第15話 エレナの魔法

 私はいつもの昼休憩、ベンチでお昼ご飯を食べながらクラージュ様にキース様のことを聞いてみようか迷っていた。


「この卵、黄身とチーズが溶け合って美味いな」

「はい」


 クラージュ様にこんなことを聞いて迷惑にならないだろうか。

 やめておこうかな。


「この卵、パンに挟んでも美味そうだな」

「はい」


 やっぱり、キース様とは幼い頃からの付き合いだと言っていたし、何かわかるかも……。

 

「アネシス、この卵、殻が剥けてないぞ」

「え?! す、すみませんっ。すぐに作り直して」

「冗談だ。そんなわけないだろう。すごく美味しいよ」


 今日は茹でた卵の黄身を取り出しチーズを詰めたデビルドエッグを作った。

 卵の形がそのまま残っているので本当に殻をむき忘れたのかと思った。


「ところで、ボーっとしてどうしたんだ? 何かあるなら何でも言ってくれ」


 考えこんでいて、クラージュ様に気を遣わせてしまったかもしれない。

 でも、お言葉に甘えて聞いてみよう。


「あの、キース様は、エレナさんのことをどう思ってらっしゃるのでしょうか。エレナさんはとても素敵で、嫌われるような方ではないと思うのですが……」

「キースは出会った頃、大切な婚約者がいるんだといつも言っていた。だが、騎士団に入ってからは婚約者の話は聞かなくなってたんだ」

「やはり、騎士団に入る前、魔物に襲われたことがきっかけでエレナさんを遠ざけるようになったのでしょうか。エレナさんは傷のせいで嫌われたと思っているようなのです」

「本当のことはキースにしかわからないが、あいつは人を見た目で判断するようなやつではない。そんな理由で婚約者を蔑ろにするとは思えないな」

「やっぱりクラージュ様もそう思いますか? 私も何かあるのではないかと思っているのです」


 いつもにこやかで優しいキース様が、エレナさんにはひどく冷たい態度をとっている。

 まるでわざとエレナさんに嫌われようとしているみたい。

 それなのに、婚約解消の申し出に返事をしないのは心のどこかでエレナさんと離れたくないと思っているからなのかもしれない。


「そうだアネシス、明日から国境の森へ討伐に行くことになった。心配することはないと思うが、俺たちがいない間、気を付けておいてくれ」


 国境の森でスタンピードが発生しているらしい。

 国境警備は第二騎士団の管轄だが、対処しきれなかった場合は応援に向かうかもしれないと聞いていた。

 

「はい。お気遣いありがとうございます。クラージュ様も気を付けて行ってきてくださいね」

「ああ。なるべく早く終わらせて戻ってくる」


 明日から、いないんだ。そう思うとなんだか寂しくなった。

 それに、討伐へはキース様も行くだろう。その前に少しだけでも話を聞いておきたい。


 私はその日の夕食後、キース様を呼び止めた。


「あの、キース様。少しお話よろしいですか?」

「もちろんいいよ。どうしたの?」

「エレナさんのことなのですが」


 声をかけるといつものように、にこやかに返事をしてくれたキース様だったが、エレナさんの名前を出すと急に表情が険しくなる。


「そのことなら何も話すことはないよ」

「ですがエレナさんはっ」

「明日、早いんだ。クラージュから聞いてるでしょ、討伐のこと。できるだけ体を休めておきたいんだ。もう行くね」

 

 そう言われると、引き止めることなんてできない。


「は、い……。お気を付けて」


 キース様は私の話を聞くこともせず、行ってしまった。

 どうしたらいいのだろう。


 その後も、キース様の気持ちは何もわからないまま私とエレナさんは料理の特訓を続けた。

 討伐から帰ってきたら、エレナさんの作った美味しい料理を食べて、本音を話してくれたらいいなと思いながら。

 

