第5話


 私が屋敷へと帰還すると、リオンとルイが出迎えてくれました。



「にいさま!」


「ルイ、ただいま戻りました」



 胸に飛び込んできたルイを抱き留めて、その背中を撫でてやります。頬には涙が流れた痕。両親の死を知ったのでしょうか。私はルイの気持ちが少しでも穏やかになるよう願いながら抱き締めました。



「ノア様、どう、なりましたか?」



 おずおずと近づいてきたリオン。不安に揺れる瞳は、きっと過去と今の私を行き来しているのでしょう。リオンにはリオンの、抱えて来たものがありますから。



「お咎めなしです。これまで通り、とはいきませんが、ここで暮らすことができますよ」


「良かったです」



 リオンが涙ぐむとハンカチで目元を拭いました。そして私たちの会話を聞いていたルイがひょこっと顔を上げました。



「にいさまは、ルイの傍からいなくならないでくれますか?」



 ルイの潤んだ瞳に身体が固くなるのを感じます。ストーリー通りに行けば、私はこれから森へ追放されます。けれど、この子のこんな瞳を見てしまって、どうしてそんなことができるのでしょうか。



「大丈夫ですよ。ルイ、私はルイの傍を離れませんから」


「はい、にいさま」



 ルイはホッとした顔を私の胸に預けます。そしてすぐ、小さく穏やかな寝息が聞こえてきました。



「旦那様たちのお話を聞いた上に、ノア様が連れていかれてしまって、ずっと不安そうにしていらっしゃいました」


「リオン、ルイの傍にいてくれたのですか?」


「はい。ルイ様がノア様を信じて待っているのに、それを邪魔する俗物がおりましたので」



 リオンの瞳が仄暗く揺れます。穏やかな人ほど怒らせてはいけないと言いますが、その典型例がリオンだと私は思います。



「リオン。心から感謝します。ルイの心を守ってくれて、ありがとうございます」


「いえ。私はノア様の味方ですから。ノア様がルイ様の身を案じる限り、私はルイ様のこともお守りいたします」



 それではルイが私を裏切るか、私がルイを見限ればもうルイなど眼中にないと言っているようなものです。けれどそれを指摘することはしません。それこそリオンの胸に燃えている忠誠心であり、私の命の手綱でもありますから。


 ルイを抱き上げてルイの私室に向かいます。リオンにドアを開けてもらってルイをベッドに寝かせると、ルイは母様に買っていただいたぬいぐるみを無意識に抱き締めました。



「ルイは、本当に母様が大好きなのですね」


「奥様はルイ様を心から愛しているようでしたから。それはルイ様にも伝わっていたのでしょうね」


「でしょうね。その証拠に、父様には懐くことはありませんでしたから」



 父様も母様も、ルイを金のなる木として見ていました。けれど二人には、愛を持っているかどうか、という点で大きな違いがありました。


 父様は私たちどころか、母様への愛情もありませんでした。魔術師として大切な気の量や扱いは平凡でしたが、知力を持って魔術の開発を成功させることで名誉男爵に成り上がりました。


 世渡り上手な人で、名誉男爵となったからにはと妹弟子の母様と結婚し、子を成しました。野心家で知略に長け、周囲の強権を持つ貴族たちに利用されていると見せかけて利用してやるという心意気を持つような人でした。


 一方の母様も野心家でしたが、父様への愛を持っていたように思います。兄弟子として尊敬し、人として敬愛している素振りは私からも見て取れました。私のことも、ルイの能力が分かるまではその先に金を見据えながら私を心から愛してくれました。


 宝石やドレスが大好きで、金遣いの荒さについては父様とよく揉めているようでしたが、基本的には家族というものを自然と愛する人でした。きっと、愛されることが当たり前の世界に生まれた人なのでしょう。


 かつての私も今のルイも、父様と母様の私たちに対するほんの少しの温度差を敏感に感じ取っていました。大人になってからは忘れてしまいがちですが、子どもとは感情に敏感な生き物なのです。



