第3話


 学校での日程をすべて終わらせた後、私は早足で帰宅をする。部活にも入っていなかったし、特に友人などもいない私にとって、放課後とはただ家に帰るだけの時間でしかない。


 家に帰ってやるべきことはいくつもある。


 父が死んだことによって、私は叔母の家に引き取られることになった。叔母の家はそう遠く離れているわけではないため、通う高校については変わらないものの、引き取られるにあたって身辺整理をしなければならなかった。その期限はおおよそ一週間とされている。


 父が使っていたものだったり、私がこれから使い続けるものだったり、父が大切にしていた母の遺品であったり、そういったものを整理しなければいけない。正直、面倒としか思えないけれど、ここで掃除をしなければすべてのものが捨てられてしまうことにつながってしまうかもしれない。そんな未来を私は選びたくないし、父が残してくれたものは、私が大切に保管しておきたい。そんな気持ちで感情を引き締めて、私は帰宅をした。


 ただいま、と間延びした声を家の中に響かせて、その空虚さに笑ってしまいそうになる。


 ただいま、という声はいつだって空虚に響いていた。父は夕方、もしくは夜遅くに帰ってくるのだから、声が空しく響き渡るのは仕方がなかった。それでも、父が帰ってくれば、私は父に、おかえりなさい、と声をかけていた。それにただいま、と返してくれる父の姿があった。それだけで、私は報われたような気がしていた。


 これから先、私は父に、おかえり、という言葉を吐くことはもうない。ただいま、という言葉が返ってくることもない。


 そんなことを考えると、途端にあらゆることが空しく感じてしまう。


 私は、ふう、と息を吐いた。





 掃除をする気分にはならなかった。広くなったように感じてしまうアパートの中で、私は畳の上で横になるだけの時間を過ごしていた。


 思考は働かなかった。ただ空虚な時間を過ごしているという自覚だけがあった。目覚まし時計として使っているアラームの、秒針を刻む音だけが耳に入っていた。それ以外に音を探してみれば、煩わしく感じる自身の呼吸も聞こえてきた。音はそこかしこにあった。


 何かをしなければいけない。何か、と具体性のない言葉ではなく、きちんと目的意識のあることをしなければいけない。ああ、そうだ、掃除をしなければ。整理をしなければいけないはずだ。


 でも、期限までは一週間ある。まだ時間は余分にある。残されているのだから、今日片付ける必要などないのではないか。そもそも、私は整理をするための段ボールも買ってきてはいないじゃないか。


 ふと回り始めた思考。呆然としていた意識と時間を取り戻すように、活発に思考が働いていく。


 とりあえず、ホームセンターにでも行こう。


 私は、制服のままで外に出ていった。





 ホームセンターまでの道中、小腹が空く感覚があった。昼食もまともには食べられなかったし、何かしらを胃の中に入れないといけないような気がした。まともな食事をこの三日間で食べることはできていない。そろそろマズいな、という焦燥感があった。


 ホームセンターの中にはフードコートがある。フードコート、といっても食事を提供しているお店は二つしかないけれど、軽食を済ませるという目的だけであれば、理にかなっているような気もする。


 私はホームセンターにたどり着いた後、まずは腹ごしらえをする気持ちで、とりあえず頭の中で考えていた通りに目的の場所へと移動をする。定食を掲げているお店にするか、それとも喫茶店のようなメニューを押し出している店にするか、一瞬迷ったけれど、そろそろまともな食事をした方がいいと思って、定食のほうを選択した。


 メニューは生姜焼き定食を選択した。それ以外のものは少しばかり高値に見えてしまったから、仕方なく安価だったそれを選んだ。野菜もついているし、悪くはないだろう。


 まばらでしかないフードコートの座席周りで、自分自身の場所を確保した後、定食屋の呼び出しベルが鳴るのを数分待った。水を準備すればよかったな、とか考えた頃合いでベルは震えたので、私はそれを持って定食を受け取りに行った。


 店員の朗らかな挨拶を耳にしながら、私は近場にあったドレッシングをキャベツにかけた。味はどれでもよかったから、目についたものをとりあえず入れた。自席に帰ってくる途中で紙コップに水を注いで、自分の席のほうへと移動をした。テーブルのほうにトレイを載せて椅子に座って、予定通りにそれを食べていく。


 


 味がしない。




 米は粘着質な糊のような感触だった。生姜に浸されて焼かれた豚肉は、その繊維だけが妙に歯へと絡みつく感覚があった。野菜を食しても、ドレッシングの風味を感じなかった。漬物は水っぽい舌触りと芯のある噛み応えだけを感じる。この中では一番マシに思えてしまうような雰囲気。それらを味噌汁で飲み込もうとするけれど、味噌の風味はおろか、舌にささるような熱いだけの温度が障ってくる。




 味が、しない。




 私は、それでもなんとかそれらを食べることにした。





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