第三十四章 餓狼たちの哀歌
二百九十五話 春に残る雪
場所は少しだけ移って、半島を南北に分ける山の中。
先を急ぐ私たちは、国境を越えて蒼心部(そうしんぶ)の土地に踏み入るために、峠の小さな砦に来ていた。
「おや、司午(しご)正使のところの大男さんじゃないか。国の外に出たい? どうぞどうぞ。北方はまだ雪があるから、足下にお気を付けて」
「ご理解いたみいる。では、先を急ぐので失礼」
巌力(がんりき)さんの広い顔のおかげで、すんなりとパスできた。
「お仕事ご苦労さまです~」
「メエ~」
気軽に愛想を振りまく私とヤギ。
反して、軽螢(けいけい)は微妙に緊張した硬い顔で関門を通り抜けた。
それは乙さんの存在に突っ込まれると面倒なので、サルグツワを噛ませて痺れ薬で大人しくさせ、ついでに麻袋に閉じ込めているからだ。
巌力さんがあまりにも軽々と持ち運んでいるので、ただの荷物であることに誰も疑いはしなかったとさ。
「ぶ、ぶっはぁ! こ、これが人間のやることかい!? 央那ちゃんあんたろくな死にかたしないよ!!」
人気のいないところですぐに袋から出してあげたのに、なんか文句言われてるし。
「今さらなんですか。乙さんだってもっと後ろ暗いことをさんざんやって来たでしょう」
「あたしは言われた仕事をしてるだけ。好き好んで殺したやつなんて一人もいないよ。あたしのやり方に文句があるなら雇い主に言っておくれ」
都合のいい姉ちゃんだ、まったく。
けれど確かに、私がこんなひどい扱いを乙さんにしているのも、完全に私の自由意思の産物である。
誰に命じられたからこうしているのでは、決してない。
自由というのは、なんでも自分に降りかかって来て言い訳ができない、ということでもあるのだな。
また一つ深く、人生をしみじみ学んだ麗央那でした。
「で、なんか簡単に国境を越えちゃったけど、どうすんだよこれから」
「メェ?」
軽螢の疑問に私は、半島の地図を広げながら答える。
「とりあえず西に向かって、もっと大きい山道に入ろう。邑があれば斗羅畏(とらい)さんが今どうしてるか、情報を聞けるかもしれない」
「それしかなさそうでござるな」
巌力さんも静かに同意してくれて、心強い。
蒼心部の土地はハッキリ言って田舎で山だらけだ。
人が往来する道もその本数自体が少なく、邑や町もまばらである。
逆を言えばその少ないポイントさえ押さえておけば、斗羅畏さんにひょっこり会えるかもしれない。
その場にいなくても、領主さまがいかがなさっているのか知ってる人がいる可能性も高い。
田舎はだいたいの人が顔見知り、の法則を有効活用させてもらおう。
「隣に良い子がいるのに、そんなに一刻も早く斗羅意に会いたいなんて、央那ちゃんも罪な女だね。あやかりたいもんだ」
「うるせえよ黙れよ~~!」
ムカつく呪詛を吐くお荷物とともに、私たちは焦らず、しかしセカセカと山道を下って最初の邑を目指した。
休みつつ徹夜で走り通した、その朝方。
「って、なんでこんな近くに斗羅畏さんがいるし!?」
「うわあ! なな、なんだ貴様ら! どこから湧いて出た!?」
少年、少女、ヤギ、巨漢。
そしてぐるぐる巻きにされた芋虫女。
あまりにも奇怪な一団が、静かな田舎の邑に突如として現れた。
斗羅畏さんは危うく落馬しかけるほどに仰天していた。
「おお、嬢ちゃんたちじゃあないか。応援に来てくれたんかのう?」
半島の先っぽ、東端にほど近い寒村に、斗羅畏さんが腹心の部下たちをずらりと従え、仮設の陣屋を構えていたのだ。
顔なじみの老将さんに会えて、嬉しそうに軽螢が挨拶する。
「おっちゃん久しぶりぃ。元気してたか?」
「冬のはじめに腰をやっちまってのう。早く温かくなってほしいもんじゃわい」
「確かにこの辺はまだ寒いよなー」
「メェ~~」
そこ、和んでるんじゃねーよ。
私は斗羅畏さんに確認する。
「角州(かくしゅう)から、お手紙が来たでしょ? 東の浜を上がってバカどもが~、って内容の」
「ああ。それを受け取ったからこそ、ここに防衛陣を張って内地に住民を避難させているところだ。それがなにかおかしいのか?」
毅然として堂々と言い放つ斗羅畏さんは、まさに頼れるお殿さまの風格だ。
けれど私は不安になって、さらに詳しい彼のプランを聞いてみる。
「東から暴徒がわんさと上陸したとして、さあそのとき斗羅畏さんはどう戦うつもりでした?」
「それは……立ち合いは強く当たって、後は流れで戦いつつ、退きつつ、敵を攪乱し、あるいは分断してだな……」
「嘘吐け! あんた絶対に、目の前の敵をここで全滅させようと踏ん張っちゃうだろ! 斗羅畏さんにそんな器用な戦い方ができるわけねーだろ!」
「お、お前に俺のなにがわかる!!」
あー、マジで危なかった!
もし東の海から姜さん率いる屈強な軍勢が仕掛けてきたら、斗羅畏さんでは「良い勝負はした、けれど敢え無く散る」という未来しかなかった!
