戦前のひととき
その時のルインには心地よい風が吹いていた。
冒険者や兵士たちは自分達の持ち場についたり、まだやることがある人は忙しなく動き回っていた。
時刻は黄昏時。そろそろ日も落ちるくらいの頃である。
「メリアス、準備は大丈夫?」
世莉架は役所の近くの建物の一室の中で戦闘の準備をするメリアスに尋ねる。
既にその建物内から一般人は避難しており、一時的にこれから街を守るために戦う者達の拠点として開放されているのだ。
「えぇ、大丈夫よ。もうそろそろね」
ルインに危機が迫っていることが発覚し、作戦を立案されてからおよそ一日経った。
早くて一日で危険生物の大群が来るとの見込みだったため、もうルインの近くまで迫ってきている可能性は十分考えられる。
「街の外へ避難していった人達は本当に大丈夫だと思う?」
「どうかしらね。危険生物の大群が正確にどこを通るのかは分からないし、どれくらい広がっているのかも分からない。もしかしたら大きく道を逸れていくかもしれないし、今の状況で断言することはできない。でも避難所のキャパシティ的に仕方のないことだから」
これから危険生物達に対処するのは兵士や冒険者である。
そして戦う力のない一般人は避難することになるが、ルインにおける主な避難先は地下である。
元々避難用に作られた地下ではない。そもそも地下には街のインフラである水路などが主に張り巡らされている。
それ以外にも様々な用途で地下は掘られており、ある程度の広さのある空間も存在している。避難時にはそこを避難場所とする案自体は今回の事態になる前から決められていたことであり、住民にも通達されている話である。
しかし、ルインが大きい街であるが故に人口も多いため、一般人全員を地下に収容することは不可能である。
つまり、必ず地下へ避難できずに地上に取り残されてしまう人達が出てきてしまうのだ。取り残された人達をそのままにすることはできないため、街の外へ逃げてもらうことになる。
また、街の外へ一般人だけで避難してもらうのも危険なため、一部の兵士や冒険者が護衛として連れ立っている。
「せめてアークツルスからの救援が間に合えばいいんだけど……」
ルインの危機が発覚した際に、すぐさまフェンシェントの王都アークツルスに救援要請を出しに人を使わせたようだが、そのアークツルスまでは馬車で急いでも数日はかかる。
アークツルスに到着し、現状を伝え、状況を把握した国がルインへ救援を向かわせる頃には既に危険生物との戦いは終わっていることだろう。
「もう、全てを捨てて皆で逃げるのもアリだと思うけどね」
「勇者の二人がいなかったらその可能性も考慮されたかもしれないけど、守れることなら守りたいでしょう」
「だとしても、人がいなければ危険生物達の興味が街へ移ることも少ないかもしれないでしょ。そうなれば街への被害自体も減ると思うけど」
世莉架は皆で逃げてしまうのも立派な選択肢であると考えていたが、勇者の出現によってむしろ皆の士気が上がった。今更逃げようと思う者はいても少ないだろう。
ただ、今回は危険生物の大群と真正面から戦うことを目的としていない。避けて通ってくれるならそれが最も良い未来であり、街にぶつかる経路でももしかすると人間には目もくれず去っていくかもしれない。
何にせよ、戦わなくて済むのなら当然それが一番である。
「そうかもしれないけど、街の権力者達が思っていたよりも街に残っているのも大きいかもね」
このような事態でも街の権力者達は大半が街に残っている。勿論、大敗を喫して権力者全員が死亡するような事態は避けなければならないため、避難している者もいる。
しかし、街を管理し、豊かにし、市民の命を守るのが街の権力者達の仕事であり責任である。それらを放棄することがあれば支持を得られなくなり、責任者としての職務を追われた挙句に責任追及されることだろう。
兵士や冒険者だけを街に残して戦わせ、権力者達は安全な場所で身を隠しているだけというのは、少なくともフェンシェントという大国ではまず許されない。
そしてルインという大国内の大きな街の権力者は、能力以外に責任感も強く、精神的にも成熟している者が任命され、その審査も非常に厳しい。
ただ、必ずしも全員が全員素晴らしい人物とはいかない。ハーリアの両親が良い例であり、役所の中には間違いなく裏社会と繋がっている者達がいるだろう。
