第2話


 私は石造りの神殿を後にすると、屋敷を目指して歩きました。この世界のマップなら正確に頭に入っていますから。


 途中、すれ違う人々が私を見て怯えた顔をしました。不思議に思って近くのショーウインドウを鏡にすると、赤い角と黒い翼が出しっぱなしでした。慌てて路地裏に駆け込んで、体内を巡る魔力を探します。温かい、リンパの流れのようなこれでしょうか。


 魔力について深堀りして検討しておいたことがここで役に立つとは思いませんでした。イメージを思い描いてパチンと指を鳴らします。すると目の前にポンッとイメージした通りの眼鏡が現れます。



「魔法も難なく使えるようですね」



 細いフレームの眼鏡を掛けて、再びショーウィンドウを覗きます。すると今度は眼鏡を掛けた普通の少年が立っていました。


 本来であればノアがこの隠蔽機能がついた魔法の眼鏡を創造するのはもっと先のこと。ですが今でも作れるということは、作品の時間軸を崩すことが可能であることを立証していると考えて良いでしょう。


 これができるならば。もしやと思ってイメージを思い描きます。目の前にイメージするのは屋敷。指をパチンと鳴らした瞬間、身体に突き飛ばされるような痛みと圧力を感じました。



「ぐぇ……」



 猛烈な痛みと吐き気を感じて嘔吐いていると、トタトタと小さな足音が聞こえてきました。顔を上げると、目の前にはスチル絵で見たことがある紫の髪と瞳を持つ小さな男の子がこちらに向かって走ってきていました。



「にいさま!」



 ふっくらした頬は赤く染まっていて可愛らしいのに、瞳にはすでに聡明さを秘めています。あの子どもこそ、ノアの二つ年下の弟、ヒロイン攻略対象の一人、ルイマジリナ・プルーシュプ。目が細く切れ長なのは兄弟そっくりです。



「ルイ、ただいま戻りました」



 ノアとしての言葉がスルスルと口から零れます。模部の記憶を持っているだけで、私はノアとして今日までを生きてきたのだということを実感します。



「にいさま、かあさまと、とうさまはどちらに?」



 私に抱き着いたルイはキョロキョロと辺りを見回します。私はどう言えば良いのか分からず、ルイを抱き上げて屋敷へ入りました。


 使用人の誰も彼もが首を垂れます。居心地が悪いように私は思ってしまいますが、慣れているという感覚も持ち合わせているのでちぐはぐで不思議な気分です。私は使用人の中にお目当ての少年執事を見つけました。


 彼はこの屋敷において、唯一の私の味方キャラとなるリオン・テシテ。私の専属執事です。隣国の出身ですがこの国の言葉を一か月で流暢に話せるようになるまで成長するような賢い子です。そして笑顔がネコのように可愛らしい。



「リオン」


「ノア様! 探していたのですよ! どちらへ行っていらしたんですか! というか、その眼鏡は一体?」



 パタパタと私に駆け寄ってきたリオン。私はルイを抱っこしたまま、リオンの質問には答えずに眉を下げて精一杯苦しい表情を作ります。



「それが……目が覚めると近くの神殿にいまして。すぐそばで父様と母様が亡くなっていたのです」


「旦那様たちが?」



 リオンが目を見開きますが、ルイは意味が分かっていないようで首を傾げています。私がルイの頭を撫でていると、リオンは手をきつく握り締めました。



「きっと神殿の者が殺したに違いありません」


「リオン……」



 絞り出すような怨みが籠った声。けれど私が名前を呼ぶと、すぐにハッとして凛々しい表情に戻りました。



「すぐに確認に向かいます。ノア様はルイ様とここにいてください」


「分かりました。リオン、よろしく頼みます」


「はい!」



 リオンはすぐに駆け出していきました。この流れはゲームのストーリーと変わりません。これからリオンが両親の遺体を見つけ教会に通報しますが、死因は不明。シナリオ通り、共にいた私が呪い殺したと噂が立つことでしょう。


 呪った理由はルイの気の強さを知った両親が手のひらを返したようにルイばかり可愛がるから、という子どもらしい理由。この理由に私が魔王であることが知られて魔物の森へ追放されます。ですが今は羽や角を隠していますから、きっと大丈夫でしょう。


