第2話 五番街

 街の北に位置する貴族街から一番街へと、南に進む大通りでは、華やかだが落ち着きのある街並みが続く。管理された街路樹が木陰をつくり、その下には憩いのための長椅子が用意されている。二番街へ差し掛かると商人たちが活気のある生活を送っていた。


 煉瓦で作られた建物は、高いものになると五階にも及んだ。

 そういった建物の多くは大商会の持ち物であり、窓には王都でもまだ珍しい硝子がはめらていた。

 大通りの石畳にはところどころに色が付けられ、様々な模様が描かれている。


 通りを歩く人々は身なりが良く、表情も明るい。朗らかに挨拶を交わし、立ち止まっては他愛の無い会話で相手の懐具合を探り合っていた。


 馬車が見られるのは、多くの商業組合や工業組合が存在する三番街までだ。ここまで来ると煉瓦造りの建物より、木造二階建て程度の質素な建物が並び始める。


 通りの石畳も実務的なもので、洒落た模様なども一切存在しない。荷を積んだ馬車がすれ違っても余裕がある幅が、三番街の自慢だ。また、表通りから外れると、土や砂利を引いただけの道になり、治安も少しづつ悪化する。


 陽が落ちると術師たちが街燈を灯してまわった。

学院の赤い外套に身を包んだ半人前たちが、小銭稼ぎとして斡旋して貰っている仕事の一つだ。


 生徒の多くは若い。その殆どが貧乏貴族の子弟になり、爵位を継ぐことも、財産の分与も無い三男、四男の集まりだ。その為、上位貴族からは嘲りの対象となっていた。


 この街燈は四番街の中ほどにある大広場まで続き、東の壁門で終わりとなる。

 

 外壁で囲われたこの街の唯一の門が東の壁門だ。

 たとえ、王侯貴族であってもこの出入り口を使う他にない。


 広場から一刻も歩けば、この街で一番高い建物、望楼に辿り着く。この櫓から望む景色は絶景としか言いようがなかった。王都に次ぐ人口十万の大都市を一望できるだけではなく、王都に続く東の街道も見ることができた。

 もちろん、大迷宮の巨大な入り口も、そこに巣食う番外地の姿も全て望める。

 また、この街のどこからでも見ることが出来る唯一の建物が望楼であり、その先端に聳える大鐘楼は毎日、日の出と正午の二度鳴らされた。


 四番街の残り半分は市場がその殆どを占めている。王国一の港湾都市と並ぶ巨大市場だ。


 陽が昇り切らぬうちに多くの行商人が、街に入るための行列に並び、彼らの持ち込んだ様々な商品が、早朝の市場を活気づかせる。冬季になっても比較的温暖な王国では豊富な食料に恵まれていた。その食料を求める他国の行商人たちは、荷車を空にしてはやって来ない。その国、その地方の特産品を山のように積んで、長い道のりをやって来るのだ。東は華国ファンこく、北からは聖王国、大陸の遥か南の先端に位置する自由都市から、世界中の嗜好品、贅沢品がこの街に運び込まれる。


 そしてその商人たちを誘惑するのは、四番街から五番街へと続く歓楽街だ。


 歓楽街を照らす灯りの殆どが安い獣の脂だ。鼻を強く刺激する獣臭が通りを覆う。


 歓楽街の喧騒は西方語、東方語はもちろん華国語、聞いたこともないような民族や部族の言葉で溢れている。

 只人と山の民が同じ酒を飲み、竜人と森の民が同じ皿から料理を取り分ける。酔っ払い何かを叫び訴える者、羽目を外しす過ぎて連れて行かれる者、肩を組み故郷の歌を唄う者と様々だ。