世莉架が動向を気にしているのはそういった者達である。
「まぁ、彼らが残るのは当然ね。これで逃げ出すような人はそもそも権力なんて与えられない」
自身の引きのチェックなどを淡々とこなしていくメリアスと、それを見ているだけの世莉架。二人の役割がよく分かる構図である。
世莉架は冒険者になりたてで神法も使えない。つまり前線に立たす訳にはいかないのだ。
対してメリアスは冒険者としてはそう実績がある訳でもランクが高い訳でもないが、戦闘神法が使えるという部分が大きく評価された。そのため、最前線という訳ではないが、前線に出ることになっている。
また、ハーリアに関しては当然戦える状態ではないため、なんとか空きのある地下避難所に避難させている。
「さて、準備OK」
「軽装ね」
「人の好みもあるけど、私は素早く動く方が得意なの」
メリアスの服装はほとんど変わらないが、荷物には戦闘用やサバイバル用の小物、食料や水が詰められている。
冒険者には多様な仕事があるが、野宿や食料を現地調達することは決して珍しくない。
そのため、最初は仕方ないが、冒険者にとってサバイバル能力や知識は非常に重要であり、覚えていかないとどこかで厳しくなる。
メリアスも冒険者。サバイバルに必要な物はある程度所持している。
それに加えて今回特別に配られた食料やその他便利グッズを荷物に詰めている。
何故現状でそのような荷物が必要かと言えば、危険生物の大群との攻防が一体どれほど時間がかかるか読めないからである。
街を通り過ぎていくだけならば大した時間はかからず済むだろう。しかしそうならない場合は攻防は長引く可能性が十分考えられる。
「それじゃあ、私は自分の持ち場へ向かうわね」
「えぇ、気をつけて」
メリアスは建物を出て、自分の割り振られた持ち場へ向かった。
部屋に残されたのは世莉架一人。
戦闘に参加できないと判断された世莉架は基本的に後方支援にあたることになる。
(これから攻防が終わるまでの間、メリアスと会うことはないでしょう。ハーリアは地下に避難している。後方支援の仕事はあるものの、冒険者初心者の私一人がいなくなったところで気にする者はいない。一人で動くタイミングね)
少ししてから世莉架も建物を出た。
後方支援は前線で戦う者達を支援するため、必要な物資を運んだり怪我人を治療したり、様々な役割を担っている。
そんな後方支援に回る者達は役所近くに拠点を設けており、そこに向かう必要がある。
だが、世莉架はそちらの方向へは向かわず、むしろ反対方向へ向かっていった。
(この街にも裏社会は確実に存在していることは分かった。そして、このような非常事態において彼らがどう動くのか……)
ルインが大きい街であるからこそ、そこに根付いている裏社会の組織も大きい。元組織はフェンシェントの王都アークツルスにあるようだが、それでもルイン独自のルールやルイン内で派生した組織があっても何ら不思議ではない。
そして地域に根付く裏社会の組織はその地域が衰退することを嫌う。周囲に何もないど田舎に裏社会などないように、人がいるところに裏社会の組織は生まれるからだ。
これらのことから、裏社会の組織からしてもルインが崩壊することは望んでいないはずである。そして今は非常事態であり、一般人は地下に避難しているか街の外へ避難していて街は閑散としている。
この状況、裏社会の者でも普段よりはある程度自由に行動できることだろう。組織を守るためにも、この攻防戦に参加している者や、何かあった時のために今のうちに残す資料の取捨選択や整頓でもしているかもしれない。
世莉架が確認したいのは裏社会組織のアジトの場所と、彼らの今後の行動である。
アジトの場所に関してはハーリアの両親の持っていた資料に中にヒントとなる情報が記載されていたこともあり、大体の目星はついている。
(メリアスには悪いけど、本格的に危険生物の大群との戦いが始まっても私は基本的に参加しない。むしろこの機会に裏社会の情報を掴みに行く。それに伴い、裏社会と繋がっている表の人間の把握やこの国全体の裏側について情報を得たい。もしかするとそこに例のレグルスが絡んでいる可能性もあるし)
世莉架は非常事態に陥ってから戦闘に参加する気は元々なかった。そんな風に表立って皆と協力して何かを成し遂げるなど、任務や目的に必要でなければ世莉架は忌避する。
