第18話 落ち着く場所
「ん―、ん――――っ!」
「アネシス、もっと下の方を持って」
クラージュ様が手を添えて一緒に引っ張ってくれる。
か、顔が近い。なんて思っている間に土からビートがすぽっと抜ける。
手に持つそれは、土が被っていてもわかるほどみずみずしい赤色をしていて、丸く可愛らしい。
「そんなに根の深いものじゃないぞ」
「た、たしかに。もう一度やってみます」
こんどは根元の方を持ち、先ほど同様目一杯引っ張る。
「ん――、きゃあっ」
ドンッという音と共にしりもちをつく。
先ほどとは違い簡単に抜けたため勢い余ってしまった。
汚れてもいいワンピースを着てきてはいるけれど、本当に土まみれだ。
「ははっ、アネシス、顔に土がついてるぞ」
クラージュ様は親指でそっと頬に付いた土を拭ってくれる。
自然と触れられた指に、私の頬が熱くなるのを感じた。
「ち、力加減が難しいですね。お恥ずかしいです」
「恥ずかしいことなんてないさ。そのうち慣れてくるよ。ほら、こうやって」
勢いよくポンポン抜いていくクラージュ様は飛び散る土もおかまいなしだ。
「クラージュ様も、ついてますよ」
私も額に付いた土をそっと拭ってあげた。
と思ったけれど、土の付いた指で拭っても広がるだけだった。
「すみません、余計に汚れてしまいました」
「かまわないよ。アネシスも同じだから」
「ええ!?」
言われてみれば、クラージュ様の手だって汚れている。
拭ってくれても同じように広がるだけだろう。
「ははっ、土まみれのアネシスも可愛いよ」
「もうっ、クラージュ様っ」
――はは、ははっ
――っふふ、ふふふ
お互い、土だらけの顔を見合わせ笑い合う。
楽しいな。クラージュ様とこんなふうに笑い合えて、こんな表情を見られるなんて。本当に来てよかった。
「あー! なにイチャついてるんですか!」
するとそこに、制服からラフな格好に着替えた元気いっぱいのシオンさんがやって来た。
クラージュ様は少し呆れたようにため息をつく。
そしてぼそりと呟いた。
「もう少し、二人でいたかったんだが……」
誘ってくれたときに、二人の時間が欲しいと言っていたことを思い出す。
私も、もう少し二人でこの時間を楽しみたかったかも。
「はい、そうですね」
もう一度二人でフッと笑い合うと、シオンさんに手を振った。
「二人とも泥だらけですね! 楽しそう」
「シオンさん、とてもいい畑ですね!」
「そうでしょう! 親父自慢の畑なんですよ。俺も小さい頃から手伝ってて、ってあれ? 親父は?」
「親父さんは収穫したビートを卸しに行ってる」
「そうだったんですね! で、二人でイチャついてたと!」
「イチャついてはないっ!」
クラージュ様は、シオンさんには素を出して接しているなと感じる。
なんだか兄弟のようで、お互いに気を許しているような関係で見ていて微笑ましくなる。
それから三人で和気あいあいと収穫をした。
いろんな野菜があり、どれもみずみずしくて美味しそうだ。
「たくさん採れたな。アネシスのポタージュスープ楽しみだ」
「ええ! いいなあ! 俺もアネシスさんのポタージュスープ食べたいです」
「機会があればぜひ召し上がっていたたきたいです」
私も、シオンさんと打ち解けてきた気がする。
本当に人懐っこくて楽しい方だ。
「いいんですか?! やったー!」
シオンさんは嬉しそうに両手を上げ、私に近寄ってくる。
可愛らしいなあ、なんて見ていると目の前にクラージュ様が遮るように立つ。
「それ以上近づくとこの土まみれのビートを口に突っ込むぞ」
「えぇ、それは地味にきついです。ビートは美味しいけど」
両手を上げたままクラージュ様に頭を掴まれるシオンさん。
わかりやすく項垂れたと思ったら、クラージュ様を見てなぜかニヤニヤしている。
「クラージュ様、いつもと違って余裕がない感じしますよ。やっぱり婚約者の前では変わるんですね!」
「シオンお前は……」
「貴重なクラージュ様を見られて嬉しいんですよ! アネシスさん、今後ともクラージュ様をよろしくお願いしますね!」
「ええと……はい。わかりました!」
なんと答えようか迷ったけれど、今後婚約を解消したとしても私はこれからも美味しい料理を作ってクラージュ様を陰ながら支えていくんだから、はいって言ってもいいよね。
そう思いながらクラージュ様を見ると、一瞬驚いたように目を見開いた後、すごく嬉しそうに顔を綻ばせた。
「ちょっと! いい雰囲気で見つめ合わないでくださいよ。そうだ、イチジク畑行かないんですか? さっきおばちゃんが待ってるって言ってましたけど」
「そうです! イチジク食べたいです!」
「ああ。野菜はいっぱい採れたしイチジク畑に行くか」
「はいっ! 楽しみですね」
それから三人でイチジク畑へと行った。
木には赤々とした実がたくさん実っていて、甘い香りが漂っている。
