パッション
マヌケ勇者
本文
「パッション」
“先生”は彼の部屋、今日も激しく笑っている。私の来訪を喜んでくれて。
「ク……クキキ……クゥアカカカーーーーッ!!!」
せっかく先生は背も高くて、顔も本当はけっこう整っているのに――。
そこは安いアパルトマンの一室で、また少し埃っぽさが出てきたので近々一緒に掃除しないといけない。
部屋の奥にはベッドがあり、その手前にはひときわ大きな書き物机があった。
先生とはそこで話すのだ。
先生は言葉で話そうとすると、荒い息とともにさっきみたいな狂乱した言葉が出てきてしまう。昔の何か辛い出来事がそうしてしまったと聞いた。
だけれどもこうしてノートに筆談をすれば、二階のお婆さんが淹れてくれる紅茶と同じくらい、繊細な香りがしそうな言葉が先生のペンからあふれ出てくるのだ。
お婆さんは私が先生の部屋へ遊びにくると、決まって降りてきて会話を後ろから覗き込んで参加する。
お婆さんは元々は看護師だったそうだ。以前に、
「先生は、元気になる方法はないの?」
と聞いたことがある。
お婆さんは、むっ? と不意を打たれた顔をしてから、にこやかにして言った。
「アンネちゃんがいる間は、先生はばっちり元気、大丈夫さ! あたしが保証するよ」
そしてふふと笑っていた。
私はアンネ。先生よりももっとやっすぅい部屋に、ごろつきのパパと、色んな男の人と寝るのが仕事のママと暮らしている。
私は家にいたっていなくたって変わらない。いやどちらかというと居ないほうがいい。パパとママにとっても、私の安息にとっても。
だから今日も遅くまで先生の部屋で話していた。
不思議だ。私達三人よく話題が尽きないものだ。
汚れた家に帰り、私はがちゃりと玄関ドアの鍵を閉めた。
すると、床のきしむ音を伴ってパパが出てきた。出迎えてくれるような人じゃないのに。
パパは、右手に銃を持っていた。いいえ、私に向かってかまえている。
「しばらく静かにしてろ」
そう言いながら、混乱している私の頭にずぼりと布袋を強引に被せた。
やがて手も縛られて、私はよたよたと誰かの車に乗せられる。
それを見たカラスが羽を羽ばたかせて大急ぎで飛んでいく音がした。
開いた窓脇の、掃除がなされて整ったベッドの上に座って先生はブツブツと何かを唱えていた。
それは本当は先生の好きな詩を口ずさんでいたらしい。
――時よ止まれ。花よ枯れないでおくれ。たとえ私の命が止まろうとも、その美しい姿を留めていておくれ――
とか、いろいろ。
その窓辺にカラスがばさばさと激しい音を立てて舞い込んできた。
はっとして先生は窓へと腕を伸ばし、カラスを止まらせる。
そしていつもぼやりとしていた目を見開いた!
「ヘアアッ、ヘアアァァッ!!」
外で先生が両こぶしを木製のドアに激しく叩きつける音が響くなか、おばあさんは目を覚ました。
お婆さんはがちゃりとドアを開けると、先生の顔を見た。
そして意図を察した。
「あまり使って欲しい物じゃないけど、仕方ないようだね」
そう言って油性ペンサイズの何かを渡した。
それはインジェクター……自動注射器だ。どこにさしてもよい。
受け取るが早いか先生は自分の腕の内側に突き刺した。
「ウグッ……ガッ……クキィッ……!」
そして呼吸音だけの一瞬の静寂が流れた。
「――お婆さん、夜中に済みませんでした。すぐに行かなければ」
先生が流暢(りゅうちょう)にしゃべっている。
「ああ、行っておいで」
ドアの外の、安アパートの階段付属の金属足場から、先生はひょうと飛び降りて夜の闇へと消えていった。
カラスたちの情報網は速い――。
夜の街の天井を長く飛び駆ける先生は、すぐに私が連れ込まれた廃工場へと至った。
廃工場といっても、そういう物件を使って偽装しているだけで、中身は立派な半地下研究施設だ。
もっとも布袋を被せられた私にはそんなこと知るべくもなく、恐怖の緊張の濃霧に包まれながら、ただ暗闇の視界の中で様々な装置の低く駆動する音がしているだけだ。
いつしか失わされた意識を取り戻し、光を目にしたとき、私は手術台らしき物の上に拘束されていたのだった。
廃工場とはいえ、その外壁は高くそびえる。
先生はそれに駆け寄ると少し跳んでから真っ直ぐに勢いよく垂直に駆け上がった。
そして頂点を乗り越えると同時に、何かに気づいて身をひるがえしながら飛び降りた。
