Plastic days

空栗鼠

Plasticlabel 02

 気が付くと真っ白な空間に立っていた。右を向いても、左を向いても、上を見ても、下を見ても真っ白い空間。

 ここは一体どこだろ?そもそも、なぜここにいるんだっけ?思い出そうとするが、上手く記憶を引き出せない。“思い出す”という作業をどうやるのか忘れてしまったみたいに、思い出し方がわからない。それでも、なんとか記憶を辿ってみた。そうだ、わたしの名前はルナ、ルナ・シェルビー。かつてイギリスと呼ばれたエリアのロンドンという街で生まれた。あとは…やっぱりダメだ思い出せない。

 わたしはもう一度真っ白い空間を見回してみた。さっきは気づかなかったが、真正面に黒い点が見える。豆粒くらいの大きさの小さな点。とりあえず、あの点を目指して歩いてみる。歩いてみて思ったのだけれど、体がやけに軽い。この世界から重力というものがなくなった様に感じる。なんとも不思議な感覚だった。きっと幽霊になるとこんな風に体が軽いのかも。幽霊?もしかしたら、わたしは本当に幽霊になったのかも。つまり、わたしは死んだ?

 目の前の豆粒が、徐々にハッキリとした人の形に見えてきた。白いシャツに黒いネクタイ、黒いスーツを着た男。年齢は、40前後だろうか。あの服装っていかにも葬式帰りって感じじゃない?そうじゃなければ、レザボアドッグスの登場人物ってところ。

 男もわたしの存在に気がついた様で、わたしに向かって満面の笑みを向けてきた。

「ルナ・シェルビー様。お待ちしておりました」

 男はそう言うと、深々と頭を下げた。まるで、高級ホテルのホテルマンか、お嬢様の帰宅を歓迎する執事の様だ。

「あの、ここは一体どこなんです?わたしはなぜここにいるんですか?あと、なんでわたしの名前知ってるの?」

 唯一の情報源であるこの男に矢継ぎ早にそう尋ねた。この真っ白い空間がどこなのか知ってるとしたらこの男しかいないのだから。

「わかります。混乱されてますよね。ルナ・シェルビー様」

 いかにも、わたしのことが気の毒だといった表情で男は言う。

「ルナ・シェルビー様は22年間の人生に幕を下ろされました」

 そう言うと再び深々と頭を下げた。あぁ、やっぱりわたしは死んだんだ。22年間ってそうか、わたしは22歳で死んだんだ。

「つまり、わたしは死んだってことですか?」

「そうです。ルナ・シェルビー様」

「あの、そのルナ・シェルビー様って呼び方どうにかなんない?堅苦しくて、ルナでいいですよ」

「左様ですか。では、ルナ様とお呼びします」

 様付けで呼ばれることなんて生きてる頃にはなかったんじゃないかな。ハッキリ思い出せないけど、そんな気がする。

「あ、わたしはどう呼べばいいかな?」

「私には特定の固有名詞は存在しません。なので、ルナ様のお好きな様にお呼び頂いて結構です」

「つまり、名前がないからわたしが好きな名前を付けてもいいってこと?」

「そうなります」

「じゃあ、ミスター・ホワイトって呼ぶわ」

 だって、『レザボアドッグス』のハーヴェイ・カイテルにそっくりなんだもん。いや、雰囲気的には『パルプフィクション』のザ・ウルフの方が近いのかな?でも、ウルフって呼ぶより、ミスター・ホワイトの方がしっくりくる。この真っ白い空間では特に。

「さて、ルナ様はこれから第2の人生をスタートすることができます」

 ミスター・ホワイトはそう言うと、わたしが死んだ経緯と、第2の人生とやらについての長い話を始めた。


 つまりはこういうことだ。

 わたしの死因は新型ウィルスの感染だった。世界中でパンデミックを起こした新型ウィルスに早々に感染してしまったらしい。私が死んだ2日後に医療AIが、治療薬と予防薬を開発したとか。こう聞くと運がなかった気がするけど、実際はかなりラッキーな死亡だった。

 最新の医療施設で死亡したわたしは、死亡直後の脳からわたしの全ての情報を引き出し、保存することができた。その情報こそが今のわたしだ。

 この技術はかなり制限があるらしい。例えば死後30分以内に処置できなければ人格の再形成はほぼ不可能だとか。わたしの場合、死亡直後に処置できたので完全に人格を再生できた。

 さらに、脳に損傷があればこれまた不可能。つまり、事故やなんかで脳に損傷があった場合も人格の再形成は無理なんだって。その点わたしの脳は損傷は全くなく、とってもきれいな状態だったから情報を引き出すのもとてもスムーズだったとか。

