第16話 キースの想い
キース様はメラメラと燃え盛る剣を構えていた。
戦えない私でもわかるほど凄まじい力を感じる。
ついさっきまで声を荒げていたキメラもそれを感じ取ったのか、キース様を前にした途端、警戒して動かなくなった。
「キース、どうしてここに……」
「――二人とも下がっていてくれ」
私たちを守るように前に立ってくれている。
いつもより背中が大きく見える。
ふと見える横顔は、いつものキース様からは想像もできないほど怒りに満ちているように思えた。
「どうした? 自分より弱い人間にしか牙を向けないのか?」
キース様があえて煽るかのように問いかけた。
キメラは賢く、簡単な人語を理解できると聞いたことがある。キメラは怒りの咆哮を返すと大きく口を開けた。
喉奥に赤い炎が見える。
――まさか。
「勇ましいな、キース」
直後、三つある首の一つが切り落とされ、キメラは悲痛な叫び声をあげた。
その一撃を放ったのは、空から颯爽と現れたクラージュ様だ。
しかしキメラは身体を翻すかのように距離を取ると、まだまだ戦えるといわんばかりに声を荒げる。
「残りの頭は二つ、手分けして倒すぞキース」
「いや、僕にやらせてくれ。腸が煮えくり返りそうなんだ」
するとクラージュ様は剣を降ろした。そして、私たちの元に静かに駆けよってくれる。
「遅くなってすまない。二人とも、怪我はないか?」
「……ありません」
「わ、私も大丈夫です。それよりキース様が――」
「あいつなら問題ない。あの程度のキメラでは傷一つつけられないだろう」
キメラはとても強い魔物だと聞いている。ましてや、目の前にいるのは一体目よりはるかに大きく、首を一つ切り落とされてもなお、大きな咆哮をあげ、威嚇している。
でも、クラージュ様は何も心配していないみたいだった。
キース様に視線を戻すと、キメラはふたたび口を大きく開けた。
「同じ攻撃が効くとでも思ってるのか?」
しかしキース様は高く跳躍し、剣の腹で炎を受け止める。炎はそのままキース様の剣の炎と融合された。
より強大な炎を纏いキメラの頭部に着地すると、とんでもない速度で二頭の頭を切り落とした。
「……凄い」
これが、騎士なんだ。これが、クラージュ様たちのいる世界なんだ。
血をぬぐうかのように剣を振って鞘に納めたあと、キース様は静かに歩み寄ってくれた。
そして――。
「エレナ」
「……何よ」
「いつのまに魔法を覚えたんだ。もう魔力を鍛えるのはやめろと言ったはずだ」
なぜか怒っているみたいだ。それも、かなり。
なんでだろう。
「いつでもいいでしょ……それに、キースには関係ないわ」
「魔法なんて覚える必要はない。家で大人しくしていてくれ」
「なっ、そんなの私の勝手でしょう!」
それに対しエレナさんは当然のように怒った。
思わず私も声を荒げる。
「なんでそんなことを言うんですか。エレナさんは、私を守ってくれたのですよ。キース様はいつもお優しいです。なのになんでエレナさんにはそんなに厳しく当たるのですか」
「……別に当たってなんか」
キース様は、なぜかエレナさんから顔を背けた。
「アネシスさん、もういいのよ。私が悪いの」
「でも、エレナさんは私を守って――」
「こんなキズモノの女は、彼からすればみっともないのよ」
ありえない。そんなわけがない。エレナさんは素敵な人だ。
献身的で、私に対しても優しくて。
キース様だって、本当はとてもお優しい人だ。なのになぜ――。
「キース、いい加減にしろ」
そこで声をあげたのは、驚いたことにクラージュ様だった。
「何が」
「もういいだろう。本音で話せ」
「何の話を――」
「お前は、彼女に危険な目に遭ってほしくないんだろう」
クラージュ様の言葉に、キース様がハッとした表情を浮かべる。
それを聞いたエレナさんが、声を漏らす。
「……キース、どういうこと」
「何でもない。魔法なんて覚えなくていい。家にいれば魔物にも襲われない。だから――」
「キース様、何か隠しているならちゃんと話してください。エレナさんは、ずっとキース様の事を気にかけています。だから、ちゃんと本音で話してください」
キース様はいつも明るくて、誰にでも等しく優しい。
でも、エレナさんに対しては違った。初めは本当に怒っているのかと思っていた。
でも、そうじゃない。
心配しているんだ。誰よりも、心から。
「アネシスちゃんには関係ないよ」
「関係なくないです! 二人とも私にとって大切なお方です。それにキース様が本当はエレナさんのことを想っていることもわかりました。だったら、ちゃんとそれを伝えてください」
「だから――」
「想い合っているのに気持ちを伝えないまま別れてしまうなんてばかです! 大ばかです!」
私が声を荒げすぎたらしく、クラージュ様は少しあたふたしながら肩を抑えてきた。
「ア、アネシス、ちょっと落ち着くんだ」
「落ち着いてなんていられません。私は怒っているのです!」
エレナさんは、決してキース様から目をそらさなかった。
そして、キース様が、小さく呟く。
「僕はもう、エレナが傷つくのを見たくないんだ」
「えっ……?」
「僕といることでエレナが危険な目に合うなら、一緒にいるべきじゃないんだ」
キース様の言葉ですべてを理解した。エレナさんは誤解していた。
傷がついたから冷たく当たっていたんじゃない。