 そして、立ち並ぶ酒場や飯屋は王国風に留まらず、故郷の味を求める商人や旅人のための郷土料理店が、看板を出していた。

 長い旅路で幾度も故郷の夢を見た後だ、懐かしい匂いに誘われて財布の紐を緩めてしまう。


 歓楽街の奥へと進めば、嫌でも目に入るのは娼婦や男娼たちだ。

 娼館を表す朱に塗られた門前で、客引きをする者たちは人間だけではない。あらゆる種族の者が男女問わず、色目を使って声をかけてくるのだ。


 歓楽街を含む一帯を下町と呼び、その中心である五番街には貧しい者たちが、肩を寄せ合って生活している。


 隙間風が入り込み、雨漏りが当たり前の集合住宅に不満はあれど、他に行く所のない者たちだ。

 共同の井戸を使い、共同の窯でパンを焼く。寄り合い費が出せない困窮者は、隣人が助け合うのが当たり前になっている社会だ。貧しくとも心は荒んでいない。


 五番街を南西に進むと、なだらかな丘がありその上には古い礼拝所が建っている。その丘を外壁に向かって越えると雑木林が広がっている。雑木林といっても野生の動物がいないだけで、ちょっとした森ぐらいの大きさがあり、慣れない者は簡単に迷子になってしまう。


 その雑木林から枯れ枝を集めるのは、下町の子供にとって日課になっている。

 枯れ枝集めと水汲みは避けては通れない生活の一部だ。



 枯れ枝を籠に入れると少年はため息を吐く。

姉に置いて行かれてしまったからだ。いつものことだが、アリッサは雑用をモモに押し付け、何処かに行ってしまう。そして終わった頃を見計らって戻ってくるのだ。何処かで監視でもしていたのではないかと、疑いたくなる程にピタリと当ててくる。


 他の子供と会いたくないモモは、いつも外壁の近くまで時間をかけてゆっくり歩く。音を立てないように静かに、そして周りを常に見渡し警戒している。髪が黒いこと、親がいないこと、そして何よりアリッサと同じ家に住んでいるという理由で虐められるからだ。

 美しいアリッサを想っている少年の何と多いことか。その一方的な恋心は、他の同年代の少女たちがアリッサを遠ざけるには十分な理由になった。

 友達の出来ないアリッサはモモと一緒にいることが多くなり、尚更にモモが虐められる理由になった。


 もう少しで外壁が見えてこようという場所まで来ると、人の気配を感じた。慌てて木の陰に隠れるが、向こうはとっくに此方を見つけていたらしい。


 黒い修道服を着た少女だ。歳はモモと同じぐらいだろうか。丘の上にある礼拝所の修道女である。やはり枯れ枝を集めに来ていたようだ。モモを見つけると露骨に嫌そうな顔をしている。

「あなた、いつもお姉さんの後ろに隠れてる子でしょ。」

 うなじの辺りで一直線に切り揃えられた、綺麗な亜麻色の髪が日光を反射して輝いて見える。顔立ちは整っているが、そばかすが目立ち、険のある目つきは敵意が見て取れた。

 モモは俯き、目を逸らす。

「いつもそう。そうやって目を逸らして失礼だわ。」

 走って逃げ出したくなるが足が震えて動かない。

「お菓子を貰いにくるけど、一度だってちゃんと目を見て、お礼を言ったことなんて無いじゃない。」

 少女は籠をおろすとモモに向かって歩き始めた。

「あなた、親に捨てられたって本当?」

 意地の悪い声だが、強がっているようにも聞こえる。

 モモは泣きたい気持ちを抑え言い返す。

「す、捨てられたんじゃない。死んじゃったんだ。だから、捨てられたんじゃない。」

 少女は目を細めるとモモの顔をじっと見る。

「お母さんはどんな人だったの?お父さんは?」

 手は汗ばみ、心臓が早くなる。上着の裾を握りしめて、落ち着こうとするが声が出ない。

「もしかして、知らないの?ははは、やっぱり捨てられたんじゃない。」

 少女は嬉しそうに笑うと、小さな声で「じゃあ、私と一緒ね。」と泣きそうな顔をする。

 モモは何を言っていいのか、何をすればいいのかわからない。

 自分の籠を持ち上げると逆さまにひっくり返し、集めた枯れ枝を少女の籠に移しかえた。

 突然の行動に少女は目を丸くすると、怒り出した。

「馬鹿にしないでよ!」

 驚き、怒り、泣き出してしまった少女を置いてモモは走って逃げ出した。

 

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