 完全に再現されたわたしの情報は現在、ネット上にある一種の電脳空間(この言葉使いたかった!だってメタバースとかってダサいもん)でデジタル情報として再現されている。わたしの様にデジタル化された人間が最初に訪れるのがあのミスター・ホワイトがいた真っ白い部屋ってわけ。

 ミスター・ホワイトが言うにはデジタル化された人間はわたしで1729人目らしい。今後はどんどん増えていくって言ってた。ところで、この1729って数字凄く良い数字だった気がするんだけど、なにが良い数字なのか思い出せない。

 まぁ、そう言うわけでわたしは第2の人生を送れる権利を手に入れた。この権利は破棄することもできるらしく、人生を全うして、もうこの世に未練なんかないって人はそのまま安らかに眠る事もできるんだって。あと、デジタル化してまで生きたくないって人も稀にいるみたいなんだけど、信じられない。せっかく第2の人生が送れるのにその権利を破棄するなんて!

 第2の人生を送ると決めて最初にする事は自分のアバターを決める事。つまり、どんな見た目で第2の人生を送りたいか?ってことだった。

 悩んだ末にわたしは生きていた頃の外見をそのまま引き継ぐことにした。理想の見た目ってわけじゃないけど、これがわたしだし、これ以外だとなんかしっくりこなかったから。


 わたしに用意された部屋は凄く広いわけではないけれど、1人で暮らす分には十分な広さがあった。ちなみに、現在この電脳空間で第2の人生を送っている人たちは全て同じサイズの部屋が与えられているらしい。お金のいらない世界だから、貧富の差が全く存在せず、平等に暮らしているとか。

 部屋に置く家具や家電、インテリアに至るまで自分の好きなデザインを選べる。ベッドに作業用の机、食事用のテーブル、鑑賞用のモニター、そして、こだわったのはオーディオセット。レコードプレイヤーとアンプとスピーカーを部屋の真ん中に設置した。生きてる頃には到底手に入れることはできなかったレコードも好きな様に揃えることができた。欲しくても手に入れることができなかったYellow Magic Orchestraの“SOLID STATE SURVIVOR”をバーチャルとはいえ手に入れることができた。

 わたしは生きていた頃、かつて日本と呼ばれたエリアの文化に凄くハマっていた。マンガやアニメ、そして、音楽。全てがわたしの身近にあるものと違っていた。このバーチャルな世界では日本に行くことも簡単にできるらしい。これは、テンションが上がるよね。

 自分の部屋から出る際は行きたい場所と時代を設定できる。1978年の東京。と設定したら、扉を開けるとそこは1978年の東京だ。これって『ドラえもん』の“どこでもドア”と“タイムマシン”をミックスしたみたいで凄くクール。

 わたしの初めての外出は1978年12月10日。場所は日本の東京、新宿。

 扉を開けると、そこはもう1978年の新宿だった。初めての日本!遂にわたしは日本に来ることができた!いや、実際はバーチャルな日本で全てAIが当時の日本を再現してるに過ぎないんだけど、それでもデータになったわたしにとってここは紛れもない現実の世界だった。

 立ち並ぶ高層ビル。行き交う人々。気温も感じる。日本の12月ってこんなに寒かったんだ!

 ミスター・ホワイトの話ではAIとデータ人間は外見的には見分けがつかないらしい、でも「見たらわかる」って言ってた。1978年の新宿には沢山の人がいるが、見渡す限り全員モブみたい。なぜかわかる。まぁ、わたしが1729人目ということは、まだこの電脳空間にいる人間はそんなに多くない。しかも、偶然同じ時代の同じ場所にいる確率は凄く低いだろうから、人間に遭遇する機会は本当に少ないんだろうな。

 1978年12月10日。新宿。わたしがここに来たのは、FUSION FESTIVALで演奏するYellow Magic OrchestraことYMOを観るの目的だ。

 そして、わたしは会場である紀伊国屋ホールに到着した。


 1978年から自分の部屋に帰ってきたわたしは、しばらく放心状態だった。日本に行けたこと、YMOのライブを観たこと。他にも情報量が多過ぎて、それらを整理するのに1週間ほどボーッと過ごした。

 このデジタルの世界では疲労もなく、睡眠をとる必要もないが、わたしは寝た。1日の半分を寝て過ごした。とにかく、ゴロゴロして過ごしたかった。そして、あの日の記憶を反芻した。

 さすがに1週間ゴロゴロしていると退屈してきたから、わたしは今後この世界でどう過ごしていくか計画を立てることにした。

 とにかく、ここに来て凄く嬉しいのは体の負担が全くないこと。睡眠も食事もとらなくても全く問題ない。でも、わたしは生きていた頃と同じように夜中には寝て、朝には目を覚まして、1日3度の食事をした。デジタルになったとはいえ人間らしい生活を心がけた。

 食事は部屋に設置されたスタイリッシュな真っ白い箱に食べたい料理や入力すると、その箱に入力した料理が生成される。これってまるで、『スター・トレック』のフードディスペンサー!