傷をつけてしまったからこそ、自分ではエレナさんを守れないと、相応しくないと思ってしまっていたんだ。
クラージュ様はいつも言っている。騎士とは身を挺して大切な人を守る為に存在すると。
だから……。
「バカ! 私はそんなこと思ってないし、あなたのせいだなんて考えたこともない! それに私は自分の身は自分で守れる。キースの足手まといになんてならない。対等な関係でいるために必死で努力したわ。だから、そんなこと……思わないで……」
強く言葉を言い放った後、エレナさんは悲しみからか泣き崩れた。
キース様は驚き、駆け寄り肩を抑える。
「ごめん……ずっとエレナのことが好きだった。でも、僕は守れなかった。それが心苦しかったんだ。だからあんな態度をとってしまった。僕のことを嫌ってくれればいいと思って、ずっと冷たくあたっていた。でも、それは間違っていた。本当にごめん」
「嫌うわけないじゃない! でも、私も嫌われてると思ってた。もう別れるしかないんだって。キースの本当の気持ちが聞けて嬉しい」
二人は手を取り合い、お互いに目を合わせた。
ああ、良かった。やっぱり、キース様はエレナさんの事が好きだったんだ。
「キース様、エレナさんはとても強いです。私を魔物から守ってくださいました。それに、キース様のためにお料理だって覚えたんです」
「料理?」
「アネシスさん、そ、それは」
「キース様を後悔させたいなんて言っていましたが、そうではないんじゃないですか?」
わかっていた。エレナ様は後悔させたかったんじゃない。喜ばせたかったんだ。
私は、もうこぼれてしまいほとんど中身のないお鍋を突き出す。
とても食べられる状態ではないが、キース様は中を覗いて驚いた。
「これは……ビーフ、シチュー?」
「そうです。エレナさんが作りました。とってもとっても美味しいです。でも、美味しさ以上のこだわりが詰まっています。愛が詰まっています。エレナさんの、キース様への愛です」
このビーフシチューはただ美味しいだけじゃない。
エレナさんは、私が教えたビーフシチューをすぐに美味しく作れるようになった。
けれど、少し違う、何か足りないな、と言って何度も何度も作り直した。
まるで、何かの味を再現しようとしているみたいに。
「エレナ、このビーフシチュー、食べさせてもらうことはできるかな」
「もちろんよ。食堂にまだたくさんあるわ」
私たちは揃って食堂へと戻った。
お鍋に残ったビーフシチューを温め直しお皿によそう。
エレナさんは少し緊張気味に、テーブルについたキース様の前にお皿を置いた。
キース様はゆっくりと口に運ぶ。
「これは……」
一口食べた瞬間、目を見開く。そしてそのまま大粒の涙を流した。
「キースのお母様のビーフシチューと同じ味にできたかしら」
「ああ。美味い、美味いよ」
涙を流し、鼻を啜りながらもビーフシチューを次々にかき込む。
ほっとしたように微笑むエレナさんはやっぱりキース様のことが好きなんだと感じた。
そしてそれはきっとキース様も同じだろう。
「良かったですね」
「ああ。アネシスのおかげだな」
「それは違いますよ。エレナさんのキース様を想う気持ちがお二人の関係を変えたのですよ」
私とクラージュ様は厨房横から二人の様子を窺っていた。
涙を流しながら美味しそうに食べるキース様と、それを優しい笑顔で見つめるエレナさんに心から良かったと思った。
「ところでアネシス、本当にどこも怪我はないか?」
「はい、大丈夫ですよ。エレナさんやキース様、クラージュ様に守っていたただいので」
「あの二体のキメラだけ食い止めることができなかったんだ。俺たちが不甲斐ないせいで危険な目に合わせて申し訳なかった」
「もう、スタンピードは収まったのですか?」
「大丈夫。あとは他の騎士たちで討伐し終わっているはずだ」
「そうなのですね。良かったです――」
後からエレナさんに話を聞くと、ビーフシチューは幼い頃に病気で亡くなったキース様のお母様の得意料理だったそうだ。
キース様も、エレナさんも、お母様の作るビーフシチューが大好きだったそう。
婚約を解消する前に、もう食べることの出来なくなっていた思い出の味を再現したかったそうだ。
強がっていたけれど、エレナさんは本当にキース様のことを思っていたことがひしひしと伝わってきた。
そして婚約解消はなくなり、今後は二人の時間を取り戻しながら、結婚に向けて話を進めていくことにしたそうだ。
「そうだアネシス、今ヴァルディ領の畑が収穫期なんだ。次の休み、一緒に収穫にいかないか?」
「収穫、ですか?」
たしか、ヴァルディ公爵家の領地は南の暖かい土地で、美味しい野菜がたくさん採れると聞いていた。
「ああ。新鮮な野菜がいろいろ採れるんだ。それに……」
「それに?」
「最近、忙しかったから……二人の時間が欲しいと思って」
少し照れながら誘ってくれるクラージュ様が可愛いと思った。
討伐に行っている間、なんだかすごく寂しかった。
クラージュ様も同じ気持ちだったのかもしれない。
「嬉しいです。ぜひ行かせていただきます」
「良かった。料理にうちの領地で採れた野菜を使ってくれ」
「はいっ」
自分で収穫するのも初めてだし、なによりクラージュ様と過ごせることが嬉しい。
すごく、楽しみだな。
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