罪と不幸

「ま、待ってくれ!」


 ドルクスは冷や汗を流しながら世莉架に懇願する。


「すまない。まさか君がこちら側の人間だとは思わなかったんだ。本当にただの外国人の浮浪者なのかと……」

「そうでしょうね。そう演技したもの」

「演技……、しかし、全く違和感など無かったが……」

「そう。やっぱりそういう目は肥えているのね。けど、私の演技を見抜くのは相当難しいと思うわよ」


 世莉架は自分の頭の中の別人像を正確に自己投影し、その通りの仕草、その通りの喋り方などを思った通りに演技する事ができる。

 非常に鋭い感覚派の人間であればなんとなく違和感のようなもので疑われる可能性があるが、基本的に見抜くことはできない。

 そうして二人を欺いたのだ。


「そ、そうか。とにかく、僕達を処罰するのは待ってほしい。君はどこの所属だ? うちの組織ではないだろう?」


 するとドルクスは世莉架が裏社会のどの組織に所属しているのかを問うてきた。だが、世莉架はこの異世界に転移させられて日も浅く、どこの組織にも属していない。

 裏社会には裏社会のルールや組織が沢山存在している。また、表の社会と異なり、危ういバランスで各組織の均衡は保たれており、とにかく血生臭い。

 そして時たまその均衡は崩れ、話し合いを飛ばして殺人、略奪、裏切りなどが起きる。

 

「料理やお風呂を堪能させてもらった恩はあるけど、貴方の質問に答えることはないし、そんな時間もない」


 世莉架はそう言うと床に倒れて拘束されているドルクスの前にしゃがみ込む。


「貴方達のこれまでの所業を考えると、捕まったらほぼ確実に処刑されるでしょう。まぁ、裏社会の存在が露見する可能性を考慮して正式に民衆にそのことが伝えられることは無さそうだけど。特にドルクスさん、貴方は役所の中でも結構良いポジションにいる。そして役所の中には、裏社会と関わりのある人間が他にもいるでしょう?」

「……」

「沈黙は肯定と受け取りましょう。その裏社会と関わりのある他の人達は自分たちのことを考えて貴方達を犠牲にする。ほぼ間違いなくね。助けようとすると自分たちも裏社会との関わりを疑われてしまうから」

「つまり、何が言いたいんだ?」

「わざわざ言わせたいの? 色々と話しておいた方が身のためよ。何故ならしくじって拘束されて絶対絶命の貴方達を様々なリスクを背負ってまで救おうとする人はほぼいない。どんなルールや矜持を持つ組織に属しているのか知らないけれど、余程重要な人物でもなければ容赦無く見捨てられるのが裏社会。分かっているわよね?」


 捕まって今後の処遇を待つ身にでもなれば最早救出などされることはない。街の秩序や平和を守る兵士など、しかるべき機関に差し出される前であれば世莉架を排し、救出を試みることはあるだろう。

 ドルクス達からすればそこだけが希望な訳だが、世莉架が自分達をどうしようとしているのかを判断しかねているところがある。


「情報を話せば助けてくれる。そういうことでいいか?」

「さぁ? 好きに解釈してくれて構わないけれど、よく自身の状況を考えた方がいいとは思うわ」

「……」


 それからドルクスは所々躊躇しながらも、自身の組織の構成や大まかな人数、主な仕事などを話した。


「一体いつから裏社会に?」

「……、最初は結婚してすぐにだった。僕も妻も、実家は普通より少し下くらいの庶民だったから、成り上がるためには何でもしてやろうという気概があった」

「自分からというより、誰かに誘われたんだろうけど、安易に手を出してしまったという訳ね。裏社会の仕事はどれもリスクは高いけれど、特に金銭面に関してのリターンは非常に大きい。この家も家に置いてある高価な物も、流石にある程度の地位の役人というだけでは無理そうだもの」


 非合法の仕事というのはハイリスクハイリターンであることが多く、その時の自身の状況や心の余裕次第では安易に手を出してしまうことは若者ほどあり得る話だろう。

 野心を持ち、大きくなってやろうと思っていたドルクスとユメルは誘われるままに手を出してしまった。そして非合法な裏社会の旨みを知ってしまい、長いこと続けているという訳である。


「……、もう今更この仕事を辞めることなどできない」

「分かっているわ。まだ一、二回仕事しただけとかならなんとか逃げ出せるかもしれないけれど、もう貴方達は裏社会の中で地位を得てしまっているし、仕事を出したり指示したりする側になっている。もう抜け出せない。絶対にね」


