孝行の始まり

 「母さん、これ…」


 少年は椅子に腰を掛けた母親に花束を差し出した。母は飲んでいる途中であった紅茶の入ったコップを机に置いて、少年の方に体を向けた。


 「あら。嬉しいわ。」

 

 少年が手の中に花束を携えているのを見て、母親は思わず喜びがこぼれる。


 あっ…と母親は思う。自分の息子にその花束の意味を説明させようとするチャンスを逃してしまったからだ。もろもろの会話をすっ飛ばして感想を口走ってしまった。


 「っていうことだから、はい。」


 少年はそう言うと、もう自分のやるべきことは終わったと思ったのだろうか、母親のもとを離れようとした。

 

 「ねえ、待って。」

 「ん、何?」

 「この花束は何なのか説明しなさいよ。」


 そう言うと母親はもらった花束を息子の手の中に無理矢理返し、花束の説明を求めた。

 少年の手に帰った花束を母親は初めてここでしっかりと見る。

 包まれている花は二輪だけであり、茎の部分は乱雑に灰色の色紙で包まれている。  リボンの結び目を見ても、ちょっと斜めになっている。


 「…この前、母の日だったでしょ。」


 少年がそう口にした瞬間、母親の顔が綻ぶ。


 「へぇ~。そんなことする男だったんだ。」


 少しだけ母親は息子をからかってみたい気になったのだろう。意地悪をする口調で少年を詰める。少年は「別に」と返事をしてからというもの口を閉ざしてしまった。口をすぼんでいる自分の息子の姿を見ていると母親はまだ息子は自分のモノなんだなと安心した。


 いつかは離れていくであろうけれども、まだもうちょっとだけ先と分かっただけでいい。そこそこいい男なんだから、もうすぐにでも彼女でも作って、その彼女に花束でも渡して、自分には渡してくれなくなってしまうんだろうけど。それに、いつまでも自分のモノなんて言ってらんないし。これが最後の花束かもしれないな。それでもいいか。もらえなかったかもしれないし。

母親は息子の花束を見ながら、嬉しさとこれが最後かもしれない悲しさに浸る。


 「それで、説明してよ。」

 「ああ、これは店長が薦めてくれた花たちで、カーネーションと、スイートピーっていう花なんだって。花言葉とかわかんないけど…。」

 「別にいいんじゃない?」

 「えっ?」

 「だって花言葉なんて誰かが決めたものでしょ。そんなものはっきり言ってさ、どうでもよくない?それでさ、ユウタはこの花にどんな意味を込めてくれたの?」

 「別に…、店長がくれたものだから込めた意味とか特にないよ。」


 花束は母親に向けたもののはずなのに、少年の手の中に納まったままだ。

少年にも本当は込めた意味はちゃんとあった。


 店長から、母の日なんだから花束ぐらい渡しなさいよという催促を受けたのもあったけれど、自分でちゃんと花を買うつもりだったのだ。それに、店長が選んでくれたと言ったが、本当は店長が選んでくれたというのは付け足してくれたのがカーネーションで、スイートピーは自分で選んだのだ。スイートピーを選んだ理由は母親の雰囲気に何だかあっているように思ったし、何だか自分の思いもそこに込められそうだなって思ったから選んだのだ。


 けれど少年は、そんなことは面と向かって言うと格好悪いし、今言う気にはなれなかった。


 「まあ、別に後で付け足した意味でもいいんだけどな。」


 母親は執拗に少年が花束に込めた意味を聞きたがる。さすがにこれ以上じらして、期待されても困ると思った少年は「感謝だよ」となんとなくそれっぽい意味を言って母親を満足させようとした。


 「じゃあ渡してよ」

 「それもらう側が言う?」

 「それはそうだね。」

 「まあとにかく、あげるわ。」

 「ありがとう」


 再び花束は母親の手の中に納まる。


 「それでさ、最近バイトはどうなのよ。」

 「どうって?」

 「いや、ユウタ初めてのアルバイトじゃない。それで、お母さんとしても心配なのよ。お店の人と仲良くできているのかとかさ、お客さんと何かなかったとかさ。ユウタはコミュニケーション得意ってわけでないでしょ。」

 「そうだね…。」

 「何かお店であったの?」


 いつもは話す気になれないが、今だけは話せる気が少年にはした。


 「まあ、そうなんだよね…。けど、お客さんもいい人ばかりだし、店長だっていい人だよ。ほら、だってこんな風に母の日の花をタダでくれるし…」

 「ちょっと、何があったか教えてよ。」

 「別にそんな気にすることじゃなくって…」

 「いや、初めてで右も左もわからない状況だと、悪いことされても全然わからないからとりあえず母さんに言ってみてよ」


 母親の手に渡った花束は、少年の喉につっかえていた何かをすとんと胃の中に落とすのには十分だった。


 「自分って花屋のバイト向いていないのかなって思ってさ。」

 「なんでよ。」

 「だって自分、花束をまともに結うことなんてできないし、ましてや花言葉なんて何にも知らないし。さっきさ、母さん花言葉なんかどうでもいいとか言ってたけどそんなことないんだよ。実際にお店で働いていると分かるけどさ、みんな花言葉を知りたがっているんだよ。それで、みんなその花に自分の思いとかを代弁させるんだよ。」

