第20話 パン作り
「もっとしっかり体重をかけるように」
「こ、こうでしょうか」
「違う、こうだよ。手のひらの付け根を使うんだ」
「手のひらの付け根……はいっ」
思っていた以上に体全体を使う作業に汗が滲む。
フレドリックさんが来てくれてから、私の料理の知識も深まり、作れるものも増えた。
そして今、初めてのパン作りをしている。
今までパンはずっと市場で買っていて作ったことはなかったが、せっかく厨房に窯があるのだからなんでも作らないともったいない、とフレドリックさんが教えてくれることになった。
パンも作れるなんて本当にすごい。
朝食を終え、騎士たちを見送ったあとすぐに作業をはじめた。
気合いを入れて挑んだものの、はじめからうまくいくわけもなく、生地作りに苦戦している。
ちなみに今日エレナさんはお家の用事があるのでお休みだ。
「フレドリックさん、なんだかこねてもこねても生地がまとまりません」
「それはこね方が悪いからでしょ。アネシスさんて意外と不器用だったんだ」
「私……努力型なので! これから上達する予定です!」
できないことを誤魔化すように声を張る。
フレドリックさんはクスリと笑うと、私の後ろへ回り生地に手を伸ばした。
「ほら、こうするんだよ」
私の手首をにぎり、生地の伸ばし方や力加減を教えてくれる。
突然のことに緊張したけれど、真剣に生地をこねるフレドリックさんに、私も集中した。
均一に伸ばしては折りたたみ、伸ばしては折りたたみを繰り返すと数分で、なめらかで弾力のある生地になった。
「おおー、すごいです! 弾力も手触りも全然違います!」
「これを布で覆ってしばらくおいて発酵させるんだ。明日には発酵できてると思う」
「楽しみですね。自分で作れるようになったらいろいろアレンジもできますし」
「アネシスさんは、料理に関する発想力があるよね。そこは羨ましいよ」
「フレドリックさんもとても素晴らしい技術と知識をお持ちですごいと思いますよ」
「技術だけじゃ、どうにもならないこともあるんだ」
楽しく真剣にパン作りをしていたが、最後のフレドリックさんはどこか悔しそうな目をしていた。
彼は、時々こういう表情をする。
今持っている技術だけでも素晴らしくて誇れることなのに、全然納得していないような。
はじめはいつまでも向上心があってすごいな、と思っていたけれどそうではないみたいだった。
「でも、技術がなければそもそもどうにもできませんよ!」
「はは、確かにそうだ」
少し笑顔を取り戻したフレドリックさんに安心し、お互い休憩をとることにした。
私は昼休み、いつものベンチでクラージュ様との約束がある。
生地に苦戦していて少し遅くなってしまったので、急いでベンチへと向かう。
クラージュ様は既にベンチに座っていて、ボーっと花壇を眺めていた。
「クラージュ様すみません、お待たせしてしまいました」
「ああ、いや、かまわないよ。それより……仕事は、順調か? 新しい従業員とか……」
「はい、フレドリックさんはとても知識が豊富で私がたくさん勉強させてもらっています。今はパン作りを教わっているのですよ。でも、苦戦してしまって。それで遅くなってしまいすみませんでした」
「謝ることはないよ。パン作りか、いいじゃないか。アネシスの作るパン、楽しみにしている」
楽しみにしていると言うクラージュ様だが、どこか浮かない表情をしていた。
どうかしたのだろうかと気になりながらも、私はお昼ごはんを取り出す。朝食を作る時に一緒に作っていたものだ。
「今日はハーブで味つけしたソーセージをパイ生地に包んで焼いてみました」
「美味そうだ。ありがとう」
クラージュ様はパイを受け取ると、すぐに口に入れる。
「うん、美味い。サクサクのパイにソーセージの肉汁が染みて風味が引き立ってる」
「よかったです。この生地もフレドリックさんにサクサクになる方法を教えてもらったんですよ」
「そう、なんだな。フレドリック……」
「それにしてもクラージュ様、最近よく感想をくださいますね」
「え、だめ……だったか?」
「だめだなんてあるわけではないですよ。とっても嬉しいです」
今までは黙々と食べることが多かった。美味しい、とは言ってくれていたがこうやって感想を伝えてくれるようになったことがすごく嬉しかった。
自然と顔が綻ぶ。そんな私を見てクラージュ様も笑ってくれた。
嬉しい気持ちのまま私もパイを口に運ぶ。
ただ、私のパイは朝食の残りのスクランブルエッグを包んだものだ。
クラージュ様はじっと私の口元を見つめている。
「それも、美味しそうだな」
「えっと……、一口かじってしまいましたが、こちらも食べられますか?」
「そうだな、一口だけもらってもいいか?」
「はい、もちろんです」
私はパイを手渡そうとするが、クラージュ様を見ると口を開けて待っていた。
え?! これって、食べさせて欲しいということだろうか。
あーんってやつだよね?! いいのかな?!
なんて内心焦りながらもクラージュ様の口にそっとパイを入れる。
サクッとかじり取ったクラージュ様は美味しそうに頬張ると、唇についたパイ生地を舌でぺろりと舐めた。
「うん、やっぱりこれも美味いな」
「よ、よかったです」
その色っぽい仕草になんだか私が照れてしまう。
恥ずかしくなって、俯きながら残りのパイを口にいっぱいに入れて頬張った。
頬が膨らんでいるけれどそんなことは気にしない。
けれど、クラージュ様は私を見てクスクス笑い出す。
そして手が伸びてきたと思うと、私の口元をそっと指でつまみ、そのまま自分の口へともっていった。
「っ……!!」
「パイが、ついてるぞ」
ああもう、卒倒しそうだ。
いつからクラージュ様はこんなふうになったのだろう。
以前の硬派なイメージとは全く違う。
いや、お仕事中は変わらず真剣な表情なのだけれど。
二人でいるときだけ見せてくれる、甘い姿に私は溺れてしまいそうだ。
「あまり……他の……と……しないで……」
「え? 今なんとおっしゃいましたか?」
ぼそりと何か呟くが、うまく聞き取れなかった。
聞き返すが、クラージュ様は少し困ったように首を振る。
「いや、なんでもないよ。今日も美味しかった、ありがとう。じゃあ俺は仕事に戻るよ」
「はい……こちらこそありがとうございました。お仕事頑張ってください」
何を言ったのだろうか。わからなかったけれど、今は先ほどのことで頭がいっぱいだ。
私はクラージュ様を見送ったあと、火照った頬を冷やすためにしばらくベンチに座り花壇を眺めていた。
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