第11話 諦められるわけがない

 本当は食事の後、婚約は終わりにしようと言うつもりだった。

 でも、できなかった。


 もう少し、もう少しだけこの時間を過ごしたい。


 どこに行けばいいか悩み、少し歩いてやってきたのは大きな噴水のある公園だった。

 木陰にあるベンチに並んで座り、噴水の周りを楽しそうに走り回る子供たちを眺める。


 もう少し一緒にいたいと思ったものの、何を話せばいいかわからず当たり障りない話をする。


「子供たちは、元気だな」

「そうですね。とても楽しそうで見ていて癒されます」


 俺は、君を見ていると癒されるんだ。

 この時間が永遠に続けばいいと思うほどに。


「今日、アネシスと過ごせて楽しかった」

「はい、私もです。ありがとうございました」


 けれど、言わなければ。

 婚約を解消しようと。


「君といると自然と笑顔になる」

「そう言っていただけて、とても光栄です」


 でも、その前にちゃんと感謝を伝えてから。


「いつも、感謝している」


 なかなか切り出せないでいると、心なしかアネシスは婚約破棄を待っているような気さえしてきた。

 早く、言わなければ。


「ギブソン家の子息が、新しく婚約を結んだらしい」

「はい。存じております」

「これでもう、君との婚約の理由はなくなった」

「はい」

「それで、だな婚約を……」

「はい」


 破棄しよう。

 

「もう少し、続けてもいいだろうか」

「えっ……?!」

「婚約を、もう少し続けてもいいだろうか?」

 

 ああ。俺は、なんて自分勝手で臆病なんだ。


 アネシスは驚いた様子で目を見開き固まっている。

 それもそうか。

 もともと、破棄を前提とした期間限定の婚約だった。

 婚約を続ける理由がなくなった今、破棄するのが当然だろう。


 だが、俺は諦めきれなかった。

 

 自分勝手なお願いだということはわかっている。

 アネシスの悩みにつけ込み、あわよくば本当の婚約者に、なんて思っていた自分が愚かだった。


 アネシスは心から想い合える相手と結婚したいと言っていた。

 俺は、その相手になれるよう努力しただろうか。

 婚約者という立場にかまけていたのではないだろうか。


 マリアンヌに言われた言葉を思い出す。


『絶対にアネシスさんを逃してはだめよ』


 俺は迷っていた。

 アネシスは自ら舞踏会のパートナーまで務めてくれた。

 ブルーのドレスを着た彼女は本当に綺麗で、そして頼もしくて優しかった。

 随分と助けられた。

 そんな彼女を、これ以上不本意な婚約を続けて縛りつけていてはいけない。


 そう思っていたのに、今日の彼女が可愛い過ぎた。


『クラージュ様の瞳の色と似ていて綺麗だなと』


 こんなことを言われて諦められるわけがないだろう。

 

 この婚約を破棄した後、彼女は他の男と恋をして結婚するのだろうか。

 そんなこと耐えられるはずがない!


「えっと……よろしいのですか? このまま婚約を続けても」


 アネシスは戸惑っている。

 けれど、嫌がってはいないようだ。


「いいもなにも、俺がそうして欲しいと思っているんだ」

「何か、ご事情でもあるのですか?」

「事情……というよりは、気持ちの、問題だろうか……」

「もう少し、とは具体的にどれくらでしょうか?」

「それは、まだはっきりとは……」

 

 それは、君に好きな人ができるまで。

 あるいは、俺のことを好きになってくれるまで。

 でもそんなことは言えない。


「わかりました。何か、深い事情があるのですね。それでは、このままどうぞよろしくお願いします」

「いいのか?! ありがとう!」


 ペコッと頭を下げた彼女は、満面の笑みを浮かべていた。

 本当に愛おしい。

 俺は、これから彼女の想い人になれるよう、本当の婚約者になりたいと思ってもらえるよう、全てを尽くしていく。


 ◇ ◇ ◇


 婚約破棄を告げられると思っていたのに、まさか続けたいと言われるとは思っていなかった。


 びっくりした。それ以上に嬉しかった。

 まだ、クラージュ様の婚約者としていられるんだ。


 婚約の継続を了承した時の表情は可愛らしかった。

 そんなに嬉しいのだろうか。そうだといいな。


 けれど、複雑そうな表情で『気持ちの問題』と言ったクラージュ様は私には言えない想いを抱えているのだろう。

 やっぱりまだマリアンヌ様のことを引きずっているのだろうか。

 そんな簡単に忘れられるわけもないか。

 マリアンヌ様が嫁いでいってしまわれたから、クラージュ様も本当の婚約者を探すのかもしれない。

 でも、まだ気持ちが追い付いていないのだろう。

 だったら、気持ちの整理がつくその時まで、クラージュ様が私を必要としてくれる間は精一杯、婚約者というお役目を果たそう。


 「クラージュ様。私たち、仮にも婚約者なのですから、これからもたくさんおでかけして、たくさん美味しいものを食べて、たくさん楽しいことをしましょう! そうすれば、きっと前を向けるし、いいことがあるはずですっ!」

「いいことがある、か。そうだな、そうだといいな」


 少し前のめりになってしまったが、クラージュ様は柔らかく微笑んでくれた。


 これから一緒にいられる限りある時間を、もっと大切に嚙み締めながら過ごしていこう。

 いつか、婚約破棄を告げられるその時まで。


「アネシス、さっそくお願いがあるんだが」

「はい、なんでしょう」

「今度、王宮内の闘技場で公開演習があるんだが、見に来てもらえないだろうか」

「公開演習の観覧は招待された人しかできないのでは?」

「それはもちろん俺が招待する。アネシスが見に来てくれたら頑張れるんだが……。だめ、だろうか?」


 また子犬のような表情で不安そうに聞いてくる姿は、本当に可愛い。

 そんなふうにお願いされて、断れるわけがない。


「喜んで行かせていただきます」

「良かった! ありがとう」


 お仕事をしているクラージュ様を見るのは初めてだ。

 きっと、かっこいいだろうな。楽しみだ。



 

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