 まさに、十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない!って思わず、アーサー・C・クラークの言葉を引用しちゃうよね。

 そして、なによりこのデジタルの世界に来て感動したのは、生理がないってこんなに楽なんだ!ってこと。わたしは、凄く重たいってわけでもなかったけど、生理の前後は精神的にも肉体的にはしんどかった。でも、この世界ではそれがない。いやー、男ってこんなに楽してたんだね。

 今後、行きたい場所や時間をリストアップしていく。観たいライブ、観たいアニメの本放送、観たい映画の公開日。あらゆる情報をネットから調べて、記録しておく。自分自身もデジタルな存在でネット上にいるから、ネットに接続するための端末などは必要なく、いつでもネットにアクセスできる。取得した情報は自分自身に記憶しておくことができる。そして、その情報はいつでも引き出すことが可能。なんて便利なの!もはや神っ感じだわ。

 この日を境に毎日のように出かけまくった。ゲルニカ、P-MODEL、チャクラのライブを観た。

 1980年の駅の売店で週刊少年ジャンプを買って『Dr.スランプ』の連載して第一回目を読んみ、1979年でアクションデラックスを買って大友克洋の『FIRE BALL』の読み切りを読んだ。

 1987年の映画館で『王立宇宙軍オネアミスの翼』を公開初日に鑑賞し、1981年では、『うる星やつら』の本放送を観た。

 こうして、80年代の日本カルチャーを浴びるように体験したわたしは、そろそろ90年代に移行しようかと、考えるようになった。そこで、80年代のシメとしてアメリカのアトランタで行われたPLASTICSのライブを観にいくことにした。


 アトランタのライブハウスに到着したわたしは心臓が止まりそうになった。いや、実際は心臓ないんだけど。

 わたしが第2の人生を送るようになってから、まだ一度も同じようなデータになった人間を見たことなかったけど、そこにいたのだ人間が!元人間?が!

 見た目は14歳くらいの女の子。アジア系、おそらく日本人。アメリカのライブハウスに日本人の少女がいたらそれは目立つ。すごく目立つ。だから、ライブハウスに入った瞬間に目に入ってきた。そして、わかった。この人は人間だ、って。今まで見てきたモブキャラとは違う。

 話しかけたい!でも、わたしは元来、人を見知るタイプの人間だ。話しかけたいけど、緊張する!しかも、相手の見た目が10代女子だからといって実際はそうとは限らない。この世界では見た目は一切当てにならないのだから。もしかしたら、中身は60代男性の可能性だってある。で、PLASTICSのこととかめちゃくちゃ詳しくて、お前はそんな知識でPLASTICSのライブを観に来とるのか!けしからーん!って怒られるかもしれないのだ!

 そんなことを考えているとPLASTICSのライブが始まってしまった。開演ギリギリの時間に来たことで、話しかけるチャンスを失ってしまったかもしれない。

 ライブ中もあの女の子の事が気になって、あまり演奏に集中できない。よし、ライブが終わったら、あの女の子が帰る前に必ず声をかける!そう誓うのであった。


「あのぉ…」

 終演後、わたしは思い切って声をかけた。めちゃくちゃ緊張してしまったから、ビビり倒してるのがバレバレの声になってしまったが、ちゃんと声をかける事ができた。

 わたしの声に反応した彼女はこちらを向き、わたしの顔しばらく眺めた後凄く驚いた顔をした。

「に、に、に、人間ですかぁ!?」

わたしの顔を見つめ、口元をアワアワさせ、震える手でわたしを指差しながらこう言った。

「そうです!わたし人間です!」

生きていた頃には絶対言わなかったであろう、人間宣言!