そのひるがえした地点には直後、弾痕が並んだ。施設内には無骨な自動機銃(タレット)が設置されていたのだ。
先生は銃撃をさけながらそれに急速に駆け寄っていく。
そして――先生が後ろに伸ばした両腕の指が、爪のようにまっすぐに伸びた。
右下から上へ。先生は腕を振り払った。
機銃はバラバラにスライスされて崩れ去ったのだった。
そして周囲には先ほどから警報が鳴り響き、赤いライトがそこら中を照らしていた。
「では、あの娘はこの部屋にいるのですね?」
片腕のあった場所から酷く血を流している警備のごろつきの顔面を握り吊し上げて、先生は問うた。
その返事を確認し、彼の頭部を薙いだ。
「遺体安置所」
両開きのドアの上のプレートには、とんでもない部屋名が書かれていた。
もちろん、わざわざさらって殺すこともないだろうけど。
先生が両手で刻んだドアを蹴り開けると、部屋はとても広く薄暗かった。
中央に巨大な――錆色のプールがある。そこに何体もの人間の身体が浮かんでいるのだ。
「驚いたかね。死体だが……彼らの人生は今日のためにあったのだ」
周囲に不意に照明がつき、いくらか明るくなる。
やや高い所から声を発したのは壮健な中年の男性で、彼はボディスーツの上にパワーアーマーを着込んでいた。
そして――その背中に、まるで布団ですまきにしたかのような形状で機械に収められ、首だけが外に出ている私をおんぶするみたいにベルトで背負っていた。
私は気絶していた。
「この娘は特A級の能力を秘めていてな、こういう芸当ができるのだよ」
私を収めている装置が作動しうなり排気を出し始める。
すると死体たちがゆっくりと宙に浮かび――こちらに吸い寄せられていく!
死体を寄せ集め、それは溶け合い、男はどす黒い両手両足を持った巨大な二足の化け物になった。彼と私の首だけが肌色のまま露出していた。
「さあ、始まりだ。“イェールの戦場の悪魔”よ、まずは貴様で試してやる!!」
男の振り下ろした拳は伸び、先生が跳んだ後の扉周りの壁を砕け散らせた。
先生は善戦している――ように一見は見えるが。
どれほど長爪で切り刻もうが、男の黒い四肢はとろけて再び元の形に集合する。
近付くことが、できない。
先生は業を煮やした。男の右腕を切り落とし、そして繰り出された左腕の上に飛び乗り、勢いよく頭部へ向かって駆け飛んだ!
だがその体は天井へと叩きつけられた。男の胸から三本目の拳が突き出たからだ。
崩れる天井とともにぐらりと先生は地面に叩きつけられる。
男は言う。
「さあ、ショーは終わりだ悪魔よ。お前には最初の犠牲者の名誉を与えてやろう」
そうしてゆっくりと、巨大な黒い右手を伸ばす……
不意に、カラスの群れが天井の穴から男の顔へと飛び込んできた!
「なんだっ! 邪魔しおって!」
思わず男は顔をそむけて手でカラスを払う。
払い除け――前を再び向いたとき、そこには怪人のようなどす黒い笑みを見せた先生の顔があった。
男の頭はスイカみたいに辺りに散った。
黒い体は崩壊し、半分溶けたかのように辺りに広がっている。
そして男の背負っていた装置から私を助け出そうとして、先生は気付いた。
これは――
肉体を分離させる設計をしていない。
ずっと――ずっと考えてから、答えが出なくって先生は遂に笑った。
薬はまだ切れていないけれど、いつもよりずっとずっと激しく。
それから、やっと答えを出した。
先生は目覚めぬ私の首だけを指で切り取り、静かにそれを持ち帰ったのだった。
――私は死んではいなかった。
首の根本は男がまとっていたような黒いスライムと化していて血が出ない。
だが、やはり首だけで長期間生きていくことはできず――そこから下を、新鮮な死体の体を継いで生きている。
生きてこそいるが、声が出せず体も動かせない。
私がふと夜に目覚めたとき、先生は今日も私から見える位置の机に書き置きをしていた。
――また、新しい身体を手に入れてくるよ。そんなで悪いけど、もちろん、悪いやつからね。
いつか声が出せる日が来たなら、私はなんと先生に声をかけたらいいのだろう。
パッション マヌケ勇者 @manukeyusha
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます