第2話 覚醒

 途端に混乱の渦に陥った。

 悲鳴を上げて頭を抱え込む者、腰を抜かして言葉を失う者、一目散に出口へ駆け出す者……。それぞれ反応は異なれど、平静を失っているのは一目瞭然だった。


 神話に描かれたドラゴンは暴力の象徴だ。空を黒で染め上げるように群れで現れ、村々を襲う。それに立ち向かった神々も食い荒らし、大きな損害をもたらしてなお、ほとんどが討ち取られなかったとされている。


 ドラゴンが鎌首をもたげ、周囲を見渡す。ギラリと光る鋭い眼光が捉えたのは、出口へ向かって足がもつれながらも走る男だった。

 長椅子を蹴散らし後を追うドラゴン。跳ねるような一歩で瞬く間に距離を詰め、彼に重なる。

 その先で起きたことはドラゴンの巨体で隠れて見えなかった。しかし、出口が開くことはなかった。


 殺すために殺しに来ている。そう悟った。


 一連の出来事が起きている間、その光景を受け入れられず何をすることもできなかった。

 このままでは殺される。ようやくそのことを理解し、ここから逃げなければならないことに思い至ったものの、出口にはドラゴンが立ち塞がっている。動くに動けず、ウッラ修道士とともに長椅子の陰に身を潜めた。

 しかしどれだけの意味があるだろう。ドラゴンの前脚が散らばった長椅子を踏みならしていく。

 一歩一歩、狙いを定めた獲物を逃がさないと言わんばかりに、視線はこちらに据えたままゆっくりと近づいてくる。


「私が囮になります」


 声を上げたのはウッラ修道士だった。


「いけません! あなた様がいなければ戦いの備えに差し障ります。御身をお考えください」


 しかし付き人の一人がそれに異を唱えた。


「私の役目はより多くの方の授かった力を目覚めさせることです。力を授かった方を失っていては意味がありません。そして何より大人の役目として、若い子供達を守らなければならないのです」

「でしたら、わたしの役目はあなた様をお守りすることです」


 ウッラ修道士が説得しようとするが、付き人も負けじと反論する。


「ではこうしましょう。囮はわたしが務めます。その間にあなた様は皆様を連れて避難してください。これならわたしもあなた様も役目を全うできます」

「……フェデルゼヨルドの神々の御加護があらんことを」


 そこでウッラ修道士は説得を諦めたようだ。付き人がドラゴンの前に立ち塞がり剣を抜く。


「わたしが囮になります! 皆様は早くお逃げください!」


 いよいよ距離を詰めたドラゴンが前肢を振りかざす。

 しかし、それは振り下ろされることはなかった。横から飛び出したヴィダルがドラゴンの顎を殴り飛ばしたのだ。


「あんた達言ったじゃないか! 悪魔と戦う力だって! それが今ってことだろ!」


 顎を揺らされ一瞬怯んだドラゴンだったが、直ちに頭を振り戻し、その勢いのままヴィダルを頭突きで突き飛ばした。さらにそれを追いかけ、床に倒れたヴィダルに向け大顎を開いた。

 このままではヴィダルが丸呑みにされてしまう。そう思ったが、すんでのところでヴィダルはドラゴンの鼻先を両手で押さえ、下顎に足を掛け、突っ張り棒のように留めた。

 ヴィダル、なんで君がそんな目に遭ってるんだ。君はただの村人で、悪魔と戦う役目なんて負ってないだろう。


「ヴィダルを離せ!」


 誰かが叫んだ。それに続いて炎や氷の塊が立て続けに撃ち込まれる。攻撃を受けたドラゴンはヴィダルを取り離し、代わりに攻撃した彼らの方を向いた。


 みんなもだ。力があるからってどうしてそんな危険に身を晒せるんだ。

 これじゃあ自分だけが臆病者みたいじゃないか。囮になってくれる人がいるんだから、その隙にみんなで逃げればいいじゃないか。

 ……いい訳がないだろ!

 一人襲われたのに、ヴィダルが襲われているのに、囮になった人が襲われるのに、そこから目を逸らして、逃げて、逃げて、ずっと逃げ続けて、この先目を瞑り続けて生きるなんて嫌だ!

 だれか僕に戦えと言ってくれ……。


『――頼む』


 その言葉は胸の奥底から聞こえた気がした。

 夢で見た白い光が頭の中に蘇る。そうだ、僕にも託されたんだ。守るための力を。


「覚醒の儀を続けてください」

「貴方まで戦うのですか。いえ、勇敢な方は大いに歓迎します。……と言いたいところですが、あのドラゴンが現れた拍子に水晶を落としてしまいまして」


 ウッラ修道士が指した先、水晶はドラゴンの足もとに転がっている。


「すまない、そのまま注意を引き付けてくれ」


 ヴィダルたちにそう言い、水晶に向かって走り出した。


「おいフィン、お前は力が覚醒してないだろ!」

「だから水晶が要るんだ」


 ドラゴンの足もとにある水晶を指差す。


「そういう事か。任された!」


 ヴィダルがドラゴンの首に掴みかかる。しかし、力があるとは言っても人間の体重では抑え込むことができず、首に掴まったまま軽々と持ち上げられた。

 ヴィダルを振り払おうとドラゴンが暴れる。猶予は無い。

 瓦礫の山を踏み越え、水晶に飛びつく。その勢いを殺さないように、転がるように受け身を取り、拾い上げた水晶を抱えて再び走り出す。

 ヴィダルは……無事のようだ。丁度降り立ち、距離を取っていた。


 ウッラ修道士が柱の陰で手招きをしている。踵を返し、ウッラ修道士に向かう。

 手に持った水晶にウッラ修道士が触れた時。



 白い空間にいた。

 あの時の夢で見た場所だ。とすると白い光は。


「ここだ」


 胸の奥底から響く声と共に周囲が光に満ちていく。これが神の力かと眺めていると、やがて光は人の形に収束し、神と思しき存在が姿を現した。


「我が名は『抹消の権能』だ」


 そう名乗った存在は、純白の布を纏い、少年とも少女とも取れる顔立ちをしていた。

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