 わたしの人間宣言を受けて、彼女は目をパチクリさせ、瞳を輝かせている。

「こ、この世界に来てから、人間の方にお会いするの初めてですぅ」

 お、おぉ、キャラクターは14歳女子っぽいぞ。この子は本当に14歳女子なのかもしれない。少なくとも60代男性ではなさそうで安心した。これで、怒られることもないだろう。

「いや、わたしも初めてお会いしました。だから、凄く驚いてます」

「あ、わたし小春と申します。よろしくお願いします」

 そう言うと、小春と名乗った少女はペコリと頭を下げた。

「あ、わたしはルナ、ルナ・シェルビーです。こちらこそ、よろしくお願いします」

 お互いに自己紹介を済ませた私たちは、とりあえずライブハウスを出て、近くにあるカフェ、と言うよりもバーかな。に入って、お互いにとって、こっちの世界に来てから初めての人間との会話を楽しんだ。

 小春ちゃんは日本の古い音楽が好きで、わたしと同じように色々なライブに足を運んでいたと言う。わたしよりも早くからこの世界にいることもあって、凄い量のライブに行っているみたいだった。

「凄いねー、小春ちゃんはー。わたしももっと色々行きたいなー」

「ルナさんは80年代の日本の音楽がお好きなんですか?」

「いや、そういうわけでもないんだー。今回のPLASTICSのライブで一旦80年代を離れて、90年代に突入しようかと思ってたところ」

 わたしは、そういうとシャンディーガフを一口飲んだ。

「90年代いいですね。わたしも好きです。次は誰のライブに行こうかもう決めてますか?」

 そう言うと、小春ちゃんはホットミルクを一口飲んだ。

「んー、フリッパーズ・ギターが気になってる」

「いいですねー!わたしも行きたいと思ってました!良かったら一緒に行きませんか?」

「えー!いいの!?行こう!一緒に行こう!」

 そんなわけで、わたしたちが次に行くライブが決まった。


 1990年1月16日。わたしは東京、渋谷駅前にある犬の銅像の前にいる。ここで、小春ちゃんと待ち合わせしてるんだ。こっちに来てから誰かと待ち合わせするのは初めてだから、なんだが緊張しちゃう。

 90年代の渋谷は若者で溢れていた。まさに若者のすべてがここに集まってるみたい。

「お待たせしましたぁ」

 可愛らしい声と共に小春ちゃんが現れた。クラシカルな黒いワンピースに赤いリボンを頭に付けている。なんて、愛らしいの!わたしなんて、Tシャツにジーパンというめちゃくちゃラフなカッコなのに!

 ライブが始まるまでお茶しましょうということになり、小春ちゃんが行ってみたいというお店に行くことにした。

「ここです!ドゥ マゴ パリです!」

 そう言う小春ちゃんの目はキラキラ輝いている。そんなに来たかったんだね。可愛いなぁ。

 渋谷の喧騒の中、そのお店は時間がゆっくり流れているような落ち着いた雰囲気で、とってもオシャレなお店だった。さすが、小春ちゃんだなぁ、こんな素敵なお店知ってるなんて。

 わたしたちはライブの時間まで色々なことを話した。小春ちゃんが普段聴いている音楽や、毎日の様に行っているライブの話を聞くと、小春ちゃんの音楽に対する情熱が伝わってきた。

「小春ちゃんの音楽に対する情熱凄いね!わたしなんて全然敵わないや」

「ルナさんは生前から音楽がお好きだったんですか?」

 小春ちゃんは少し節目がちで、そう言った。

「そうだねー、割と好きだったと思うな、周りには日本の音楽聴いてる人なんて全然いなかったけどね。小春ちゃんは生きてた頃から凄く音楽好きだったんだろうなー」

「あの、わたし実は生きている時は耳が聞こえなかったんです。だから、音楽に対する憧れが凄くて、この世界に来てから耳が聞こえることが嬉しくて毎日ライブに通ってるんです」

 え、小春ちゃん耳が聞こえなかったんだ。耳が聞こえないって想像つかない。音楽が聞けないだけじゃなくて、映画観てもセリフが聞こえないし、何より会話がとても大変なんだろうな。もし、自分が耳が聞こえなかったらどんな生活を送っていたんだろう?本当に想像がつかない。

「そうだったんだ。生前は耳が…それは、辛かったね」

 明るく返そうと思ったのに、どうしても声のトーンが暗くなってしまう。

「でも、今はとっても幸せです。生きていた時には味わえない感動を毎日味わえてるんで」

 そう言うと小春ちゃんは素敵に微笑んだ。なんて、可愛い笑顔なんだろう。

わたしたちは1時間ほど、お茶をしてからフリッパーズ・ギターのライブに行った。

ライブも良かったけれど、わたしは小春ちゃんのことを考えいて、あまりライブに集中できなかった。

 この日を境にわたしと小春ちゃんはほとんど毎日一緒に過ごすことになる。


 わたしは若くして死んでしまったけれど、今はデジタルの世界で毎日楽しく暮らしています。

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