第10話 アリッサとモモ
近頃モモの様子がおかしいとアリッサは感じていた。以前のように後を付いて回ることも少なくなり、気がついたら一人でいることが多くなっていた。そして父とよく話をしている。何を話しているのだろうかと思うが、何となく聞き出せないでいる。
面白くはなかったが、弱みを見せるようなことはしたくなかった。結果アリッサ自身も一人でいることが多くなってしまった。
まあいいわ。アリッサはそう思うことにした。私も暇じゃないからと。
もうすぐアリッサも十五だ。はやい子はもう結婚相手が決まる年齢であり、十六になれば求婚もされ始めるだろう。事実、本人が知らないだけで、いくつかの話は両親の元に来ているようだった。
当然アリッサも結婚について考えることがある。そして自分の価値についても正しく理解していた。
自分は美しい。有力な商家のお金をかけた子供よりも、貴族の子女よりもだ。自惚れではなかった。しかし、それと同時に自分にはそれだけだということも知っていた。
見かけだけの女。
食事の作法も知らないし、踊ることも出来ない。文字の読み書きもだいぶ怪しい。
このままでは下町の冴えない、どこかの男とくっつけられてしまう。そんなことは我慢がならなかった。
従兄弟との結婚も考える。つまりはモモだ。別に珍しいことではなかった。モモは姉として以上に好意を持っていることは気がついている。それを知った上で揶揄いもする。アリッサも弟のような従兄弟のことは嫌いではない。
けど、あの子は何も持っていない。それでは私の人生は何も変わらない、このままだ。
アリッサはそれが怖かった。母のように疲れて、陰気で、痩せ細っていくのが怖かった。
ある日のことだった。いつものように雑用を終わらせて家に帰ると、下町には似つかわしくない豪奢な馬車が停まっていた。アリッサは御者に見つからないように馬車を値踏みする。豪奢ではあるが品が無い。おそらく貴族などではなく、何処かの商家の物であろうと判断した。
そして一筋の希望、確信にも似た期待があった。この通りには年頃の娘は自分だけだ。商家が馬車を出してまで、こんな下町に訪れる理由は一つだと。
この馬車に使いの者だけが乗ってくるとは思えない。
アリッサは手櫛で髪を整えると、顔を撫でるように確かめた。
自分の格好を見る。見窄らしい下町の娘そのものだ。アリッサは自分に言い聞かせる。「大丈夫。相手はそんなこと承知の上で来ている筈よ。」演じ切るのだ。素朴な町娘を、親思いの優しい娘を。相手が何を望んでいるか見極めろ。
アリッサは震える自分を笑った。ここまで考えて勘違いだったらただの馬鹿ね。ゆっくりと深呼吸を二度とする。自然に、何も知らない少女が普通に家に帰るだけ。
角を曲がると自宅前に身なりの良い男が、毅然と立っていた。下町の貧しい平屋とはあまりに合わない光景だった。
男がアリッサに気がつくと、そのままこちらに向かってきた。
「アリッサさんですね。初めまして。私はモルデン商会の番頭を務めさせていただいております、バネーシャと申します。」以後お見知り置きをと、美しいお辞儀をされたアリッサは完全にのまれてしまった。
「今、ご自宅には我が商会の主であるモルデン会長が居られます。突然のことで驚きだとは思いますが、中で主の話をお聞き下さいませ。」
こちらにと誘導されるアリッサは、ここは私の家なのにと少し可笑しな気持ちになった。
家に入るとでっぷりとした口髭をはやした中年が座っていた。我が家の椅子ではない。持ち込んだのだろう。そうね、汚い椅子に座ってその
母は緊張と不安でただでさえ不健康そうな顔を更に青くしていた。父を見ると意外なことに堂々としている。普段の小心者振りが嘘のようだ。部屋を見渡すがモモの姿は見えなかった。