やがて世莉架は目星をつけていた裏社会の組織のアジトの近くまで来た。
そこは危険生物が来る方向とは逆側の街の端の方であり、作戦でも特に誰かを配置する予定はなかったはずである。
普通の一般人が飲み物や食料を調達しに来ているだけの可能性もあるが、そこでは数名の男達が何かを話し合っていた。
世莉架はその超人的な聴覚で離れたところから会話を拾う。
(予想通り、彼らは裏社会の人間みたいね。今後についての方針を話しているみたいだけど、どうも意見が合わないようね。まぁ、裏社会に関わっていても組織の端くれは兵隊みたいに上司からの命令を徹底的に守るような人間であることはほぼない。まぁ、裏社会の一流どころは違うでしょうけど)
会話内容から、ルインの裏社会でも現在意見が分かれており、話がまとまっていないようだ。
王都アークツルスにあるという元組織に現状のルインについて伝わり、こちらへ命令が下されるのも先の話であり、それまでは自分達で判断しなくてはならないのだろう。
(ルイン内ではそこまで連携が取れている訳ではないのかしら)
そうして世莉架は次々と目星をつけていた裏社会のアジト周辺を探索し、ところどころで組織の人間を発見しながら情報収集を進めていった。
それから気づいた時には数時間が経過しており、辺りは完全に暗くなっていた。
人はほとんどおらず、危険生物に察知される可能性を考慮して街の明かりはほとんど消されており、冒険者や兵士は火をつけることで明かりとしていた。幸いにも月明かりと星々の輝きのおかげで、仮に火も無い状態でも真っ暗闇という訳ではない。
火の戦闘神法を使える者はこういう時にも重宝される。明かりは人間が夜を克服するためには必須であるからだ。
街は静寂に包まれている。冒険者や兵士は常に街の外側を警戒しており、時折物資の確認や作戦の確認についての話が行われるが、皆緊張して精神が張り詰めた状態であるため、熟練者でもなければその胸中は騒がしいものである。
最前線に立つアルファとエルファはこれまでの経験と自信から堂々としている。その姿は皆の安心材料であり、心の支えにもなっている。
自身のこと、これからのルインのこと、作戦のことなど、色々な考えが皆の頭を巡る中、ついにその時は訪れた。
「アルファ」
「あぁ、分かってる」
真っ先に気づいたのはアルファとエルファ。アルファは戦闘時に着用する赤い腕の鉄甲と腰から伸びる赤の短いマントを靡かせ、エルファは茶色の腕の鉄甲と茶色の質の良い腰巻きをして向かってくる脅威に目を向ける。
二人とも手に持っているのは自身の身長より少し短いくらいの槍である。先端は通常の槍と同じく尖っているが、そこには非常に質の良い高価な金属を使用しており、石程度なら軽く貫くことができる。
また、先端以外にも尖った部分があり、攻撃にも防御にも使える特注品である。
「全員、聞け!」
アルファの大きな声が響く。役所前で民衆にスピーチした時とは雲泥の差である。
その目は、戦闘を前にした戦士のものになっており、覚悟の現れである。エルファも同様だ。
配置的にアルファの声が聞こえない者も沢山いるが、少なくとも近いところにいる周辺の冒険者や兵士の目線はアルファに集まった。
「つい先ほど、危険生物の大群を確認した! これより我々は戦闘に入ることになるだろう。ルインという大きな街を絶対に守り切ることができると自信を持って言うことはできない。奴らが街を避けず、突っ込んでくるようなら被害をゼロに抑えることはほぼ不可能だ」
アルファは嘘は言わず、正直に思っていることを吐露する。
「だが、我々は街を託された。俺たちは勇者として、君達はルインを愛し、ルインを守る守護者として! 命を投げ打ってでも街を守れ、とは言わない。それでもその胸中に自身の誇りと街への、この街に住まう人々への想いがあるのならば、武器を構えて見据えろ。ルインの未来を!」
凄まじい雄叫びが周囲に響き渡る。勇者からの激励、それだけでも皆の闘志は湧き上がるが、完全に卓越した戦士としてそこに立つ勇者アルファの言葉はより深く刺さったのだ。
そして危険生物の大群から街を守るルイン攻防戦が始まる。そこにはとある組織が関わっており、それに属する人物もルインに近付いているが、今はまだ誰も知る由もない。
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