絶望の朝
世莉架がハーリアの家に来てから一夜を超え、朝を迎えた。
「んん……」
自室で目が覚めたのはハーリアである。普段から規則正しい生活を心がけ、実際そうしているハーリアは体内時計がしっかりしており、基本的に毎日同じくらいの時間に自然と起きる。
「そっか、昨日……」
ハーリアは上体を起こし、昨日あったことを思い出す。
同じ部屋で眠ることはできなかったが、世莉架が泊まることになり、賑やかな夜を過ごした。
「よしっ」
ハーリアは普段よりも心を弾ませながら身支度をして朝食を食べるために部屋を出た。
幸せだと思える時間は、そう長くは続かないことなど、気持ちよく眠っていたハーリアには知る由もない。
「……?」
それは少しの違和感だった。ハーリアの両親はいつも朝早くに起き、母親は朝食を準備し、父親はその日の仕事の確認や新聞のチェックを欠かさない。
しかし、リビングを見渡しても両親の姿は無く、とても静かな空間が広がっている。
(どうしたんだろう……。まぁ、昨日は賑やかだったし、もしかしたら珍しく寝坊でもしてるのかも。あ、いや、今日は普通にお父さんは仕事だったはずだし、お母さんは分からないけどもう家を出たのかも)
どういう状況なのか分からなくとも、自分の中で勝手に答えを出して納得する。
(セリカはもう起きてるのかな? 寝坊するようなイメージはないけど)
世莉架がどうしているのかが気になり、ハーリアは世莉架が泊まった客室に向かう。
そして客室の扉を開ける。
「セリカ?」
しかし、そこに世莉架の姿は無かった。
「あれ?」
世莉架が部屋にいないとなると、既に起きているのかと当然ハーリアは思う。
(トイレにでも行ってるのかな? まぁ、とりあえず私も身支度だけしちゃおう)
昨日の夜が嘘かのように静まり返っている家の中、ハーリアは身支度を済ませてしまうことにした。
身支度を終え、再びリビングに戻るが依然として誰もいない静かな空間のままだった。
「……」
今日の朝も楽しい時間になるとワクワクしていたハーリアは少しの寂しさを覚えつつ、確実に家にはいると思い込んでいる世莉架がリビングに来るのを待つことにした。
しかし、世莉架はやってこない。トイレにしては流石に長すぎる時間が経ち、ハーリアはトイレを確認するが、そこには誰もいなかった。
身支度の際に風呂に誰かいるのかを確認しているため、いよいよ世莉架がどこに行ったのかが分からなくなる。
(一体どこに行っちゃたの……。でも、今日メリアスさんとセリカと私で合流する約束はしているし、遅くともその時には会えるはず。というか、今日は普通に学校だし、そろそろ家を出る時間になっちゃう……)
ハーリアは制服に着替え、鞄を用意していつでも家を出られる状態にあるが、未だに誰もリビングにこない状況が不自然で落ち着かない。
(一応寝室行ってみよう)
それまで勝手に両親は仕事などを既に家を出たものだと思っていたハーリアだが、念の為両親の寝室に行ってみることにした。
だが、その時家の外が騒がしくなっていることに気づいた。
「なんだろう?」
カーテンを少し開き、窓の外を見る。
「え……?」
そこには街の犯罪を取り締まる兵士や取調官、そしていなくなっていた世莉架がおり、まさに家に入るところであった。
「ちょ、ちょっとセリカ!?」
当然ハーリアは困惑し、何事かと家に入ってきた世莉架に駆け寄る。
「ハーリア、ごめんなさい。落ち着いて……、いや、覚悟して聞いてちょうだい」
「え?」
「すみません、場所は……」
「あ、案内します。ハーリア、やっぱり見てもらうのが早いと思うけど、直視はしないで」
世莉架がハーリアに状況を説明しようとすると、取調官の一人がこんな状況になってしまった原因の場所を尋ねてきたため、世莉架はその問題の場所へハーリアを連れて行くことにした。
「……」
ハーリアの顔は緊張と不安で強張っている。沢山の兵士や取調官が入ってきたことによる困惑、未だに顔を見せない両親、世莉架の不安になる言葉。ハーリアの心臓の鼓動を悪い意味で早めるには十二分な状況である。
「こっちです」
世莉架の案内で家の二階に向かう。そして立ち止まったのは、ハーリアの両親の部屋の前だった。
「っ……」