街で会ったおばさんが笑顔で出迎えてくれ、完熟した実の見分け方や、収穫のコツなどを教えてくれた。
「実がぱかっと開いてて、触った時に耳たぶくらいの柔らかさのものが美味しいですよ」
「耳たぶ……これはどうですか?」
「いいですね、よく熟してます。きっと甘くて美味しいですよ」
手に取った実を、教えてもらった通りもぎ取ろうとするけれど、なかなか上手くいかない。
「アネシス、ここを持って、根元側にひねって。ほら、こうして」
「……あ、とれた」
「コツを掴めば簡単にとれるんだ」
「クラージュ様は慣れてますね」
「昔からよくとって食べてたからな」
クラージュ様に支えてもらいながら一緒に実をとった。
その手つきに農家の人みたいだなと関心する。
「お二人はとっても仲良しですね」
「そおなんですよ! さっきからずっとイチャついてるんです」
「シオン、お前はもう黙っとけ……」
そんなやり取りをしながら四人でたくさんのイチジクを採った。
シオンさんは家でジャムにするんだと嬉しそうに帰っていった。
私とクラージュ様もおばさんにお礼を言い、畑を出る。
その後、連れて行きたい場所があると言われ、籠にいくつかイチジクを入れて、畑を見渡せる丘へと登った。
「わあ、素敵な場所ですね」
「ここから見る、畑や街の景色が好きなんだ。アネシスと一緒に見たいと思って」
夕日に照らされ、きらきらと反射した畑の葉っぱや、畑の奥に見える街がなんだか幻想的に見える。
クラージュ様はその場で腰を下ろすと、私にも横に座るように促す。
「イチジク、食べようか」
「はい、いただきましょう」
クラージュ様は籠からイチジクを取り、そのままかぶりつく。
真似して私もかぶりついた。
「んー! とっても甘くて美味しいです!」
「ああ。美味いな」
摘みたてのイチジクは本当に甘くて、少しとろっとした独特な食感も、プチプチとした種も全てが美味しさを引き立てている。
そして、口いっぱいに頬張りながらこの広大な景色を眺めるのがまた格別だった。
「今日は連れてきていただいて、本当にありがとうございました」
「喜んでもらえてよかった。俺も楽しかった」
「クラージュ様の時期領主としての姿も見られてよかったです」
「そんなふうに言われると恥ずかしいな」
人差し指でこめかみを搔きながら照れている姿に気持ちが和む。
今日は本当にたくさんの顔を見ることができた。
「みなさんに慕われていて、この土地をとても大切にしていらして、クラージュ様はきっと良い領主様になるんだろうなって思いました」
「アネシス……ありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございます」
「君といると穏やかな気持ちになれて、心がすごく満たされるよ」
私の顔を覗き込み、ふわりと笑うクラージュ様は優しい表情をしている。
最近、本当によく笑ってくれるようになった。私のおかげだと言ってくれることが嬉しい。
でも、お気持ちが落ち着けば、婚約を解消することになる。
嬉しいのに悲しかった。
すると、クラージュ様が不意に真剣な表情になる。と思えばなぜか口ごもる。
「アネシス、えっと……だな。その……」
え? なんだろう。言い出しにくい話だろうか?
もしかして婚約破棄?! 今ここで婚約破棄を告げられる?!
もう気持ちの整理はついたから婚約を続けなくてもいいって言われるの?
いやだ。まだ――
「いや、です」
咄嗟に口から出ていた。
なんてことを言ったんだろう。自分でもびっくりしてクラージュ様の顔を見ると、すごく悲しそうな表情をしている。嫌だなんて言える立場じゃないのに。
「ごめん、やっぱり嫌だったよな」
「いや、違います! 嫌とかではありません。今のは聞かなかったことにしてください」
「だが、強要したいわけじゃないんだ。アネシスがいいと思ってくれたら……」
「私は大丈夫です! 心の準備はいつでもしていましたので」
「本当か? 本当にいいのか?」
「もちろんですっ」
自分で言っていてなんだか切なくなってくる。けれど仕方のないことなんだ。
目頭が熱くなり、潤んだこの瞳がバレないようにぎゅっと目をつむる。
その時――。
「っ……!」
気づけば、大きく温かい腕の中にいた。
胸の中にすっぽりと収まり、頭の上からクラージュ様の声がする。
「ずっと、アネシスを抱きしめたいと思っていたんだ。でも、してもいいのかわからなかった。ありがとう。……アネシスは、温かいな」
抱きしめたかったなんて思っていなくて驚いたけれど、包み込まれる安心感にだた身を委ねた。
「クラージュ様もとっても温かいです」
なんて、なんて落ち着く場所なんだろう。
私はクラージュ様の背中に腕を回し、ぎゅっと手を握る。
どうか、少しでも長くこの時間が続きますようにと願いながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます