第10話 いつになったら?
久しぶりの街は、以前よりも賑わっていて、飲食店や服飾雑貨店、花屋や露店なども並び、華やかな雰囲気だ。
「いろいろなお店がありますね」
「このまま街を散策して、その後最近人気があるという食事処で昼食をとろうと思うんだがいいか?」
「もちろんです、嬉しいです」
そのまま私たちは並んで歩き出す。
可愛い雑貨やアクセサリー、ふわりといい香りがしてくる花屋に、いつもより足が遅くなる。
そんな私に合わせてゆっくりと歩いてくれるクラージュ様。
「見たい店があれば中に入ってゆっくり見てもかまわないぞ」
「はい、ありがとうございます。クラージュ様も何か気になるものがあればおっしゃってくださいね」
そこでふと、洋服店のショーウィンドウに飾られた一着のワンピースが目に留まる。
淡いブルーで、ウエストから広がるフレアスカートが可愛らしいデザイン。
レースなどの装飾はついておらず、シンプルなものであるけれど、それがまた上品で素敵だと思った。
それに、舞踏会のときに贈ってもらったドレスの色とよく似ている。
クラージュ様の瞳の色。
「可愛いな……」
「あの、ブルーのワンピース?」
「はい。シンプルですけど、デザインがとても素敵だなって」
「中に入ってみるか?」
「いえ、大丈夫です……」
素敵だけれど、きっと高価なものだろう。
私にはきっとまだ買えない。
「いこう」
「えっ……」
クラージュ様に手を引かれ、お店の中に入る。
そしてすぐに店員さんに声をかけた。
「あのブルーのワンピース、着てもかまわないだろうか」
「はい、もちろんです」
店員さんは飾ってあるワンピースを手際よくトルソーから外し、試着室へと案内してくれる。
「あのっ」
「着ておいでアネシス」
「……はい」
促されるまま試着室へと入る。
手渡されたワンピースに少し戸惑っていると、試着室の外から店員さんがこそこそと話しているのが聞こえてきた。
「あの方がクラージュ様の婚約者なのね」
「クラージュ様が女性の手を引いているなんて今までなら考えられないわよ」
「二人でお買い物なんてとても仲がいいのね。羨ましい」
盗み聞きしているような気持ちになりながら着替えをした。
袖を通したワンピースは着心地もよく、サイズもピッタリだった。
鏡に映る自分の姿は少しだけ大人っぽくなったようにも思える。
「素敵……」
「よろしいでしょうか」
「あ、はい」
カーテンが開けられ、向かいにはクラージュ様が立っている。
「よく似合ってる」
「本当によくお似合いです! お綺麗ですよ!」
「ありがとうございます」
嬉しい。素敵な服を着ると気持ちまで高まるのだなと思った。
けれど、ちらりと見えた金額はとんでもないものだった。
高価なものだろうと思っていたけど、ここまでなんて。私には到底買えない。
「あの、それでは私、元の服に着替えて――」
「では、このまま着ていこう」
「えっ? え?!」
また手を引かれ、そのままお店を出ていく。
店員さんたちは微笑ましそうに見送っている。
「あの、クラージュ様、代金は?!」
「もう払ってある」
「え?! どうして?」
「欲しかったんだろう? 俺にプレゼントさせてくれ」
「ですが、舞踏会のドレスも贈っていただきましたし」
買ってもらうなんて申し訳ないと焦っていると、クラージュ様は足を止め私の顔を覗く。
「どうして、ブルーのワンピースを選んだんだ?」
「それは……クラージュ様の瞳の色と似ていて綺麗だなと」
「そうだと嬉しいなと思っていた。ありがとう」
買ってもらったのは私なのに、お礼を言われた。
でも本当に嬉しそうで、クラージュ様が喜んでくれるなら素直に受け取るべきだと思った。
今、私がするべきことはちゃんと感謝を伝えることだ。
「ありがとうございます。大切に着させていただきます」
「ああ、じゃあ行こう。そろそろ腹も減ってきただろう」
お店を出るときに繋いだ手をそのままに、また歩き出す。
手を触れるのは初めてではない。
馬車を降りる時も、ダンスを踊った時も、手を握った。
何度もその体温に触れていたはずなのに、今更ながらに緊張して、ドキドキしてくる。
でも、そのドキドキが心地良いのは相手がきっとクラージュ様だからだろう。
