迷宮番外地 〜ロクデナシ共の人生を笑え〜

みふもと 乃多葉

序章

第1話 栗毛のアリッサ


「ねえアリッサ、早くしないと焼き菓子がなくなるよ。」


 街はずれの緩やかな丘にある古い礼拝所では、数人の修道女が共同生活を送っており、時折貧しい家の子供や孤児に対して、パンや焼き菓子を振る舞うことがある。


 修道女の年齢は様々だ。年老いた者もいれば、共同生活を始めたばかりの少女までいる。


 年齢は皆違うはずなのに、同じ服を同じ様に着て、同じ様に微笑む彼女たちが同じ人間に見えて、幼い少年にはとても怖いことに思えた。


 建て付けの悪くなった扉や、光の漏れる軒先を見ると、施すより先にやらなければならないことが沢山あるように思える。


 朝から礼拝所の焼き菓子を楽しみに待っていた少年は、草花が青々と茂った丘をかけ登り、誰よりも先に焼き菓子にありつこうとした。

 優しく声をかけながら、丁寧に一人一人、焼き菓子を手渡してくれるのは最年長の老女だ。

 少年は老女が視界に入らないように、俯いたまま、か細い声で礼を言うと逃げるように礼拝所から走り去った。

 


 手に入れた菓子を宝物のように両手に乗せて、自慢げに姉と慕う少女に見せつける。

 少年の小さな身体が、息を切らせながら少女の反応を待つ。

 褒めてくれるに違いない。もしかしたら丘の上まで手をつないで行けるかもしれない。少女の美しい指を見つめて胸をたかぶらせる。


 三年前、母の兄だというアリッサの父に引き取られてから、そこで生活をしている。それ以前のことは何も覚えていない。まるで記憶にもやがかかったようだった。伯父は母親を亡くした心の痛みのせいだと言っていた。その母親の顔も思い出せない。伯父の話では、父は少年が産まれる前に死んだらしい。そんな少年にとって、そこで出会った十歳のアリッサは、全てと言ってよかった。兄弟のいないアリッサは、弟が出来たと喜んでくれたが、貧しい生活を送る伯母は常に迷惑顔であった。小さな借家に家族三人でも手狭だったのだ。そこに子供とは言え知らない男を住まわせるのだ、気分が良い筈がない。伯父に母のことを尋ねても何も教えてはくれない。小心者ではあったが、善良な伯父を困らせないように、痩せこけて陰気な伯母を怒らせないように、常に誰かの顔色を伺う毎日であった。

 そんな生活の中で、姉の言うことを聞き、姉を喜ばせることが最も重要なことだった。


 初夏の日差しが少年の額を汗ばめさせ、黒い髪をはりつかせる。

 子犬のようなすがりつく視線に少女はため息をつき、少し意地悪な目を少年に向ける。

 「私がその蜂蜜も干し葡萄もケチった、喉が渇くだけの焼き菓子を喜ぶと思ったの?」

 心底がっかりした、と言わんばかりの態度に、少年の息が止まる。

「まあでも、その態度は嫌いじゃないわ。私を喜ばせようとしたことは褒めてあげる。」

 少女は、肩の先で切り揃えた美しい栗色の髪を手で払い上げると、少年に微笑む。十三歳とは思えない大人びた仕草だった。

「おいでモモ。」

少女は少年―モモにその美しい手を差し出す。

モモは手の平の菓子を地面に落とすと、まるで取り憑かれたように少女の手を握る。

「さあ暗くなる前に枯れ枝を集めましょう。母さんに叩かれたくないもの。」

少女は満足そうに土にまみれた焼き菓子を見つめた。

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