「バロン。まだ窓を拭いていたのか。夕食の鐘が鳴ったのに何をしている。」

 僕はエイベル先生の呼び声に振り返った。彼の纏う白布の長い裾が、僅かにも前後している。勇み立つ足で向かって来たのだろうか。彼の顔は微かな歪みも表に出すことはなかったが、怒りを感じさせるだけの静けさが、そこにはあった。

「エイベル先生。すいません。すぐにご飯を食べに行きます。」

 どう返事をしたらよいのか分からなかったが、僕なりの最もらしい繕い方を提示してみせ、しゅんと顔を俯かせた。僕の普通くらいな足の前に、エイベル先生の大きな足があり、彼の靴は良く磨かれている。それを見て僕はありきたりに、早く大人になることを望んだ。

「はぁ。君という子はいつも同じことを言うんだな。白痴はこれだから教会にいちゃいかんのだ。もう良い、早く行きなさい。」

 エイベル先生は疲れきったように自身の眉間を撫でて、僕のことなど見ずにその場を去って行ってしまった。僕はエイベル先生の言うように、早く食堂へ向かわなければと思った。だと言うのに、どうしてしまったのだろう。僕は悲しみに暮れているみたいだった。怒られたことに辛くなっているのでは無い。しかしまだ知りえぬ何かが、心に確かな陰りを落として行く、そんな足音がした。


 

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