ガルガルしている私と斗羅畏さんを、柔和な老将さんがフォローする。
「まあまあ嬢ちゃん、そうならんようにワシらが目付としてここにおるわけじゃからの。あんまりうちの殿をいじめんといてやってくれるか」
「俺はこんなおかしな女になぶられてなどいない!!」
斗羅畏さん、吼える。
なんか私、彼の怒ってる顔ばかり見ている気がするワ、どうしてかしら。
やれやれと思っていると、私の代わりに軽螢が大事なネタばらしをしてしまった。
「賊軍だのなんだのはもう来ねえぜ。思ったより雑魚の集まりで、シャチ姐さんと角州の水軍でなんとかなったからね」
「な、なんだと……?」
連絡の速度差があるためか、斗羅畏さんはその事実をまだ知らなかったわけだ。
馬鹿正直にここでデンと構えて待ってたら、時間をいくらか無駄にするところだったんだよね。
感謝して欲しいわよ、ホントにもう。
「近くで見ると確かにイイ男だね。央那ちゃんがご執心なさるのもわかるよ」
口だけはよく回る乙さんが、また要らぬことを言う。
その声に斗羅畏さんが、かつての鉄火場を思い出した厳しい顔で反応した。
「お前、確か親爺の葬式で、赤目の大叔父を殺した、除葛(じょかつ)の使い走り……」
「うわあ、こんな身動き取れず抵抗もできない哀れな女一人を相手に、意趣返しなんてするつもりかい? まさか『氷土の溶岩』とまで称されるあの斗羅畏どのがそんなことを? むしろあのとき、あたしはあんたたち全員を助けてやった側だと思うんだけど?」
「こいっつ、言わせておけば……!」
激怒と戸惑いで斗羅畏さんの顔が歪む。
それを鑑賞するのも実に恍惚たるものがある。
って、その仇名が妙に詩的ですね。
まあまあと間に割り入って私は、宥めついでに説明した。
「この人は嫌なことを喚く可哀想な動物くらいに思ってください。それよりも、問題は突骨無(とごん)さんの白髪部です。姜さんが率いる反乱軍の主力は、西側の経路から北方に入ることになるでしょう」
「フン、俺たちはとんだ間抜けを晒して、妖怪軍師に踊らされたというわけか」
彼の言うように、私「たち」は、いいように東へ西へと振り回されてしまっている。
次の指針は私はもう決めているけれど、斗羅畏さんがどうしたいのか。
彼の口から、しっかりと聞かねばなるまい。
「私は突骨無さんのところへ行って、姜さんの恐ろしさとやり口を彼に教えたいと思います。頭のいい人ですから、なにかしら妥当な対応策を考えてくれるでしょう。逃げてどうにかなるなら、いくらでも逃げた方が良いと思いますし。斗羅畏さんはどうします?」
大きく示された道は二つあると思う。
斗羅畏さんは自領を堅く守り、姜さんと突骨無さんの激突を見てから次の対応を決める道。
もう一つは、兎にも角にも急いで突骨無さんに加勢し、手を取り合って激しく戦う道だ。
目先のリスクは当然、後者の方が断トツに高い。
問いかけられた斗羅畏さんは、ちらりと仲間たちの面持ちを一瞥して確認し、言った。
「白髪の領地に行く。考えるまでもない」
「でも、きっと危ないですよ?」
「だろうな。だから行くのだ。俺と突骨無は……同盟、そう。同盟相手、だからな」
上手い言い訳を思いついたイタズラ少年のような、可愛いドヤ顔で斗羅畏さんは言った。
後ろに控えている老将さんが、嬉しそうに頷いた。
「その通りでございますぞ、殿。あちらが苦しめばこちらが助ける。こちらが苦しめばあちらが助ける。その信義こそが、対等な関係を築くのであります」
「偉そうに説教するな。そんなことはガキの頃から知っている」
殺伐とした場に飛び込む話だというのに、なぜか不思議とほっこりした暖かい空気が流れた。
やはりチーム斗羅畏の熱気に満ちた関係は、いいのう。
水を差すお喋り虫がいるのが、玉に傷なのだけれど。
「どうでもいいけどさあ、次の場所に行く前にあたしをもう少しくらい、自由な格好にしてくれないものかな? いい加減、肌があちこち縄で擦れて痛いんだ。乙女にこんな扱いはないって、若殿さまからも央那ちゃんに言ってやってよ」
「ここまで口が減らないと、むしろ感心しちゃいますね」
呆れつつ、私は乙さんを戒めていた縄を解いてあげた。
と言っても、胴体に巻かれた丈夫な縄だけは、しっかりと巌力さんの支配下にある。
同行者が増えた時点で、ぐるぐる巻きからは解放してあげようと思っていたからね。
巌力さんもいるし、斗羅畏さんもお仲間さんもいる。
乙さんが怪しい動きを見せても、誰かしら対応できるだろう。
「その女を生かしておいて、なにか意味があるのか? どうせ情報をペラペラ吐くようなタマではないだろう」
怖い顔で訊く斗羅畏さんに、私は苦笑してこう言わざるを得なかった。
「よくわかりません。でも多分、そうしないことが私にとっては、大事なことだと思うんです」
「好きにしろ。いよいよ邪魔だとなれば俺が殺す」
斗羅畏さんはそう言ったけれど。
おそらく彼も、乙さんを殺せないだろうな。
根拠はまったくないのに、なぜだかそれがわかるのだった。
出発のときに、斗羅畏さんが私に別のことを聞いた。
「ヤギだけでなく犬も飼い始めたのか。お前たちはいったいどういう集まりなんだ」
後ろを振り返ると、ひょこひょこと三本足を器用に運び、例の野良犬がついて来ていた。
「気にしないであげて。私もそうしてるから」
「ふん、相変わらずけったいな連中だ」
私も、そう思います。
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