非常事態

 人を不安にさせる警告音の理由をはっきりさせるため、世莉架とメリアスは役所へ向かった。

 周囲の人々も動揺しながらも同じように役所を目指して動いており、役所へ着いた頃には多くの人が集まっていて皆不安気な顔をしている。


(周りの人達の様子を見る限り、こういった事態は滅多にないようね)


 そうして少し待っていると、役所の中からボディガードらしき人に囲まれて背筋の伸びた男性が出てきた。

 その男性がルインを管理するトップ、もしくはそれに近い人物であることはすぐに察することができる。

 男性は話をするために用意されたであろう高台に乗り、辺りを見渡した。


「皆さん、落ち着いてください! これから先ほどの警告音について、そして現状について説明いたします」


 その声は周囲に響き渡り、皆が静かになった。


(声が響く……。彼が手に持っている何かは拡声器やマイクのような役割を担っているようね。あれも神法でしょう)


 世莉架は神法の汎用性に関心しつつ、男性の話に耳を傾ける。


「まず先ほどの警告音についてですが、現在ここルインには危機が迫っています。その危機とは……、危険生物の大群が押し寄せているというものです」


 それを聞いて民衆は再びざわざわし始め、それが不安となって伝播していく。


「落ち着いてください。順番に説明します。まず、このことは数日前にとある冒険者から聞いた話であり、その事実を確かめるために私は兵士を派遣しました。そして今日、帰ってきた彼らから本当に危険生物の大群がこのルインに向かってきていることを確認したとの話を受けました」


 この世界における危険生物というのがどのような生物であるかを知らない世莉架はピンとこないが、少なくとも地球にいるような肉食動物程度で済む話ではないだろう。


「その危険生物が明確に意思を持ってルインを破壊しようと前進しているとは思えません。しかし、理由は不明ですが異なる種族が大群で集まって移動しており、その通り道にたまたまルインがある、ということかと推測しています」

「異なる種族……、普通じゃないわね」


 メリアスは神妙な面持ちで呟く。民衆は依然として不安気な表情をしているが、メリアスはとても冷静である。多くの場数を踏んでいるような、そういった貫禄を感じるところである。


「そうね、弱肉強食の世界で異なる種族が同じところを目指して共に行動するなんて、確かに普通じゃないわ」

「えぇ、こういう場合一番に考えられるのは、数多の危険生物でさえ恐れるような脅威から逃げるためとかかしら」

「あり得そうな話ね。ただ、具体的な移動速度やそれらの危険生物の様子が分からないと判断つかないわね」


 至極冷静に会話する二人。緊急事態において、パニックになって思考がうまく回らないのが一番危険である。

 冷静さを保てる者はそれだけで現状打破する能力に長けていると言える。


「通り道であるだけならばルインを避けて進んでくれるのが理想です。しかし、人間に害をなすが故に定められた危険生物の大群である以上、これほど多く人間のいる場所に来たら良い食料にしか見られないでしょう。そのため、ルインを避けてくれることはほぼ無いと思われます」

 

 危険生物達にとってはやはり人間はただの食料。通り道にいる人間は腹の足しになるだろう。


「そしてルインの周辺は基本的に穏やかで人間に害を与えるような危険生物の生息地はありません。それ故に、城壁などで街を囲む必要はなく、誰でも簡単に入れるようになっています」


 世莉架も初めてルインに訪れた時は、特に何かに阻まれることなく入ることができた。


「事実、過去ルインにこのような危険生物の大群が押し寄せてくる事例はありませんでした。そのため、このような事態にどう対処するべきなのかを判断するのが非常に難しいのです」


 初めての事態、過去に例がない。こういった時、概ね失敗に終わる。だが、その失敗を経て対処方法が明確に定められることが多い。

 しかし、それはつまり今回の事態に関しては失敗する可能性が高いということであり、それは最悪ルインという街が崩壊して終わるかもしれないのだ。

 

「ですが皆さん、ご安心ください。女神アウストラリス様は私たちを見捨ててはいませんでした。何故なら、偶然ルインに訪れた勇者様方がおられるからです!」

「……!」


 またも民衆はざわざわと落ち着きがなくなる。

 話を聞いている限り、状況は最悪に近いということが分かってしまう。しかし、一縷の希望を提示され、皆は期待を高めた。


「勇者様方、どうぞこちらへ」

「方って、もしかして複数人?」


 メリアスは驚いた表情で言う。勇者についての説明は前に冒険者協会内でメリアスから説明を受けていたため、世莉架はとりあえず影響力のある実力者という認識ができている。

 そうして高台に上がってきたのは二人の男女。

 

「勇者アルファ様とエルファ様です!」


 一瞬の静寂の後、民衆は徐々にその二人の存在を認識し、歓声を上げた。

 

「勇者アルファとエルファ……! なるほど、これはかなり希望が持てるわね」

「そうなの? 前に聞いた話からすると、勇者は皆個性的であまり協力関係を築けるような相手じゃないっていう印象を持っていたのだけど」

「まぁ、大体それで合ってるわ。けど、彼らは別だと思う。個性的で曲者揃いの勇者達の中で一番理性的というか、話がしっかり通じるイメージね」

「逆に言うと他の勇者は話が通じないってこと?」

「通じないことは無いと思うけど、我が強いんじゃない? 私も勇者を見たことは何度かあるけど、じっくり話したことなんてないから分からないわ」


 勇者の存在は強大だが、非常に扱いにくい。しかし、幸いにもルインに訪れたのは扱える相手のようだ。

 

「あー……、皆さんどうも、アルファです。元々は別の用があってルインへ来たのですが、偶然にもルインの危機が間近に迫るタイミングだったようです。まだこれからどう危険生物の大群に対処するのかは決めていませんが、勇者の名にかけて、必ずこの街を守ってみせます」


 そう簡潔にスピーチをしたのは男の方である。頑丈そうな鎧などをつけている訳ではなく、簡易的で身軽さを重視したシンプルな鎧をつけており、短い茶髪の端正な顔立ちの青年である。

 同じく、シンプルな鎧をつけている茶髪のミディアムヘアの美しい女も挨拶をする。


「アルファの双子の妹のエルファです。このような事態になっている街を見捨てる訳にはいきません。全力でルインを守ります」


 二人のスピーチを聞き、またも歓声が上がる。


「双子だったのね。確かに顔は似ているわ。それにしても、二人ともこういうの慣れていなさそうね」

 

 しかし、世莉架はそんな二人の勇者がこういう場に慣れていないことに気づいた。

 簡潔なスピーチの中で何を言えばいいのか分からず、とりあえず無難な言葉を探して早々に終わらせたようだ。

 勇者であっても表に出るのが得意だったり目立ちたがりという訳ではなさそうである。


「ただ、こうして緊急で皆さんを集めていることからも分かると思いますが、決して猶予がある状態とは言えません。早ければ一日後、遅くとも二、三日後には危険生物の大群がルインに到達すると思われます」

「早ければ一日か……。戦えない住民の避難とか、大急ぎで取り掛からないといけなそうね」


 メリアスの言うように、急いで逃げる準備や戦う準備、作戦の立案など、多くのことをこなさないといけない。


「今この場にいない方も大勢いらっしゃいます。住民の皆さんはこのことをできるだけ多くの方に伝え、できるだけ早く避難できる準備をお願いします。避難の方法と場所についてはすぐにこちらで定め、決まり次第お伝えします。そして、兵士がこの事態に全力で対処するのは当然ですが、この後冒険者の方々はここに残ってくれないでしょうか。今は猫の手も借りたい状態です。既に冒険者協会には通達を出していますが、どうか、冒険者の方々にもご協力をお願いしたいのです」