ハーリアは無意識に世莉架の服の裾を掴む。息が荒くなり、心臓の音が頭に響く感覚を感じながら、世莉架が開けていく寝室の中を見る。
「これは……」
そこにはハーリアの両親ではなく、黒い格好の人物が倒れていた。
ハーリアは両親で無かったことに少しの安堵を覚えながらも、そんな怪しい人物が両親の寝室で倒れているという事態に、強い危機感と自分が寝ている間にとんでもないことが起きていたことをようやく理解し始める。
世莉架は少し話をして何人かの兵士がその倒れている人物の状態を確認し始めた。
「あとは……」
次に世莉架が見た方向には、四角の穴が空いている天井に梯子がかかっていた。
「何あれ……」
その天井裏のスペースの存在を知らなかったハーリアは驚きつつ、今までにないほどの嫌な予感が体を駆け巡った。
「先に私が登ります。ハーリア、やっぱり貴方は見ない方がいいかもしれない。ここで待っていて」
「いや、でも……」
「勿論、わざわざ現場を見なくても、貴方は否応にも事態を理解することになる」
「……」
「そうですよ。貴方はイザール夫妻の娘さんですよね? ここは我々に任せてもらった方がいいかと」
「……」
取調官の一人も見ない方がいいという世莉架の意見に賛成のようだった。世莉架は黙り込んでしまったハーリアを背に、梯子を登る。
それに続き登ってくるのは兵士や取調官ではなく、ハーリアだった。
見なくてもいい、結局は事態を理解することになる。世莉架はそう言ったが、そんなことは分かっていることである。だが、自分の目でその光景を見なければ、納得できないのではないかという思いがハーリアにはあった。
梯子を登るごとに少しつつ天井裏のスペースが見えてくる。まずは立って床の方を見ている世莉架の姿が目に入ってきた。
緊張の高まりと共に、ハーリアの目には毎日のように見ている愛する人達の姿が入ってきた。
「あ……」
小さく息が漏れ、梯子を上がる足が止まる。否、止まってしまった。
そこには天井裏の小さな部屋の中で倒れている両親の姿があった。ただ倒れているだけであれば足が止まることは無かったかもしれない。
だが現実は倒れている両親の首がありえない方向に曲がっているという、どうしようもなく受け入れ難いものだった。
世莉架は固まってしまったハーリアの前にしゃがみ込み、視界を遮った。
「ハーリア、戻って」
「セ、セリカ? あ、え……」
上手く思考ができず、言葉も上手く紡げなくなっているハーリアの肩を掴み、梯子から降ろさせる。
「すみません、お願いします」
放心状態のハーリアの横で兵士や取調官が梯子を上がっていく。
何人かの兵士がハーリアの精神的なケアをしようとするが、ハーリアの頭の中はまともに動いてはくれなかった。
それから世莉架は屋根裏部屋で発見当時の状況などを説明し、事情聴取を長いこと行なっていた。また、寝室以外にも倒れている人物がいたこともあり、説明は長引いた。
やがて事態は一旦落ち着き、事件の調査は引き続き兵士達に任せて世莉架は自室に戻ったハーリアの元へ向かった。
「ごめんなさい、遅くなったわ」
「……」
ハーリアはベッドに寄りかかるように座っており、何もないところを見つめている。
「今の貴方に説明するのは酷かもしれないけれど、一応話しておくわね」
それから世莉架は夜トイレに行った時に聞こえてきた物音が気になって寝室に向かい、そこで倒れている人物やハーリアの両親を発見したとの話をした。
それは事実とは異なるが、黒い格好の裏社会の組織の者がいたことでその者達との間で起きたトラブルのように見せかけることができるのだ。
ただ、ハーリアにも一つの事実を説明する必要がある。
「それと、今の貴方に追い打ちをかけることになってしまうかもしれないけど、貴方の両親は裏社会と繋がっていたわ」
「……裏、社会……」
「そう。多くの拉致、監禁、人身売買を行なっていたことが分かる証拠が出てきてしまった。恐らく、裏社会の中で何らかのトラブルが発生したのではないかというのが今の所の推測。だから、結局いつかはこのことが表に出て逮捕されることがあったかもしれない」
「……」
「今こんな話聞いても、頭に入らないわよね。心の整理がついたら改めて説明するわ。今は休んでいなさい」
ハーリアの耳に世莉架の声は届いている。届いているが、それを理解するのに時間がかかるのだ。