 裏社会は文字通り裏の社会であり、普通の人は知らない社会である。裏社会にどっぷり浸かっている者が抜け出そうとしても、裏社会の情報を握っているというだけで間違いなく追われることになる。それも裏社会の中でも地位が高ければ高いほど重要な情報を握っているため、より逃す訳にはいかなくなる。


「それで、君はこれからどうするんだ? 組織の情報は話した。僕達は……」

「いえ、まだよ。組織の頭がいるでしょう? 名前や容姿、その他詳細を教えて」

「……」

「分かっているでしょう? 黙っていてもいいことはないわ」


 二人の所属する裏社会の組織のトップ。その存在をまだドルクスは話していなかった。


「信じてくれるか分からないが、実はよく知らないんだ」


 よく知らないと言ってシラを切るのは今更通用する訳がない。

 そこで世莉架はじっとドルクスを見る。嘘を見抜くことのできる世莉架はドルクスが嘘をついていないことを確信した。


「なるほど、例え組織の中である程度の地位を確立している相手であっても詳細を知られないようにするタイプね」

「そうだ。詳細な情報どころか、本名や容姿すら全く知らない。そもそも会ったことがないからね」

「もっと地位の高い側近のような人しか実態を知らないのでしょうね」

「というより、ルインにはきっと組織のトップの詳細を知っている者はいないだろう」

「というと?」


 ドルクス達だけでなく、他のルインで活動する組織の人間もトップを知らないという。


「僕達の所属しているルインで活動する組織は、元となる大きい組織からいくつも枝分かれしたうちの一つに過ぎない」

「なるほど、親組織があるのね。そしてその拠点はルインにはないと」

「その通りだ。我々を束ねる組織の拠点はフェンシェントの王都、アークツルスにある」


 王都アークツルス。世莉架はその存在は周囲の会話などから知っている。

 フェンシェントという大国の中心であり、その規模は非常に大きく人口も多い。つまりは先進国の首都ということである。


「そこに拠点があると。まぁ、末端の組織員の命なんてゴミみたいなものでしょうね」

「あぁ、そう思われてるだろうな」

「なら尚更、ある程度の地位があっても所詮は地方の一組織員でしかない貴方達に逃げ場はないかもね」

「……」


 ドルクス達は組織から見捨てられる。残念ながらそれが現実だろう。


「さてと……」

「!」


 それまでは話を聞くモードになっていた世莉架だが、急にガラッと雰囲気を変えた。そのことを敏感に感じ取ったドルクスは焦りの表情を見せる。


「もう時間かしらね」

「ま、待ってくれ……」


 世莉架は最早話を聞くつもりはない。

 そもそも状況的に時間的猶予は少なかった。定期的に合図を送ったりして作戦が上手くいっているかの確認をしたり、連絡を取っていると考えて世莉架は動いており、二人気絶させた上でドルクス達を拘束しているため、流石に家の周囲にいる敵には怪しまれていると考えるのが妥当だ。


「僕の分かる範囲だが情報は吐いただろう。どうにか……」

「どうにか、何?」

「……、見逃してくれないか?」


 当然、ドルクスからしたら見逃して欲しいに決まっている。この状況、捕まったら高確率で処刑される。仮に処刑されなくとも厳しい罰が待っていることだろう。そして一度捕まってしまえば組織からの救援は期待できない。

 そうなるとここで世莉架に見逃してもらうことしか希望がない。

 すると拘束されてからずっと黙っていたハーリアの母親であるユメルが口を開いた。


「そ、そうよ……、私達はリアの親。子供には親が必要で、あの子はまだ私達を必要としている。私達がいなくなったらあの子はどうやって生きていけばいいの?」


 ユメルは子にとっての親の重要性について説き始めた。それは見逃してもらうための口実というだけでなく、ユメルの本心でもあった。

 

「この家は? 財産は? 学校や冒険者は? あの子を取り巻く環境の変化を考えたら私達がいなくなってしまうのはあまりに酷だと思わない?」

「……」

「貴方にも分かるでしょう? あの子は一人で生きていけない。不幸なことに私達に親戚はほとんどいなくて、数少ない親戚とリアはほとんど面識がないの。友人一人作るのも難しいリアにとってはとても辛く苦しい道よ……」

「……」

「お願い、私達を見逃して。いつか罪を償う時が来てもいい。けれどそれは、せめてあの子が自立して一人でも生きていけるところをこの目で見ることができたらにしてほしい。その時は……」

 

 そこまでユメルが話した時だった。一つの溜息がユメルの言葉を遮った。


「何を勘違いしているの?」

「……、え?」

 

