの笑い声が聞こえてくる。石畳の道には、軽やかな馬車の音が響き、町全体が穏やかな夕暮れに包まれていた。


零は立ち上がり、窓の外に目を向けた。「夕陽がこんなに美しいとは思わなかったな。戦いの最中じゃ、こんな景色をゆっくりと見ている余裕はなかったけど…こうして見ると、やっぱり平和っていいものだな。」


麻美もベッドから身を起こし、窓際に立つ零の隣に寄り添った。「本当にそうね…こうして普通の時間を過ごせることが、何よりも大切だって思うわ。私たちが戦う理由も、この平和な時間を守るためなんだから。」


守田はその二人の背中を見つめながら、「俺たちがこうしていられるのも、一つ一つの戦いを乗り越えてきたからだ。これからも、守るべきもののために戦うことになるだろう。でも今は…この一瞬を楽しむべきだな。」と静かに言って、再び横たわった。


その夜、三人は町の小さな酒場へと向かい、久しぶりのゆったりとした時間を過ごすことにした。酒場の灯りは暖かく、木のテーブルには美味しそうな料理と香り高い酒が並んでいた。近くの席では、他の冒険者たちが笑い声をあげ、武勇伝を語り合っていたが、三人はそんな喧騒の中でも心からリラックスしていた。


「久しぶりにこんなに美味しい料理を食べた気がする。」零は、目の前に置かれた肉料理を一口食べながら微笑んだ。「戦場での食事とは全然違うな。こういう普通の食事が、いかに贅沢なものかって感じるよ。」


麻美も湯気の立つスープを一口飲み、「温かい食べ物って本当に癒やされるわね。体の疲れも心の疲れも、一緒にほぐれていくみたい…。」と幸せそうに言った。


守田は大きなジョッキを片手に、「俺たちが無事に戻ってこれたことに乾杯だ。」と力強く杯を掲げた。三人はジョッキを合わせ、その音が静かな夜に響き渡った。


「明日からはまた新たな冒険が始まるけど、今夜はこの瞬間を楽しもう。俺たちがここにいること、こうして平和を感じられること…それが何よりも大事なんだ。」零はそう言いながら、穏やかな表情で仲間たちを見つめた。


麻美と守田もそれぞれのジョッキを掲げ、心から同意するように微笑み返した。

外では夜が深まり、静かに星空が広がり始めていたが、三人の心には温かな平和の光が灯っていた。



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料理人のコール


夜が深まり、店内が賑やかさを増す中、酒場の厨房は変わらず活気に満ちていた。

壁に掛けられたランプの揺れる光が、静かに厨房内を照らし、料理人のコールはその光の中で忙しく手を動かしていた。

彼は無駄な動きを一切見せず、まるで長年の経験が染みついたかのように、次々と食材を丁寧に切り分けていた。野菜を薄くスライスする音や、肉を焼くジューッという音が、厨房全体に響き渡っていた。


コールの手は、慣れた手つきで新鮮な肉を鉄板に置き、すぐさまスパイスを振りかける。その瞬間、肉が焼ける香ばしい香りが辺りに立ち込め、壁に整然と並べられた調味料の棚からは、乾燥したハーブの香りがふわりと漂ってきた。彼はすぐにスープ鍋の様子を確認するために振り返り、火加減を微調整した。コールの鋭い目は一瞬も緩むことなく、スープが沸騰しすぎないように細かくチェックしていた。


鍋の中では、ゆっくりと煮込まれている野菜と肉が、だんだんと色濃くなり、香りが一層深まっていく。その芳醇な香りが厨房全体に広がり、コールの鼻孔をくすぐる。彼は鍋を一度掬い上げ、スプーンで味を確かめた。少しだけ塩が足りないと感じたコールは、すぐさま塩の瓶を手に取り、軽く振りかけた。