父がこちらにおいでと手招きをする。目の前の男を紹介しようとすると男は手をあげてそれを止めた。
男の尊大な態度にアリッサは苛つくが、態度に出すわけにはいかない。
「私はモルデン。街で商会を営んでる者だ。今日こそは良い返事をいただきたくてね、こうして直接伺ったわけだよ。」
アリッサは母の顔を見る。
「やはり何も伝えていないか。まあいい。はっきりさせようじゃないか。アリッサ、お前は私の息子、三男のバンデンと結婚してもらいたい。」
三男?長男ではないのか?商会の三男とはどの様な立ち位置なんだろうか?アリッサは不安に思うが聞くことなど出来ない。
黙り込んだアリッサを見て、母は突然の話に困惑していると思い込み立ち上がった。
「大丈夫よ母さん。少し驚いただけだから。」
「悪い話では無いではないか。もちろん結納金だってたっぷり用意してやる。両親に楽をさせてやれ。」
それを聞いた父が少し怒ったように立ち上がる。
「アリッサ。私たちは金に困ってなどいない。断ってもいいんだぞ。」
モルデンは父を面白くなさそうに見る。
「私この話受けるわ。」
父と母が驚いた顔でアリッサを見つめる。
モルデンは「娘さんの方が賢いではないか。」と笑い始めた。
父が何か言おうとするが、アリッサがそれをとめる。
「大丈夫。私、後悔なんて絶対にしないから。」
モルデンはアリッサを見ると少し驚き、そして目を細めた。
帰りの馬車に揺られながらモルデンは考える。あの娘はただの町娘ではなさそうだぞと。あの娘は一度も息子について尋ねなかった。容姿も年齢さえもだ。これはあの出来損ないでは、御しきれないかもしれんなと笑った。
モモがこのことを知ったのは三日後であった。アリッサが両親にしばらくモモには言わないようにお願いしていたのだ。どうやら近所の噂話を耳にしてしまったらしい。
「アリッサ結婚するって本当?」
モモは今にも泣き出しそうな顔だ。いつかこんな日が来るとは思っていた。でも、あまりに突然すぎたのだ、心の整理がつかない。
「本当よ。十五になったら花嫁修行として向こうの家に行くわ。そして十六になったら結婚よ。」
十五になったら?もうすぐじゃないか。モモはどうしても納得がいかない。こんな風に心の準備もなく、愛する姉を取られてしまうことが許せなかった。伯父や伯母は納得しているのだろうか。相手は王都にまで店を構えるような大商会と聞いている。結婚してしまえば家族と言えども簡単には会えなくなるに違いない。話を聞きたかったが二人はモルデンに呼ばれて商会まで出かけていると言う。
アリッサはモモの手を握る。
「モモは私のことが大好きなのね。」
モモは頷くことしか出来ない。それでもどうにか手を強く握り返した。アリッサはモモの唇に優しく触れる。モモは緊張で顔を赤くする。アリッサは微笑むとほんの一瞬、唇を重ねた。
「アリッサ?」
驚くモモの背中に手を回すと、力いっぱい抱きしめる。
「私は私の人生を手に入れたいの。その為の武器はこの身体だけ。だから、これ以上のことはしてあげられないの。ごめんね。」
モモも十三歳だ。アリッサのこれ以上が何を言っているかぐらいは分かる。結婚前に神殿で、花嫁としての資格があるかどうかの確認をすることも知っていた。今過ちを犯せば、今回の話は流れてしまうだろう。
モモは息を飲む。つまりアリッサを手に入れる最後の機会が今なのかもしれないのだ。
そんなモモの考えを見透かしたのかアリッサは笑う。
「モモはモモの人生を手に入れなさい。そしていつか立派になった姿を私に見せてちょうだい。」
モモは声をあげて泣いた。
その夜、一人の少年が街から消えた。
迷宮番外地 〜ロクデナシ共の人生を笑え〜 みふもと 乃多葉 @kahee
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