第13話


 季節が過ぎ去り、入学の季節がやってきました。私は学園の前の茂みでそわそわしていました。そのとき、豪華な馬車が何台も到着しました。


 一台目にはフォル、二台目にはセレナ。それから後続の馬車からその他大勢の高位貴族たちが降りてきました。何はなくとも、セレナは今日も美しいです。


 その馬車を避けるように徒歩で登校してくる下級貴族や平民出身の生徒たち。その中にはバロもいました。馬車を使わないのは訓練の一環でしょうか。


 その向こうから真新しい制服を纏ってとことこと歩いて来る我が弟。私の目的はこれです。ルイは今日も可愛いです。因みに、ルイとの関係は未だ良好です。とても懐いてくれていて、可愛らしいのなんのと。



「ああ、今日も可愛いな」



 うんうん。え?


 私は驚いて声がした方を向きました。そこにいたのは、一つ年下のファンクスでした。セレナの兄でフォルの摂政でもある彼は、セレナの真新しい制服を着た姿に鼻血を垂らして見惚れています。



「あの、鼻紙、どうぞ」


「ああ、すまないな」



 二人で茂みの中で隠れながら弟妹たちを見守る私たち。冷静になってみると、何をしているのか分からないですね。



「さてと。セレナは行ってしまったわけだが」


「ええ。どうしましょうか」



 学園の門が閉まり、講堂では入学式が始まりました。周囲には厳戒態勢が敷かれ、騎士たちが守りを固めています。今茂みから飛び出せば、きっと不審者としてお縄に掛かるでしょう。



「入学式が終わるまでここで待っているしかないか」


「そうですねぇ」



 どうしてこうなったのでしょう。何がどうしてどうなったらセレナの兄であり攻略対象であり、本編終了後に私を討伐するよう進言することになる男と茂みで身を寄せ合わなければならないのでしょう。あ、ソープの華やかな香りがしますね。もしや、セレナも同じ匂いが……。



「おい、なんだ」



 思わず近づき過ぎてしまっていたのか、ファンクスは低く声を上げました。私はハッとして離れます。



「ごめんなさい。なんだか、良い香りがしたので、つい……」



 恥ずかしくて顔から火が出そうです。ファンクスはそんな私をジッと見つめると、フイッとそっぽを向いてしまいました。印象はきっと最悪でしょうね。やってしまいました。


 そこからは、二人でただ黙ってしゃがみ込んでいました。なんとも気まずい空気ですが、不意に手を握られました。驚いて顔を向けると、ファンクスは周囲を見回していました。



「今なら出られそうだ。行くぞ」



 確かに、周囲に人影はありません。今抜けることができれば、これ以上ないほど有難いですね。もう気まずすぎて帰りたいです。



「はい、行きましょう」



 ファンクスに手を引かれるまま立ち上がった瞬間、グイッとファンクスの方に手を引かれました。



「うわっ……」



 バランスを崩しかけてよろめきながらも、倒れ込みそうなファンクスを間一髪で抱きかかえました。



「大丈夫ですか?」



 目の前にあるファンクスの顔が赤くなり、そしてすぐに痛そうに歪められました。



「どこかを痛めたのですか?」


「いや、そうではなくてだな……」



 ファンクスは恥ずかしそうに口篭ります。そのとき、甲冑がカチャカチャ鳴る音が遠くからこちらへ向かってくるのが聞こえました。



「ファンクス様、失礼いたします」


「うおぉっ」



 私は呻き声を上げるファンクスを姫抱きにして塀に沿って走ると、生垣の裂け目から敷地の外に飛び出しました。すぐそばの公園のベンチにファンクス様を降ろすと、その前に跪きました。べつに、不敬罪にされないためですからね。