 ルイを抱き締めてジッとリオンの帰りを待ちます。すると、ルイのお腹がきゅるる、と可愛らしく鳴りました。



「ルイ、おやつにしようか」


「はい! にいさま!」



 にっこりと笑ったルイは私にしがみついてきます。私はほっこりした気持ちで調理場に向かいます。調理場にはメイドたちがいますが、私たちを見て深々とお辞儀をしてくれました。



「坊ちゃま、どうなさいましたか?」



 料理長が出てきてくれて、私たちに視線を合わせてくれます。ルイは嬉しそうに笑って料理長の前でぴょんっと飛び跳ねます。



「おやつください!」


「はい、分かりました。今日はルイ坊ちゃまの大好きないちごのショートケーキですよ」



 料理長はルイを愛おしそうに見つめます。ルイは大好物があると知って大はしゃぎ。勢い余って料理長に抱き着くけれど、料理長はただ嬉しそうに抱き留めます。



「やったぁ! にいさま、ショートケーキですよ!」


「そうですね。良かったですね」



 私はショートケーキが苦手なのですが。笑顔を作って、調理場を見回す。みんなルイを見ていて、私はまるで空気のようだ。これは私がストーリー通りにやさぐれてしまっても私は悪くないだろうな。



「食堂の方にご用意したしますね」


「はい! にいさま、いきましょう!」


「はい」



 私はルイと手を繋いで食堂へ向かいます。周囲からの視線にこの身体は勝手に委縮します。それだけノアはこの環境に苦しんでいたのでしょう。



「能無しのくせに」


「こら、聞こえるわよ」



 ええ、聞こえていますよ。


 ルイの才能が素晴らしいことは認めましょう。ですがどうしてここまでノアを嫌うことができるのでしょう。ノアは好かれようと懸命に手伝いに名乗り出たり、率先して使用人たちの名前を覚えたりしていたというのに。


 おかげで私は全ての使用人の名前と来歴を記憶しています。これはノアの努力のおかげ、そしてラスボスチートのおかげ。


 ノアはラスボス。それに見合った能力として知力が高く、一度見たものは忘れません。魔術も剣術も鍛えるほどに高まり、最後には総合力では誰にも負けない魔王に成長することができます。


 しかしそれは個の力についてだけです。それぞれの力を単体で見てみましょう。魔術はルイに、剣術や知力はそれに特化した攻略キャラたちには敵いません。公式キャラブックを見たとき、私はなんて惨いことをするのだと思いました。


 この設定はラスボス魔王の討伐を見据えたものです。全てのキャラの好感度を高くしレベル上げをするよう促すことでラスボス魔王が倒せるという仕様。これ以外の攻略方法は一度目の攻略後に解放されるノアルートの攻略のみ有効となります。


 ストーリーを思い返しながら食堂でケーキを待っていると、ホールケーキが私とルイの前にルイの方が大きく切り取られた状態で置かれました。他の料理のときも大抵こんな感じです。


 ルイが嫌いなものは出ませんし、ルイよりノアの方が圧倒的に少なく盛り付けられます。しかし例外があるとすれば、ショートケーキのようにノアが嫌いな食べ物です。ノアへの嫌がらせのようにいつもより多く盛り付けられるのです。


 あからさまな嫌がらせに対して、リオンは苦言を呈したいと進言してくれています。しかしリオンは執事として未だ見習いの身。彼の将来を考えれば声を上げないことが得策だとノアには分かっていました。


 私もノアと同じくショートケーキが苦手。ちなみにノアが生クリームが苦手で、私がスポンジが苦手です。いちごだけ食べたいところですが、私の方にはいちごは一つ。残りは全てルイの皿に盛り付けられています。


 全く。そんなにルイに糖分ばかり与えて。好きなものばかり食べさせて嫌いな野菜は食べさせないのがここの使用人たちのやり方です。全てはルイのため、そして自分たちが次期当主候補になるであろうルイに嫌われないため。


 誰一人、ルイの健康は考えていないのです。


 それでも彼は乙女ゲームの攻略キャラですから。健康に太らず育ちます。そこはもっとリアルにしても良いと思いますけどね。現代で謂うところの、子どもに嫌われたくなくて甘やかし、注意ができない親と同じですよ。


 考え事をして味を意識しないようにしながら食べていると、食堂のドアが静かに開きました。真っ青な顔をしたリオンが現れると、その背後には騎士団がズラリと並んでいました。


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