第7話
魔物の森へ足を踏み入れると、不思議な涼しさを感じました。正確に言えば悪寒に近いのですが、私にはひどく心地良いものに感じられます。
「これは……」
その涼しさの正体を掴もうと意識を研ぎ澄ますと、そこには緑色のオーラの流れがありました。魔力の流れ、それは木々から溢れ出し森を包み込んでいるようでした。
「なるほど。ここに魔物が多く住むのはそういう理由なのですね」
この世界の植物は魔力を吐き出します。地球の植物が二酸化炭素を吸って酸素を吐くのと同様に、死骸から得た養分を吸い込み、魔力を吐き出しているのです。この事実は確か、そう。書庫の奥深くにあった研究者の論文で読んだことがあります。
昔の、ほんの一瞬で通り過ぎて行った記憶でしたから、思い出すのに少し時間が掛かってしまったようですね。
私は真っ黒なローブを身に纏ったまま、森の奥へと進んでいきます。ここのルートについては迷うはずがありません。なぜなら、この森を設計したのは私ですから。
この森だけでなく、この森の最深部にある魔王城の設計を担当したのも私でした。本当はデザイナーに任せるつもりだったのですが、納期の都合で振り分けられました。まさかこんな形で役に立つとは思いませんでしたが。
黙々と進んでいくと、周囲に魔力を吸い、吐き出す流れを感じました。私は気にせず歩いて行くと、周囲の気配は徐々に数を増していきます。このままあと少し、この先の開けた場所まで誘導できれば良いのですが。
「おい」
そうはさせていただけないようですね。
私が振り向くと、そこには見覚えのある人物がふわふわと浮いていました。黒い角に黒い翼。マリモのような髪に夕焼け色の瞳。
「お前、何者だ。人間風情がこの森に入って生きて帰れると思うな」
冷淡で、寡黙。圧倒的な強者のようなオーラに、周囲の魔物たちは委縮する。私は口元に笑みを湛える。
「これはこれは。出迎えに感謝いたします」
「出迎えてなどいない。さっさと失せろ。もしくは、オレに殺されろ」
案外好戦的な性格なことは理解しています。その上で少し挑発をして、彼を誘い出すことが必要です。彼は現在、この森で最強と謳われる存在です。彼を打ち負かすことが、魔王として生まれ変わった私の宿命です。
「ふふ、その姿勢は称えますが、貴方が私に勝てるとでも?」
「おい、口を慎め。私はこの森の覇者だ」
「覇者? そうですか……では、貴方を倒せば、私がこの森の覇者ですね」
ニヤリと口角を持ち上げてやれば、彼は眉間に皺を寄せて私をきつく睨みつけます。そう、それで良いのです。
「我は悪魔族のメケレット。お前を、排除する」
そう言うと、メケレットは殴りかかってきます。魔族なのに肉弾戦を好むことも承知の上です。私は即座に飛び退きます。正直、現状の私では体力値で彼には敵いません。魔法で一掃することは簡単ですが。
本来ゲームのストーリー上ではさっさと魔王として君臨して周囲の魔族に崇められます。その姿に反感を持ったメケレットと対峙するというのが正式な流れです。ですがそれでは、手間がかかりますからね。
私は一目散にこの先の開けた空き地へ走り出します。
「逃げるな」
彼の弱点は、その単純さと短絡的な思考。将来魔王の忠臣として仕えるほどのパワーはありますが、その点がずっとついて回る弱点でした。攻略キャラたちは弱点の克服ができるのに、私たちはできないというのもご都合主義シナリオですが。
私はメケレットの攻撃をスレスレで躱しながら空き地へ到着しました。別に、ここに彼に勝つための秘策があるわけではありません。ただ、ここは森の住人達がより集まる場所。案の定、周囲の茂みに潜む気配が多数。
「ふん、開けた場所だからなんだ」
メケレットは即座に私に飛び込んできます。その瞬間、私は眼鏡を外して強風をイメージして指を鳴らしました。
「な、なにっ」