 今回の危機を乗り越えるためには、街の兵士と勇者だけでなく、冒険者の力も必要であるという見積もりのようである。ただ、そんなことは誰もが分かっており、冒険者達も自分達の身と街を守るため、そのつもりでいる者が大勢いる。


「セリカ、どうする? 本当はこの後ハーリアの様子を見に行くつもりだったけど……」

「そうね、少なくともどちらかはここに残って話を聞いた方がいいわね。でも、メリアスはあの子の家の場所を知らないでしょう? だから私が案内しないといけないんだけど、この緊急事態だし、急いでハーリアも避難させないといけない。まぁ、家には兵士がいるから私達がいなくても大丈夫だとは思うけど」

「じゃあとりあえず私が話を聞いておくわ」

「分かった。多分ハーリアを連れてくることになると思うから、そこで話をしてあげて」

「うん」

「それじゃあ、よろしくね」


 そうして二人は別れ、メリアスはこれからの冒険者としての役割や今後についての話を聞くため役所に残り、世莉架はハーリアの様子を見て避難させるためにハーリアの家へと向かった。

 日が沈み始め、夜が近づいてきているタイミングで世莉架がハーリアの家に着くと、そこにはハーリアを支えながら家から出てくる兵士がいた。


「すみません、遅くなりました。他の皆さんは?」


 多くの兵士や取調官がいたはずだが、人数は大分減り、数人の兵士と一人の取調官しか残っていなかった。


「先の警告音を聞き、現在ルインが非常事態であることが分かりました。ですから一旦捜査を取りやめ、大半は役所前に向かって話を聞き、今頃非常事態の対処にあたっていると思います。セリカさんも役所前に?」

「はい、実は……」


 そこで世莉架は迫り来る危機について簡潔に話した。それを聞き、兵士たちは驚きつつも気を引き締めた表情になる。


「分かりました。教えていただき、ありがとうございます。私達も急ぎ戻らなければ……」

「はい、ですからハーリアは私に任せてください」

「よろしいのですか?」

「はい。今のその子には頼れる人がいませんし、先ほど申した通り今のルインには一刻の猶予もありません。皆さんには急いで戻ってやらなくてはならないことがあるはずです」

「ありがとうございます」


 礼を述べ、兵士達と取調官は急いで戻っていった。残ったのは、朝と変わらず目が虚ろで魂が抜けてしまったようなハーリアと世莉架だけだ。

 支えていないと倒れてしまいそうなハーリアを支え、世莉架は歩き出す。

 役所の方へ向かう道を歩くと美しい夕日が見える。その光景だけを見れば、とても危機が迫っているようには思えない。


「……」


 ハーリアが立ち直るまでにどれだけかかるか分からない。ただ、凶悪な犯罪者であってもハーリアにとっては唯一の両親を殺してハーリアをこんな状態にしたのは世莉架であり、その責任がある。

 

(こうなってしまった以上、最低限のケアはしないとね。この子が立ち直ったら兵士達に頼んで引取先を探してもらいましょう。本当は神法を教えてもらいたかったけど、もう難しいかもしれない。残念ね)


 今の世莉架にとって大事なのはハーリアを立ち直らせることとルインの危機を脱することである。最低でもこれらが済めばいよいよ世莉架は冒険者として活動しながら旅ができるようになるだろう。

 ハーリアの目は暗い。目こそ開いているが、思考がまとまらず、自分の意思でまともに体を動かすのも難しい。

 いかに肉体が元気で健康的であろうと、精神のダメージの影響は恐ろしく肉体にも伝播する。

 ハーリアという繊細で親想いの少女にはあまりに苦しい現実であり、それをすぐに受け止められるほどの精神力はまだない。

 人の心の状態など関係なく、夕日が静かにゆっくりと沈んでいく。その毎日見れるはずの光景を見て、ハーリアの目がほんの少し揺らいだ。

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