連れてきてもらったのは、最近人気だという食事処だった。
季節ごとの旬な食材を使い、決して豪勢というわけではないけれど、味に深みがあり美味しいと評判だ。
「噂に聞いて一度来てみたいと思っていたんです。ありがとうございます」
「良かった。いつも作ってばかりいるだろう? アネシスにもゆっくり食事をとってほしいと思ってな」
「嬉しいです。とても美味しそうですね」
運ばれてきたお料理は彩りもよくどれも美味しそうで、食欲をそそる見た目をしている。
やっぱりお料理は見た目も大事だなと思った。
「いただこうか」
「はい」
ライ麦のパンに、赤ワインのソースがかかったラム肉のロースト、旬の野菜を大きめに煮込んだスープ、洋梨のパイ。
どれも素材の味が活きた味付けでとても美味しい。
「肉、柔らかいな」
「はいっ、とても! このラム肉はよく見ると繊維を断つように切り込みが入っていて、あと何かフルーツの香りがするのでそれも柔らかさの秘訣なのかもしれません。なんだろう? これも梨かな……パイに使えなかった部分を使ったのかも。食材を無駄にしない調理方法見習わないと……」
「アネシスは本当に料理が好きなんだな」
「すみませんっ! 考えだすと止まらなくなってしまって」
「気にしなくていい。アネシスの話を聞くのは楽しいんだ」
楽しいと言ってもらえて安心した。
私ばかり楽しませてもらっていると思っていたから。
贈ってもらった素敵なワンピースを着て、手を繋いで街を歩き、楽しく食事をする。
すごく、幸せな時間だ。
けれど幸せを感じれば感じるほど、この後告げられるであろう婚約破棄がつらいものに思えてくる。
いつ、言われるのだろう。
やっぱり食事が終わったら?
なんて思いながら最後の一口を口に入れた。
「とても美味しかったです」
「ああ、美味かったな」
食事を終え、ひと息ついたクラージュ様は真剣な表情になる。
私も自然と背筋が伸びた。膝の上で握った手に力が入る。
「アネシス」
「はい」
「……」
「……」
「えっと……この後、もう少し時間あるか」
「え、はい。大丈夫です」
「良かった。じゃあ、行こう」
食事処を出て、また手を繋いで街を歩く。
さっき、言おうとしていたのは何だったのだろうか。
婚約破棄を言い出しにくかったのだろうか。
でも、もう少しだけ一緒にいられることが嬉しかった。
少し歩いてやってきたのは大きな噴水のある公園だった。
木陰にあるベンチに並んで座り、噴水の周りを楽しそうに走り回る子供たちを眺める。
「子供たちは、元気だな」
「そうですね。とても楽しそうで見ていて癒されます」
きっと、ここで婚約解消の話をされるだろう。
悲しいけれど、仕方ないよね。
「今日、アネシスと過ごせて楽しかった」
「はい、私もです。ありがとうございました」
本当に楽しかったなあ。
でもこれで、クラージュ様とお別れか。
「君といると自然と笑顔になる」
「そう言っていただけて、とても光栄です」
ちゃんと、今までありがとうございましたって、笑顔で伝えないとな。
「いつも、感謝している」
……あれ、いつになったら?
もうここまでくれば、早く言ってもらいたい。いや、私から切り出すべきなのだろうか。
そう思っていると、クラージュ様が本題に入った。
「ギブソン家の子息が、新しく婚約を結んだらしい」
「はい。存じております」
「これでもう、君との婚約の理由はなくなった」
「はい」
「それで、だな婚約を……」
「はい」
ついに、婚約破棄を告げられる。
この婚約のおかげで望まない結婚をしなくてすんだ。
すごく楽しい時間を過ごせた。私にはもったいないくらい。
クラージュ様には感謝してもしきれない。
私にとって、一番の思い出。
悔いがないといったらウソになるけれど、これ以上クラージュ様に迷惑はかけられないのだから――。
「もう少し、続けてもいいだろうか」
「えっ……?!」
「婚約を、もう少し続けてもいいだろうか?」
クラージュ様は不安そうに、まるで子犬のような表情で私を見ていた。
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