第3話 賽子のカシャ


 この街の外壁の先に迷宮と呼ばれる人智を越えた存在がある。


 迷宮がこの世界にどれだけの数が存在するのか、そもそも何故存在するのか、誰も知らない。様々な人間が、もっともらしい理由を語るが答えは無いのだ。

 しかし迷宮がもたらす恩恵が、脅威を上まると知ると人々はその欲望をあらわにして押し寄せた。

 その欲望を、恐怖を、歓喜を、ありとあらゆる感情を糧として迷宮は更に大きくなった。

 人が踏破を目指して奥へ奥へと進めば、その散り行く命の代償とばかりに迷宮は欲望を形に変えた。

 それはまばゆい財宝であり、英雄たらしめる武具であった。


 迷宮の発見より数百年の月日が流れた現在、迷宮を求めて集まった人々は、街に収まりきらなくなり外壁の外に更に街を築き始めた。番外地の誕生だ。


 角灯に誘われる羽虫のように、迷宮の欲望に群がった人々は善良な者ばかりではなかった。むしろ善良な者など僅かであったに違いない。街の外に住む者は街に入ることすら難しくなり、街の中で罪を犯した者は、番外地へと逃れ、更に治安を悪化させた。

 迷宮は欲望を捧げた者に力を与える。迷宮に溢れる莫大な魔素は、その者のさがなど選びはしない。善も悪も等しくだ。

 


 羨望を集めたはずの迷宮探索者は、いつの日からか地下の邪魔者モグラと呼ばれ賤業の誹りを受けることとなった。


          ⭐︎


 癖のある小麦色の髪を撫で付けるが、どうしても跳ね上がってしまう。少年はついに諦めたのか自分の頭をぐしゃぐしゃにかき混ぜた。

 成長期の身体は日に日に身長を伸ばし、同い年の子どもたちより頭一つ大きかった。内気だった幼少期の名残か、目立つことを嫌う少年は身を屈めるように歩き、猫背がすっかり癖になってしまっていた。

「なんだキツネ、髪なんざ気にして好きな女でもできたか?」

 キツネと呼ばれた少年は嫌な顔をして声の主を見た。

「そんなんじゃねえよ。ちょっと気になっただけだっての。そういう親爺さんおやっさんは気にする髪もだいぶ少なくなったんじゃねえか?」

「言うようになったじゃねえか。口ばかり達者になりやがってよう。」

 そう言いながら、嬉しそうに禿げ上がった頭を撫でた。キツネが串焼き屋の娘に惚れているのは見ていればわかる。その初々しい態度を見ていると、つい揶揄いたくなるのだ。


 二人は似ても似つかない。親爺さんと呼ばれた男は五十は過ぎているだろう。一三歳になったばかりのキツネとは親子ほどに年齢が離れているが、身長はもうすぐ追い抜かされようとしている。お世辞にも男前とは言えない小柄な親爺さんに比べて、キツネには異性を惹きつける魅力があった。血のつながりは無い。番外地に置き去りにされたキツネを親爺さん……カシャが気まぐれで拾ったのだ。子供も弟子もいないカシャは、自分の盗賊としての技を誰かに伝えてから人生を終わりにしたかったのかもしれない


 迷宮から番外地へと続く道の両脇には、露天や屋台が所狭しと並び、間もなく日没だというのに活気に溢れている。


「今日は煮込みでも食って帰るか?串焼きは昨日食ったしな。」

 親爺さんは意地の悪いことを言い、ニヤニヤと笑っている。

「どっちかって言うと串焼きの気分かな?まあ別に、どっちでもいいんだけどよ。」

 どっちでもよくないキツネは、とぼけ顔で串焼き屋に向かって歩き始めている。これ以上揶揄うと面倒なことになるのはよく知っている。優しい目でキツネの後ろ姿を見ると黙って後に続いた。


「キツネ、先に帰ってろよ。」

 食べ過ぎたと苦しそうに爪楊枝を咥えたキツネは、忙しく働く串焼き屋の娘を目で追っていた。

「またサイコロかい?頼むから熱くなって商売道具まで賭けないでおくれよ。」

 あんときゃ大変だったと、二人して苦笑いをする。

「笑い事じゃないよ、親爺さん。依頼を受けた後に、道具を取られるとかおかしいだろ。俺の初心者用の練習道具で、石化の罠を解除したんだぞ。」


 カシャは鍵と罠の解除を生業としていた。宝箱でも扉でも開けられない鍵は無いと豪語している。その腕は番外地でも名が知られている。問題は博徒の間では鴨葱として更に有名なことだ。指名の多いこの男は、本当ならどこかの組で幹部の椅子を買える程に稼いでいるが、いつも素寒貧だ。弟子に飯をたかることなど日常茶飯事であった。


 カシャは衣嚢にいつも仕舞っている賽子を取り出すと、串焼きの油にまみれた卓に転がす。

「今日は南が吉と出た。泣きべそ横丁に決まりだ。」

「何が吉だよ。そんなもんが当てになるなら、あんた今頃大金持ちだよ。」

 泣きべそかくのは親爺さんだろ、と言うキツネに背中を向けたまま手を振って消えた。


 カシャが賭場を出ると、辺りの酒場は殆ど看板になっており僅かな灯りが遠くに見えるだけだった。

 夜目が効くカシャに不便はないが、賑やかな雰囲気が好きな男なので物音一つしない夜風が尚更に寂しさを増してくる。

 今夜の博打はなんの見せ場も無くトントンで終わった為、心に歯切れの悪さを残してしまった。

 「こういう時に酒でも飲めりゃ寝つきも良くなるもんかね。」一人ごちるがもちろん返事は無い。


 ネグラに帰る道のりは毎度同じことを考える。組が無くなって三十年、それからは一本独鈷でやってきたカシャには家族も弟子もいなかった。飯を食い、サイコロを転がしネグラで一人、不貞寝をするだけの日々。あの時キツネと出会わなければ間違いなく、そんな不毛な日々が続いていた。そう考えるとカシャは無性に怖くなる。今からまた一人なんて耐えられないと。もちろんカシャにも友人ぐらいはいる。この世界も長いので親分衆に多少の顔だって効く。でも、そういうことじゃないんだ。孤独を癒すってのは無条件の奉仕なんだ。誰かを慈しむってことなんだ。カシャはそう考える。自然に足は速く速くとネグラへと向かった。


 ネグラへと帰るとキツネはボロ布を身体に巻き付け、寝息を立てていた。年相応の寝顔に自然と顔が綻ぶ。

 入り口の扉代わりの板を閉じると、御守り程度の効果しか期待できない鳴子を掛け直し、キツネを起こさないようにとそっと自分の寝台に滑り込んだ。

 キツネの寝息を聞いていると自然に瞼が重くなる。

 へへっ、酒なんていらねえな。そう思うと、あっという間にカシャは眠りに落ちた。

 

 

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