 ◇ ◇ ◇


「今日の出来、すごくよくないかしら?!」

「はい! 以前より味に深みもでて、お肉とお野菜もしっかり形を残しているのに口に入れた瞬間溶けるように広がって、とても美味しいです!」

「これならキースに美味しいって言わせられるでしょう」

「帰ってくるのが楽しみですね」


 騎士団が討伐に出立してから数日が経った。

 あれから何度か特訓をして、エレナさんは一人でも随分美味しいビーフシチューを作ることができるようになっている。


「ねえアネシスさん、今日はお天気もいいし外で食べない?」

「外、ですか?」

「街を抜けたところにいい場所があるのよ」


 小さなホーロー鍋にビーフシチューを移し、籠にお皿とパンも入れて私たちは食堂を出た。


 賑やかな商店街を通り、以前クラージュ様と来た噴水のある公園に入る。

 公園の裏通りから街を抜け、緩やかな丘を登ると、そこには青々とした草原が広がっていた。


「気持ちのいいところですね」

「ええ。昔よくここでキースと魔法の特訓をしたわ」

「お二人の思い出の場所なのですね」

「まあ、森で魔物に襲われてからは私一人でするようになったんだけどね」


 エレナさんは遠くを見つめ、大きく深呼吸をする。

 きっと、ここは彼女にとって特別な場所なんだ。

 そんな場所に連れてきてもらえて嬉しかった。

 エレナさんは私にとって、とても大切な友人だ。エレナさんもそう思ってくれているんだと感じた。


「食べましょうか」

「そうしましょう」


 少し丘を下った先に大きなナラの木があったので、その木陰で食べることにした。

 ビーフシチューの入った籠を持ち、笑い合いながら歩く。

 ピクニックなんて初めてで、なんだかワクワクする。


 すると、どこか遠くから低く唸るような声が聞こえてくる。

 

「この声は、なんでしょうか?」

「まさか……こんなところまで?」

「え?」

「アネシスさん、まずいかもしれないわ。帰りましょう」


 焦った様子のエレナさんに手を引かれ、下りた丘を駆け上がる。

 鍋からこぼれ出るビーフシチューのことなんて気にしない。


 だが唸り声はだんだん近くなり、振り返った瞬間、声の主が姿を現した。

 これ以上背を向けて逃げることはできない。


「アネシスさん下がって!」


 エレナさんは私を庇うように前に出ると、落ちていた大きめの木の枝を拾い構える。

 

 大きな胴体に獰猛な獣の頭が二つあり、長く鋭い尾を持つ魔物。その口からは凄まじい炎を放つという。

 森の奥深くに生息し、めったにその姿を見ることはないと言われている。

 私も文献でしか見たことはなかった。


「なんで、キメラがこんなところに」

「スタンピードの影響かもしれないわね」


 エレナさんは手に持つ枝に魔力を込める。

 枝先からびゅうびゅうと音が立ち、空気を切り裂き渦を巻く。


「風魔法だ……」


 鋭い突風をキメラに放つ。

 キメラは足を取られながらも大きな咆哮をあげながら向かってくる。

 エレナさんは振りかぶるキメラの猛打をぎりぎりでかわしながら背後に回る。

 そして背部に烈風をぶつけた。


「エレナさん、すごい……」

 

 魔法が使えるとは言っていた。

 けれど、ここまでだとは思っていなかった。

 

『ほんと少しだけだよ』

『私みたいな弱くてキズモノの女なんて嫌になったのね』


 全然、少しなんかじゃない。

 全然、弱くなんてない。


 一体、どれだけ努力してきたのだろう。どんな思いでここまでの魔法を習得したのだろう。

 魔法だけじゃない。体の動きや戦い方、果敢に立ち向かう姿にただただ胸を打たれるだけだった。

 守られている自分が恥ずかしくなるほどに。


 その時、エレナさんは私を見て叫ぶ。

 

「アネシスさん、そこの枝を投げて!」

「は、はいっ」


 私は足元にあった枝を投げ渡すと、エレナさんは両手で構え二つの頭部めがけて勢いよく投げつける。

 風に乗り、突風を起こし、烈風と一体になった枝はキメラの額に突き刺さった。


 そして大きく体をしならせ、キメラは地面に倒れた。

 

「はあ、はあ……」

「エレナさん、大丈夫ですか?!」


 私は急いでエレナさんの元へ駆け寄る。

 彼女は息を乱しながらも真っ直ぐに立つ。

 

「大丈夫よ。アネシスさんも大丈夫?」

「私はなんともありません。守っていただいて本当にありがとうございました」

「当たり前よ。そのために、誰かを守るために努力して得た魔法なんだから」


 安心したように笑いながら、汚れた頬を袖で拭う姿になぜだか無性に涙が零れそうになった。

 なんて、なんて強くて慈愛に満ちた方なんだろう。


「さあ、早く行きましょう。王宮に報告もしないと」

「はいっ」


 だが、急いで街へ戻ろうとしたその時、後方から大きな影で覆われた。

 気づいた時には、地面を轟かすほどの咆哮と共に、先ほどは比べ物にならないほど大きなキメラが鋭い爪を携えた豪腕を振りかざしている。


「アネシスさんっ!」


 エレナさんは魔法を放ち、私を庇いながら避けた。

 転がるようになんとか避けきれたけれど、もう逃げ場はない。


 お互い倒れ込んだまま動けなかった。


「アネシスさん、ごめんなさい私にはもう……」


 目の前に対峙する巨大なキメラは三つの頭を持っていた。

 そして咆哮を上げながら炎を放つ。


 もうだめだ。

 そう思った時、突然キメラは雄叫びを上げ、後方に向かって首を振った。

 炎は空気を焦がし上空へ消えた。


 助かった。でも何が起こったの。


 キメラは威嚇するように声を上げる。


 その視線の先には、キース様がいた――。



 


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