「突然の無礼、失礼いたしました。すぐに騎士が到着しそうでしたので」


「あ、ああ、助かった」



 ファンクスはそう言いながらも顔を歪めます。足を気にするようにチラチラ見たり、手で摩ったりしています。



「もしや、捻挫でも……」


「あっ、いや、違う……その、そのだな……」



 ファンクスは言いにくそうに口篭ります。私がジッと待っていると、諦めたように頭をガシガシと掻きました。



「足が! 痺れただけだ……」



 恥ずかしそうにそっぽ向く頬は、赤らんでいました。恥ずかしがるから余計に可愛いということを知らないのでしょうかね。天然ですか? 天然なんですね。



「しばらくお休みしましょうか」



 私はそう声を掛けて向かい側に置かれた少し離れたベンチに腰掛けました。すると、ファンクスは不服そうに眉を顰めます。何かしてしまったのかと不安になっていると、ファンクスが口を開きました。



「何故隣に座らない」


「私はファンクス様のお隣に並べるような身分ではありませんから」



 ムッとむくれている顔が少年らしくて愛らしいです。ですが、私は今や平民です。そうでなくても名誉男爵の息子が公爵令息の隣に並ぶなどありえません。



「今は互いに、学園の制服を着ているではないか」



 ファンクス様はそう言いながら自身の隣の席を叩きます。ここまでされているのに断る方が失礼でしょうか。



「それでは、失礼しますね」



 何をそんなに気に入ってくださったのやら。それとも、何か目的があるのでしょうか。私の知るファンクスは、セレナ以外には目もくれず、婚約者であっても二の次という男だったはずなのですが。



「お前、名前は」


「ノアマジリナ・プルーシュプです」


「ノアマジリナ……」


「はい、ノアと呼んでください」



 ファンクスは口の中で何度も私の名前を唱えます。そんなに何度も呼ばれると気恥ずかしいのですが。



「なあ、今日はどうしてあの茂みにいたんだ?」


「弟が心配で様子を見に来たんです」



 あとはチラッとでもセレナが見たかったんです。なんて言ったら殺されそうなので黙っておきましょう。



「なるほどな。私も妹が心配で来たのだ。婚約者がいるとはいえなあ。私の妹の婚約者は第一王子でね。王子の婚約者など、妬まれても仕方がないであろう?」



 ファンクスは心配そうに、けれどどこか自慢げに話します。セレナのことが大好きで仕方がないのでしょうね。分かりますよ。私もルイが可愛くて仕方がありませんから。



「下の兄妹って、どうしてあんなに可愛いんでしょうかね」


「私の妹は素直な良い子だ。真っ直ぐで、真面目で、だけどルールに縛られがちな正義感の強さは疎まれることはあるが、本当に、良い子なんだ」



 ファンクスは遠くを見つめて柔らかく微笑みました。目的のためならば冷酷な判断も厭わない冷静かつ冷徹な男であるという設定と成長後のストーリーでしか知りませんでした。セレナに対しても、独占欲ばかり滲ませる嫌な男だったのですがね。


 こんなにも、温かく、素直に真っ直ぐ誰かを想うことができる人だったのですね。私はゲームのストーリーを通してこの世界を知っていますが、その外にあるものについては何も知らないのだと、思い知らされました。



「私の弟も、とても可愛いですよ。素直で、純粋で。分からないことがあれば聞くことができますから、これからの成長も楽しみです」



 私は暗に『良い子』とは言いたくありません。『良い』の定義が分かりませんから。大人にとって都合が『良い子』が『良い子』なら、そんな社会に未来はありませんよ。



「きっと、素晴らしい子なのだな。ノアの弟君も」


「ええ。とっても」



 ファンクスの笑みに私も笑顔が零れました。それからはお互いにお互いの兄妹の可愛さを存分に語り合い、私たちは別れました。そのころにはすっかり日も傾いて、入学式は終わっていました。


 ファンクスはしれっとセレナの馬車へ乗り込み、私はルイを待ちました。



「兄様?」


「ルイ! お疲れ様でした」


「兄様!」



 私を見て満面の笑みを浮かべて飛び込んできたルイを抱き留めて頭を撫でてやります。



「帰りましょうか」


「はい!」



 私はルイと手を繋いで屋敷へ帰りました。


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