無防備だったメケレットは吹き飛ばされ木に激突。周囲に砂埃が舞います。私のローブも吹き飛ばされ、私の赤い角と黒い羽が露になりました。
「お、前、その、姿は……」
よろよろと起き上がったメケレットは私の姿に驚愕し、立ち上がることはできない様子でへたり込んでいます。私はゆったりと彼に近づきました。
「くっ、殺せ」
メケレットは俯きました。露になった項。私はナイフをイメージして指を鳴らしました。すると私の手にしっとりと馴染むような果物ナイフが現れました。これから少々イメージできるものは増やさないといけませんね。
私が手に持つナイフが降伏した彼の項に触れました。その瞬間、周囲の魔力量がガクッと減少する感覚がしました。周囲の魔物が皆、一様に息を飲んだためだとすぐに分かりました。
「えいっ」
私はナイフを消し、メケレットの項をちょんっとつつきました。
「ひょあっ!」
情けない声を上げながら顔を上げたメケレット。その夕焼け色の瞳が揺れました。
「何故、殺さない」
「貴方を殺してもメリットがないからです」
「ふん、王になったお前を私が害さないとでも?」
メケレットは嘲笑うように言いました。確かにそれはそうなのですが。彼のような実力者を逃すことは惜しいですからね。
「貴方は私を殺せませんよ」
「ふん、その自信は実力から来るのだろうな」
メケレットは鼻を鳴らしてそっぽを向きました。プライドを傷つけてしまったでしょうか。私としては、あの下衆男爵と会ったばかりなので、鼻を鳴らしても鼻水が飛ばないことに感激してしまいました。
「さあ、行きましょうか」
「行くって、どこへ」
「魔王城へ」
私の言葉に、メケレットはぽかんと口を開きました。そして私をマジマジと見つめます。
「そういや、お前、人間じゃないん、だよな?」
「人間でも、ありますね」
「はぁ?」
メケレットが意味が分からないという顔をします。そういえば、魔王とただ言うだけで信じてもらえるのでしょうか。見ただけでは分からないものを、言葉だけで信じてもらうことは難しそうです。百聞は一見に如かずと言いますし。逆を言えば一見の証明には百聞が必要ということだろう。
「もしや、魔王様では、ありませんか?」
突然茂みの向こうから声がしました。目を凝らしていると、茂みの奥からよたよたと老人が歩いてきました。
「じいちゃん」
メケレットが慌てて駆け寄って老人を支えました。メケレットのおじいさん。ということは。
「悪魔族の族長、フェレンと申します」
長く伸びた白髪と同じく白く長い髭。黒い角と黒い翼、夕焼け色の瞳はメケレットに酷似しています。悪魔族は魔物たちの最高位に位置する種族。その族長となれば、魔物たちのボスと言って過言ではありません。
「初めまして。ノアマジリナ・プルーシュプと申します」
「人間の名ですな。しかしその溢れんばかりに滾る魔力。それは間違いなく、伝承にある魔王様のものでございます。もしや、魔神様の洗礼を受けたのではありませぬか?」
フェレンは恐れるような眼差しを私に向けます。そんなに怖がらなくても、と言いたいところですが、魔物は実力至上主義です。私の甘えた考えではここの覇者にはなれないことくらい、理解しています。
「はい、魔神の洗礼を受け、魔王となりました」
私の言葉に周囲がどよめく。疑念を抱くもの、畏怖を抱くもの。反応は様々だ。メケレットは呆然としている。
「これは、魔王様。どうぞ、我ら魔物へ秩序を、そして力をお与えください」
フェレンが深々と一礼すると、メケレットだけでなく、全ての魔物が私に首を垂れました。
「ああ、これからよろしく頼む」
私は堂々と、声を遠くに響かせるように話します。すると方々から歓迎の雄叫びが上がりました。
あー、どうしましょうか。有難いですが、すっごく居心地悪いです。
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