世莉架はそんなハーリアを気の毒だとは思いつつ、今後のことを考える。
(今日はメリアスとまた会う約束になっていたけれど、ハーリアは無理ね。とりあえず私だけ行って状況説明はしないと)
ただ問題となるのは放心状態のハーリアをどうするかである。ハーリアには頼りになる親戚がいないという話を聞いているため、このままだと一人になってしまう。
勿論兵士たちに保護されるような形にはなると思うが、それがハーリアに精神にとっていいことなのかは不明である。
「ハーリア、とりあえず今日のメリアスとの約束は私だけで行くわ。状況を説明してくる」
「……」
ハーリアは頷いたかどうか分からないくらいに小さく頭を動かしたが、やはりまともに会話できるような状態ではない。
(こうなる可能性は考えていたけれど、思っていたより重症ね。それもそうか。ハーリアからすれば愛情たっぷりに育ててくれた両親が一夜にして死んでしまったのだから)
悲惨としか言いようのない状況に置かれているハーリアだが、世莉架がずっと側にいてやれることはできない。世莉架はまず冒険者として仕事をし、最低限でもお金を稼いでいかないといけないからである。それに、いつかはルインを出て旅をすることにもなるだろう。
世莉架自身がまだまだ異世界に適応している最中であり、いきなりこのような事件に巻き込まれてしまい、災難なのは世莉架も一緒だ。
それから更に時間が経ち、未だ兵士や取調官は調査や事件の処理を行なっているが、世莉架は少し出かける旨を伝えてメリアスに会いに行くことにした。
「ハーリア、メリアスに会ってくるわ。話が終わったらまた戻ってくるから」
ハーリアは少し頷いた。それを見て一応反応はしてくれることに少しの安堵を覚えつつ、世莉架は出かけていった。
約束の時間と約束の場所で世莉架が待っていると、メリアスの姿が見えてきた。
「こんにちは、セリカ」
「えぇ、ちゃんと約束通りね」
「あれ、ハーリアは?」
「実は、今日はその話をしにきたの」
それから世莉架はイザール家で起きた事件のことを簡潔に話した。
最初こそ普通に聞いていたメリアスだが、段々と表情は暗くなった。例え全くの赤の他人の話だとしても、決して気分の良い話ではない。
だが今回は昨日仲良くなったばかりの近い年の友達に起きたあまりにも不幸な現実である。気分が暗くならない方が無理だろう。
「……、それでハーリアはどうしているの?」
「正直、放心状態よ。無理もないわ。しばらくは心の整理をさせるためにもあの子ができるだけ安心できる場所にいるのが良さそうね。けど、親戚には頼れないそうだし、兵士たちに保護されて果たして落ち着くかどうか……」
「そう……」
今日も楽しい話ができると思っていたメリアスだが、このような話を聞いてすぐにハーリアのためになることをしようという思考に切り替える。
「この後ハーリアに会いに行ってもいい?」
「えぇ、大丈夫だと思うわ。今日は冒険者の仕事は?」
「もう今日の分の仕事は終えたし、貯金はある程度貯まってきているから大丈夫よ」
「分かったわ。それじゃあ早速行きましょう」
そうして二人はイザール家に向かおうとする。三人でいれば少しはハーリアも心が落ち着くかもしれない。
しかし、現実は誰に対しても非情であり、平等である。それ故に、往々にして良くないことは立て続けに起きるものである。
「え……?」
突如、大きな音で警告音のような不安を掻き立てる音がルインの街中で響き渡った。周囲を行き交う人々も突然のことに足を止めて不安気な表情になっている。これが良い知らせではないことくらいは誰でも察することができるだろう。
「そういえば、いつだか説明を受けた気がするけど、確かこういう警告音が鳴った時は緊急で役所の前の広場でその理由を説明されるはず」
「なるほど、じゃあ状況を把握するためにもその説明だけでも聞きにいきましょう。内容によってはすぐにハーリアの元へ向かわないといけないかもしれない」
多くの災難が一気に集中しているかのように、今度は街全体を巻き込む大きな災難が降り掛かろうとしていた。
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