「リオン、私は部屋へ戻ります。ルイの警護をお願いできますか?」


「……ノア様のご命令とあらば」



 リオンは不服そうにしながらも頷いてくれました。彼が私の傍にいたいと思ってくれることは有難いですが、今はそのときではありません。その証拠に、この部屋の様子を窺う気配が一つ、二つ、三つ。



「リオン、これから何が起きてもルイを守ってくださいね」


「ノア様?」



 訝し気に眉を顰めたリオンに微笑みかけて、私は部屋のドアを開けました。そこにはメイド、執事、料理人が一人ずつ。そこまで高い役職を持っているものではありませんが、暇なのでしょうかね。



「どうなさいましたか?」



 私がにこやかに声を掛けると、彼らは蜘蛛の子を散らすように去っていきました。



「自室へ戻ります」


「かしこまりました」



 リオンに見送られて、私室に向かいます。そこで眼鏡を外せば、赤い二本の角と黒い翼。私は魔力を手元に集めると、薄く、広く、シルクの布を広げるようなイメージ。パチンと指を鳴らして、イメージ通りに魔力を屋敷中に広げました。



「ノア様が殺したに違いないわ」


「うんうん、私もそう思う!」


「ノア様、ルイ様のことも殺しちゃうんじゃない?」



 洗濯場のメイドたち。



「旦那様と奥様、きっと呪い殺されたんだろ」


「はは、ノア様はルイ様よりは劣るが、旦那様と奥様が届かなかった宮廷魔術師の資質があるお方だもんな。気の訓練を続けていたとして、旦那様と奥様を殺す魔術を学んでいたら殺せるだろ」



 書庫管理の執事たち。


 そのとき、ひゅうっと、風が吹き抜ける音がしました。屋敷の中心、ルイの私室の辺りです。窓ではなく、屋敷の奥深くへと流れる風。私はかつて読んだ日記を思い出しました。



「おい、ルイマジリナ・プルーシュプはいるか?」



 考えごとは後にしましょう。正門に、一人の下衆な声を響かせる男。それとその付き人でしょうか、男が二人、女が三人。



「ルイ様は御在宅でございます。すぐにお呼びいたします」



 正門を任されている私兵の一人が屋敷に向かってきます。あの男、ヴァルガー・マイナハイマ男爵。父様と母様を利用しようとしていた貴族の一人です。もっとも、彼は特に父様の計画に利用されていた貴族でもありますが。


 私はルイの私室へ向かいます。ドアを開けると、リオンとルイはまだそこにいました。



「ノア様?」


「ルイへお客人です。ですが会わないことをお勧めします」


「かしこまりました。ですが、どうやって……」


「任せてください」



 私はリオンに微笑むとルイの部屋の本棚から本を数冊抜き取りました。その奥には魔法陣が一つ。そこに気を流し込めば、魔法陣が発動し、本棚がゆっくりとスライドしました。その奥には一つの扉。その扉の鍵となる魔法陣も発動させれば、地下へと続く階段が現れました。



「これは、一体……」


「現在は隠し部屋となっていますが、元々は曽祖父の研究室です。曽祖父は気の多い方でしたから、気の操作を誤って事故を起こさないために地下に研究室を設けていたと聞きました」



 本当はさっき魔力を広げて空気の振動を探っていたとき、妙な風の動きを感じただけですが。そこに幼い頃屋敷の書庫で見つけた日記に書かれていた内容を照らし合わせただけ。ただそれだけです。



「リオンはルイと共に地下へ」


「この下に何かトラップがある可能性は?」


「ありません。確認済みですよ。これを持って行ってください」


「かしこまりました」



 リオンは私の言葉を信じて、ランタンを片手にルイを抱きかかえて地下へ降りていきます。私は扉と本棚を元に戻すと、私兵がこの部屋に到着する前に、パチンと指を鳴らしました。



「ぐぇっ」



 猛烈な吐き気を堪えながら目を開けると、そこはイメージした通り正門の傍の茂みの中でした。


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