第4話 帰れぬ日々

「今日は結衣ちゃんいないの?」


 原田はぶつくさと俺に文句を垂れてくる。彼女はいま、帰れなかったショックで心が弱っていそうなので、連れていくのも阻まれた。だがそういう意味で、家で一人にしてもよかったのだろうか……。どちらにせよ、心配ごとばかりだ。そう考えていた俺の肩がポンと叩かれる。誰かと思うと、社長だった。


「山崎くん、聞いたよ。噂の美人モデルが決まったそうじゃないか。昨夜、君が送ってくれたデジカメのデータを確認したが、いや、本当に素晴らしい。どこで見つけたんだね? あの女性でいいじゃないか。いや、もうあの女性しかいない……!」


 そういえば、最初にあったときにシャッターを切ったことを思い出した。そして、画像は会社のクラウドにバックアップとして自動転送される仕組みだったはずだ。


「はあ、あちらと条件が合わず……ダメでした」


 社長が眉根をよせ、俺がすいません、と苦笑いをしていると、部屋の外からざわめきが聴こえてきた。なにごとかと社長と俺がいぶかし気にしていると、俺たちの目の前に現れたのは、結衣だった。


「どうしてここに」


 そういっている最中に、社長は俺を押しのけた。ここぞという勝負の時にする社長の必殺揉み手が始まった。これは……マズイ。 


「きいたよ、結衣くんという名前だそうだね? 条件が合わなかったと聞いたが、いやいやいや、どんな条件でも聞こう。ところで見慣れない顔立ちだが、いったいどこの出身かね?」

「天界よ……」

「てん……かい?」

「ああっ、と……彼女の資料をするのを忘れてました! あはは、あとで資料送りますねぇ!?」

「そ、そうか。アポもなく……どこからきたのかね? 家は近いのか?」

「山崎の家から――」

「結衣、よし、これから商談に入ろう! そうしよう!!」


 結衣の口を手でふさぎ、俺は絶叫した。これ以上、彼女に口を開かせると、社長や原田のネクタイで俺の首が絞められる未来が見える。


「……それで、いつ撮影するのかね?」


 社長がやや困惑顔で俺を見やる。視線を落とすと、結衣は天界のことを思い出したのか今にも泣きそうだ。


「打ち合わせをします……から、ちょっと黙っててもらえますか!?」

「……あ、ああ。頑張ってくれれば別に何も……」


 それどころじゃないんだよ、こっちは! という、俺の鬼気迫るものを感じ取ってくれた社長は去っていく。


 俺は結衣を連れ、再び会議室へと移動した。結衣をなだめ、とりあえず家に帰ろうと説得した。


「帰る、ってなに? どこに帰るっていうの……私が帰りたいのは天界なのに」

「心配するな、天界へは必ず帰してやるから」

 

 俺の言葉は気休めかもしれない。そもそも天界がどこにあるのかも、飛行機とかでいけるのだろうかとか、どうしたって羽衣以外では行けないのかも――わからなかった。だが、このまま、絶望に打ちひしがれている結衣を見続けるのは耐えかねた。


 涙を目にため、結衣はこくこくと頷く。ひとしきり涙をぬぐった後で、わがままをいってゴメン、とだけ加えてお礼にできることはないかと結衣はいった。


――できること、できること?


「もしできるなら、でかまわないけど……撮影に、協力してくれないか」


 首を傾げ、できることならやるわ、と答えた。説明を簡単に話し、それならばと納得してもらった。


 結衣は衣装さんに連れ去られ、いくつかの白くより映える衣装を着せられる。

 白いカーテンの奥から現れた結衣を見て、その場の全員が息を呑んだ。白銀の布をまとう神の作った彫像。清楚な美女、という言葉が思い浮かぶ。すべてをそぎ落とし、極限まで余分を削減した白い衣装はかえって美しさを引き立てるものだ。 そうだ、確か――天女は美の象徴というのをどこかで聞いた記憶がある……。


 撮影は会議室に簡単なスタジオで困惑しながらもポーズをとる。ただ笑えといわれても上手くは笑えず、ずっと沈んだ表情をしていた。


「表情が固いな……」


 そういわれ、結衣も俺も困ってしまう。


「ええと……そうだなあ。これなんかどうだ」


 ポーズをとれ、というから駄目なのだろう。俺は動画を検索し、古い踊りをいくつか見繕った。


 再生ボタンを押して流れたシャン、というその音で、ぴくりと結衣は動き――いや、舞いはじめた。


 毎日踊っているのだろうかというほどに自然な動きだった。すうっと伸びた腕、鈴の音と共に弧を描くようにくるりと回る白く細い脚。静と動が織り交ざり、律動する空間。あの我の強い結衣だと同一人物とは思えない、それほどまでに神秘的な踊りだった。息をするのを、俺は一瞬だけ忘れていたように思う。


 誰も、声がでなかった。

 聞こえるのは透き通るような鈴のと動画を録画する電子音だけ。


 動画のシャラ、といっていた鈴が鳴りやんだ。

 ぴたりと手は止まり、嫣然えんぜんとほほ笑む結衣に全員が我に返る。


 その踊りは社長の広告イメージに合っていたのか、そのまま採用された。男性陣は誰もかれもが結衣へと話しかけるが、先ほどの踊りの時と打って変わって上の空だ。ぼんやりとした表情のまま、生返事で、それがとても気がかりだった。


 そしてその数日後には広告を出すなり、大盛況となった。あのモデルは一体誰だと騒ぎとなり、結衣を外にあまり出せなくなってきた。男性に声をかけられると、胸が疼く。


 その後、何度試しても何度補修してもあの羽衣では飛べないままだ。

 素材について調べてみると、そもそも現代には存在しえぬ生き物の羽毛とも書かれている。作り直すことはできない。そして、テストを行った。天の羽衣は分解したところ、雨露をはじくはずだが、浮いたときに破れた部分から雨露が漏れ出していくのだ。時だけが過ぎていく。結衣に申し訳ない気持ちだけが募っていった。


 数日過ぎたころ、その事件は起こった。

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