第9話
その日の夜。私は湯あみを済ませて私室のベッドに腰かけました。眼鏡を掛けたままお風呂に入るのは中々危ないものでした。かといってあんな無防備な場所で眼鏡を外すこともできず、曇った眼鏡の隙間を見てよたよたしてしまいました。
お風呂のときは他のもので隠蔽した方が良いですね。とはいえお風呂の中で常につけていてもおかしくないものというのはあまりありません。タオルだって身体を洗う時には外しますし。
スーパー銭湯のロッカーの鍵くらいなものでしょうね。誰もが肌身離さず持っていても違和感がないものは。とはいえ自宅ですからね。そんな鍵なんてありませんし。
考え込んでいると、ドアがノックされました。
「どうぞ」
「失礼いたします」
入ってきて一礼したリオン。その表情はどこか緊張しているようです。私の話を受け止める覚悟を決めて来てくれたようで、とても嬉しいですね。
「リオン、こちらに座ってください」
「はい」
リオンに椅子を勧めると、リオンはぎこちなく席につきました。
「これから見るもの、話すことは、全てリオンの心の中に留めて置いてください。リオン以外の人に教える気はありません」
「承知いたしました。秘密を厳守することをここに誓います」
リオンはそう言うと私に手の甲を差し出しました。私はそこに自分の手の甲を当てます。ひんやりと、緊張して手が冷え切っていますね。
この手の甲を合わせるのは誓いの証。歴史書にはマウストゥーマウスで誓いの証とするとありましたが、きっとコンプライアンスがよろしくなくなったのでしょう。変革は不安定な社会の象徴ですから。
「では、お話しましょう」
私は眼鏡を外しました。赤い角と黒い翼が現れると、リオンは目を見開きました。
「これは、悪魔の、証……」
正確には悪魔の角は黒。なんて、そんなことを正確に認識している人間はほとんどいません。
「私は魔王となりました」
「ま、魔王? あの、伝説の?」
「はい。魔物を統べる王、魔王です」
伝説というのはよくある勇者と聖女が魔王を倒して平和になったよわーい、ってやつですね。被虐の限りを尽くした魔王がとある男女によって討伐されて、討伐した男女にそれぞれ勇者と聖女の称号が送られる、というものです。
つまり、よくある勇者になったから、聖女になったから魔王を倒します。というような王道ラノベ展開とはまた少し違うのですが、これもそれなりに存在している展開ではあります。そうじゃなかったらこのゲームのシナリオに採用されていませんよ。
「人間では、なかったのですか?」
「正確には、現在も人間です。ただ、魔王としての力を魔神から授かりました」
「魔神って、確か、旦那様と奥様が亡くなった場所に祀られていたのが……」
「はい、魔神です。あそこももう、違憲な場所として検挙されているでしょうけどね」
この国に伝わる神話には六柱の神々が登場します。土、水、風、火、光、闇。この六柱の神々がこの世界を創造し、繁栄させていきました。この六柱の中で最も力を持ったという闇の神は、非常に遊び好きな神でした。
この世界にある娯楽製品は闇の神が創造したものであると伝えられています。けれど闇の神は、禁忌を犯しました。遊びで戦争を始めたのです。他の五柱の神々は怒り、闇の神の力をどうにか封印しました。
封印された闇の神は地下深くに眠らされ、信仰の対象から外されました。これにより、現在は五柱の神々が信仰の対象として神殿に祀られているのです。闇の神を祀ることは憲法によって禁止されており、見つかり次第神像は破壊、神父は処刑されます。
「魔神に捧げものをして願うと力を得られるという伝承はありますが、まさかそれが、魔王を発現させるためのものなのでしょうか」
「はい、魔人に生贄を捧げることで魔王を生み出すことができるようです。最も、素質がなければ適当な力を与えるか、何事もなく生贄だけが殺されるそうです」
「生贄……」
リオンはふむ、と視線を床に落として考え始めました。いくらリオンが知力に長けると言っても、こんな突飛な話は理解が難しいでしょうか。
「ノア様、つまり、旦那様と奥様は生贄として殺された、ということでしょうか」
「ええ、そのようです。最も、生贄になる予定だったのは私だと思いますが」
「そうでしょうね。旦那様と奥様が自ら生贄になろうと考えるなんて、天地がひっくり返ってもありえません」
リオンはきっぱりとそう言うと、またぶつぶつと呟きながら考え込みました。ここで私が彼らを生贄にしたと糾弾されてもおかしくないところです。けれどリオンは冷静に思考してくれます。これこそ私がリオンを求める理由の一つです。
「整理すると、ノア様が旦那様と奥様によって魔神の生贄にされそうになっていました。しかし逆に旦那様と奥様が生贄となりノア様が魔王となりました。というお話でよろしいですね?」
「はい、その通りです」
「それでは、この話を私にしてくださった理由は何故でしょうか。いくら私がノア様に忠誠を誓っているといえど、この話をしているところを聞かれてしまう可能性もあるというのに」
リオンの言う通りです。ここで話をするということは、他の使用人たちに聞かれる可能性があるということ。私はそれでもリオンに話す必要があると判断しました。リオンはそこまで考えが及んでいたようです。
「はい、私の側近になってください」
「もちろんです」
リオンは考えることもなく答えてくれました。流石としか言いようがありませんね。リオンは椅子から立ち上がって私の前に跪きました。
「私はノア様のために生きると決めております。ノア様が望むのであれば、この身が滅びようと仕えさせていただきます」
リオンの真っ直ぐな言葉にドキリとしました。私は本当に、信の厚い忠臣を持ちました。
「リオン、ありがとうございます」
私は眼鏡を掛け直しました。角と翼が消えて、いつものノアの姿になります。リオンはこの様子を不思議そうに見つめていました。興味の尽きない好奇心旺盛な子どものような瞳。実際子どもなのですが。
忘れてしまいがちですが、私もまだ八歳、リオンもまだ九歳です。まだこんな子どもなのに、私への忠誠心を元に人生を決め、共に歩こうとしてくれている。私は彼を必ず守り抜くと誓いましょう。
「リオン、一人紹介したい方がいます」
「それは、一体……」
リオンが不安げな表情を浮かべたとき、本棚がぐるりと回転しました。そう、この部屋の回転扉は本棚に設置してみました。本棚からの脱出はロマンですからね。すでにルイの部屋にもっと大規模なものがありましたけど。あれ、こちらの方が大規模でしょうか?
本棚の影から出てきたメケは、言いつけ通り手袋をつけていました。角も翼も魔力も隠れていますが、鍛え上げられた肉体は隠すことができていません。羨ましいほど格好良いです。
「おい、主、こいつは誰だ」
「ノア様、彼は?」
二人の視線がぶつかるとバチバチと火花が散ります。頼もしい二人ですが、喧嘩は避けていただきたいですね。
「二人は私の側近です。リオンには知力を、メケには武力を借りたいと考えています」
二人は私の言葉に再び視線をぶつけます。平和に、というのは無理なのでしょうかね。
「ふん、頭でっかちな奴に主を守れるのか?」
「筋肉だけではどうしようもないこともあるでしょう?」
二人はバチバチ睨み合うとフンッとそっぽを向きました。やれやれ。
「お互いにそれが分かっているなら良いです。お互いの不足するところを理解し合い、頼り合いながら私を支えてください。期待していますよ」
二人は嫌そうな顔で互いに視線を向けましたが、私の言葉には素直に頷いてくれました。これはきっと、お互いの力を知ることでより良い関係を築くことができそうですね。そう思わないとやっていられないほどバチバチしている現状に、私は苦笑いしました。
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