周囲には、他のスタッフが忙しく動き回っていたが、コールは彼らの動きを一切気にすることなく、目の前の料理に集中していた。壁際の棚には、さまざまなハーブやスパイス、乾燥させた肉や魚が整理されており、それぞれがすぐに手に取れるように並べられている。これらの食材は、酒場の賑わいを支えるために欠かせないものであり、コールにとっては武器のようなものだった。


「次の料理、もう少しで仕上がるぞ!」コールは厨房の奥にいるスタッフに短く声をかけながら、最後の仕上げに取りかかった。鉄板の上でジュージューと音を立てる肉に、特製のソースを流し込む。甘く、かつスパイシーな香りがふわりと立ち昇り、すぐに酒場の雰囲気と混ざり合った。


コールの目には疲れの色が浮かんでいたが、その手は一切止まることなく、次の料理へと向かっていた。厨房の中には、彼の長年の経験が生んだ規則正しいリズムが漂い、その音が静かに夜の時間を刻んでいた。


酒場のホールから乾杯の音が聞こえてきた。

ジョッキがぶつかり合う高い音は、温かく活気に満ちた空間を象徴するかのようだった。コールは一瞬、その音に耳を傾けたが、すぐに集中を取り戻す。乾杯の音に続いて、楽しげな笑い声や話し声がホールから響いてきた。それは、彼が作り上げた料理が、客たちの心を満たしている証でもあった。


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ハルが湖のほとりで軽やかに遊んでいると、遠くから楽しげな声が聞こえてきた。振り返ると、そこには数人の子供たちが集まっていて、彼女をじっと見つめていた。目を輝かせている子供たちは、まるでハルに何か話しかけたそうな様子だった。


「猫ちゃんだ!あんなところに猫がいるよ!」

一人の子供がそう言うと、他の子供たちも興奮したように声を上げた。ハルは少しだけ耳をピクリと動かしながら、興味深そうにその子供たちを見つめた。彼女の中の好奇心が再びくすぐられ、軽やかに彼らの方へ近づいていった。


その中の一人の少年が、猫じゃらしを手にしてハルに向かって振り始めた。ふわりと揺れる猫じゃらしが風に乗り、ハルの目の前で揺れる。ハルの瞳は一瞬でその動きに釘付けになり、彼女の体は本能的に低く構えた。


「にゃ…これは…!」

ハルはそのままじっと猫じゃらしを見つめ、次の瞬間、素早く飛びかかろうとした。少年は猫じゃらしを軽く引きながら、ハルの動きを見守っていた。彼女は俊敏な動きで猫じゃらしを追いかけ、前足を伸ばして捕まえようとするが、少年はタイミングよく猫じゃらしを動かして逃げていく。


「にゃあ!待って、今度こそ捕まえるにゃ!」

ハルは全力で猫じゃらしを追いかけ始めた。飛び跳ね、くるりと回り、また飛びかかる。子供たちはその姿を見て笑い声を上げながら、次々と猫じゃらしを振り、ハルと一緒に遊び続けた。


「すごい!この猫ちゃん、すごく速いよ!」

「もっと振ってみよう!きっと捕まえられるかな?」

子供たちは楽しそうに猫じゃらしを振り回し、ハルも全力でそれを追いかけていた。彼女の無邪気な姿に、子供たちはますます夢中になっていた。



しばらく猫じゃらしを追いかけ続けたハルは、やがて少し疲れたのか、その場にぺたりと座り込んで息を整え始めた。子供たちも彼女のそばに集まり、優しく撫でたり、ハルを囲んで一緒に座り込んだ。


「すごく可愛い猫ちゃんだね」

「いっぱい遊んでくれてありがとう!」

子供たちは嬉しそうに笑いながら、ハルを撫でたり、話しかけたりしていた。ハルはその温かい雰囲気に包まれ、目を細めながら子供たちの手を受け入れた。遊び疲れた彼女は、しばらくの間、子供たちのそばで静かに休むことにした。


「にゃあ…楽しかったにゃ」

ハルは無邪気にそう呟きながら、まどろんでいく。子供たちとの温かなひとときが、彼女にとっても新しい思い出となったにゃー。





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