 「だけど、本当にそれって大事なことなの?」

 「大事だよ。だってお客さんが求めてんだから、僕は店員として失格だよ。」

 「そんなことなくない?」

 「どうしてよ?」


 どうして母親は花言葉はどうでもいいと言い切ることができるのかを少年は尋ねた。


 すると母親は何も淀むことなく、少年に対して確かめるように話しかけた。


 「だって花言葉なんて誰かが勝手に決めたものでしょ?そんなものに自分の込めたい意味を託すってなんだか安くない?そんなことよりもさ、自分で選んだ花たちにどういう意味を自分で込めたかの方が大事じゃない?伝わるかどうかは別としてさ。」

 「その理論はなんとなくわかるけどさ、花屋ってお客さんのニーズにもこたえなきゃいけないし、花屋で働いている人なら花言葉って知っているもんじゃない?この前だって花言葉の意味を執拗に聞いてくるお客さん何人もいたよ。」

 「じゃあさ、お花屋さんにいる店員さんが全部が全部の花言葉覚えていると思う?」

 「それは全部ってことはないだろうけど…、だけど、やっぱり知っていないといけない範囲っていうのはあるよ。しかも結構の数。」

 「じゃあこれから覚えていかないといけないね。」

 「だけど、自分には無理そうな気がするんだよ。」

 「あーあ、もったいない。」

 「どうして?」

 「ユウタ、仕事したことないから教えておくね。」


 そう言うと母親は少年に対して自分の薬剤師として働いた教訓を話し出した。


 「あのね、勉強するのは学生のうちじゃないの。仕事を初めて最初のうちなんて言うのは知らないことだらけで、仕事をやっていくうちにだんだん慣れてきたりとか、教えられたりして自分の仕事にしていくの。その最中で怒られたりとか、悪口言われたりとかはするものなのよ。」


 少年は自分の母親が久々にするまじめな話にこんな一面もあったんだという驚きとともに、人生の先輩としてこのアドバイスは真摯に聞かねばならないと思った。


 「私も最初の頃なんか、よくわかんない研究会なんかに行かなきゃいけなかったし、ほら薬局ってご高齢の方が多いでしょ?だからお薬出すのが遅いだとか、接客の態度が悪いだとかさんざん言われるわけ。そういった意味で言うとお花屋さんと似ているところあるんじゃないのかな?けどね、いろいろな人と接客しているうちに慣れてくるようになるの。いろいろなお客さんがいて、やっぱり引きずっちゃうことだってあったけど、そんなもんなんだって受け入れるようになるのよ。」

 「じゃあさ、花言葉聞かれた時、僕はどうしたらいいと思う?」


 しばらくの間母親は考えてゆっくりとその口を開いた。


 「『花言葉はあなたで決めて下さい』っていえばいいんじゃないのかな。」

 「それはなんだかさ、あからさますぎじゃない?」

 「じゃあ、何て言ったらいいと思うのよ。」

 「『花言葉はあなたの思ったことです』とかかな?」

 「それじゃあさっき言ったのと一緒じゃん。なんだか、恋愛バラエティーショーに出てる胡散臭いイケメン俳優が言っていそうだからいやだよ。」


 母親は顔に笑みを含ませた。母親は少年と一緒で、イケメンだとか美女といわれる人のことを毛嫌いしている。胡散臭いだの、整形しているだのと言い、歪んだ性格が露見させる。

少年も「確かにそうだわ」と言いながら、母親と同じような笑顔を見せた。


 「ねえ、本当になんて言えばいいの?」

 「えー。さっきユウタが言ったように『花言葉はあなたが思ったことです』なんて言って女の子に花束渡せばいいじゃん。」

 「そんなことするわけないじゃん。いたとしてもそんなダサい言葉かけないわ!」

 「でも、ユウタなら似合うかもしれないよ?」

 「だから、そんなこと言わないって。」

 「『君の思ったことがその花の意味だよ』って。なんだかユウタが言っているの想像すると面白いわ。」

 「ちょっと、勝手に想像膨らませないでよ。そんなことする性格じゃないんだから。」


 「あーあ、可笑しい可笑しい」と言いながら笑い続ける母。

 口角を意図的に上げて不器用に笑顔を作る少年。もっと幼いころだったら素直な笑顔を作ることができて、お互いに屈託のない笑顔が広がっていたのだろう。


 笑いの輪がひと段落着くと少年は母親の方を向く。今まで言えなかったけれども、今こそいうタイミングなのだと少年は思った。急に襟を正した少年に対して母親は一瞬戸惑いを見せる。


 「急にどうしたの?姿勢よくして。」

 「あの…、母さん。」

 「うん?」

 「今まで…、ありがとう。」


 恥じらいのなか発せられたその言葉は母親の心の温度を温め、少年の心の荷物も少しだけ軽くさせた。


 「どうせまだまだ迷惑かけるんでしょ。これからもよろしくぐらい言いなさいよ。」

 「もう自分一人でも生きていけるようになるから別にいいって。まあもうしばらくの間は世話になるけど、まあ、おねがい。」

 「もう少し迷惑かけていいよ。」


 二人の間には、まだお互いに気を使わなければいけない期間がもう少し必要かもしれない。

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出立 紺野かなた @konnokanata

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