 とても冷たく、感情を一切排除したかのような、機械的な声のようにも聞こえる声だった。


「そんな風にハーリアのことを考えるのであれば、そもそも裏社会に手を出さなければ良かったし、ハーリアが生まれる前に始めたのだとしてもどこかでやめる努力をするべきだった。そうすれば捕まってもまだ罪は軽かったでしょうに」

「それは……」

「子を思う親とは、とても感動的ね。でも、子を思う親だからといってこれまで貴方達が行ってきたことが許される訳じゃない」


 沢山の人を不幸にしても子供がいるから許される。そんな甘い世界なら世の中の犯罪はもっと横行していることだろう。


「貴方達は自身の行いによってハーリアを苦しめることになる。主に人攫いや人身売買を行ってきたようだけど、そのターゲットにされて攫われた人達は今頃どうなっているのかしらね。恐らく、もう死んでいる人や死んだように生きている人が大半でしょう。その人達にも家族や友人がいたでしょうに」

「で、でも……」

「もう諦めさない。貴方達は殺人はしていないようだけど、それでもあまりに多くの人々の人生を壊し過ぎた」

「で、でも貴方に私達を裁く権利はないでしょう!? 許す許さないも、別に貴方に言われる筋合いはないわ!」


 ユメルは最初こそ世莉架に言い返せないでいたが、段々と腹が立ってきたのか勢いよく言い放つ。それによってか、ドルクスも同調し始める。


「そうだ、君との関係は薄く、僕達に何かを説くような立場じゃないだろう。仮に僕達が殺されるとしても、それは君にじゃない」

「そうよ! 貴方は所詮リアと知り合ったばかりの友人とも言えない他人でしょ? 大人しく攫われておけばいいものを……」


 目の前で喚く二人に対し、世莉架は静かに言い放つ。


「ねぇ、忘れたの? 私も裏・の人間よ」


 世莉架にとって、二人は飽きるほど見てきた裏社会のどうしようもない人間に過ぎない。そんな相手に世莉架が甘さを見せる必要性は全くないのである。

 二人のしてきたことを詳細に調べると、普通の人では気分が悪くなってしまうことだろう。しかし、世莉架にとっては何てことはない、裏社会の日常の一つとしか思えないのだ。


「貴方達がどれだけハーリアを使って命乞いをしたり情状酌量の余地を残そうとしようが、それこそ私にとっては関係ないことよ。だって、貴方達は私を害そうとしたんだもの」


 世莉架は床に突っ伏す形のドルクスを片手で引っ張り上げる。


「自分達が散々多くの人を不幸にしてきたんだから、自分達が人の手によって不幸な目に遭わされても当然文句はないわよね?」

「っ……!」

「それとさっき、私に貴方達を裁く権利はないと言っていたけれど、裏社会に生きる人間にそんな話が通用する訳ないでしょう」

「まっ……!」

 

 ドルクスが制止の言葉をかけようとした時、その首が本来人間が回すことのできない角度まで強制的に回された。

 そして世莉架が手を離すとドルクスの体は力なく倒れ込む。


「ひっ……!」


 ドルクスの目は光を失い、誰が見ても生きているとは思えない状態のドルクスを前に、ユメルは恐れ慄く。

 そんなユメルに世莉架は近づいていく。


「ま、待って……、お願い……」

「それを聞いてあげる必要はないわ」


 ユメルはずるずると移動し、壁の隅で縮こまるが、世莉架はそんなユメルの首に遠慮なく手を伸ばす。


「あっ……!」

「それと、ハーリアには悪いと思っているわ」


 完全にこれで終わったと悟ったのか、ユメルは最後に言いたいことを言うことにした。


「く……、貴方に……、こんな簡単に人の命を奪える貴方に、私達によって不幸にされた人達のことを語る資格はないわ! 貴方こそ、一体どれだけ多くの人を不幸にしてきたの!?」


 世莉架の一切容赦のない、それでいてとても的確で素早い素手での殺人は、世莉架のこれまで歩んできた道をなんとなく想像させる。


「えぇ、そうね。耳障りのいい言葉を使っただけだもの。言ったでしょう? 私もそちら側だって」


 その目には何の感情も映ってない。人を殺す直前だというのに、一切の心のブレがなく、ただの作業のようだ。

 世莉架の美貌とは裏腹のある意味で狂気的なその姿に、ユメルは再び心の底からの恐怖を覚える。


「あ、悪魔……」

「そう。所詮貴方も私も……、人の形をしているだけの、どうしようもない悪魔よ」


 鈍い音が響き渡る。そしてまた一人の人間の命が終わり、力なく倒れ込む。

 屋根裏部屋には、世莉架の命しか残っていない。

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