二百九十四話 開いた翼
ニセ人質作戦で、まんまと乙さんを出し抜いて返り討ちにできた。
「しっかしあたし一人捕まえるのに、大仰なことでご苦労さんだね。角州(かくしゅう)の連中はよほどヒマみたいで羨ましいよ。結局は船の足止めなんてできてないじゃないのさ」
彼女らしい軽口が発揮されていた。
縄でぐるぐる巻きにされて巌力(がんりき)さんの肩に担がれるというマヌケポーズで。
ふてぶてしい限りである。
「乙さんを捕まえるのは、あくまでも『私の』作戦です。でもそれだけで終わるほど角州の軍も、州公の得(とく)さんも甘くないですよ。それに……」
岬の下に広がる海原、そこに浮かぶ船団が良く見える場所に乙さんを連れる。
妨害が止んで、悠々と針路上を進んで行く船の群れがあるだけに見えるけれど。
「お、上手い具合に引っかかったみてえだな」
軽螢(けいけい)が報告するのを聞くに、そっちの作戦も上手く行ったようだ。
「船が遅くなった……? いや、櫂の動きが停まったのかい?」
芋虫状態で乙さんが正解を答えた。
「その通り。事前にあのあたりの海に、角州水軍のみなさんが浮きのついた大網を流したんです。船を漕ぐ櫂に網が絡まったんですね」
これは前に姜(きょう)さんや蛉斬(れいざん)と戦ったとき、妨害行為の一環として鶴灯(かくとう)くんが思いついたアイデアである。
地味ではあるけれど櫂船に対しての嫌がらせとしては効果的だ。
ただの縄が海を漂うという、シンプルな罠。
単純だからこそ、攻略もまた難しいのです。
あの知恵者の姜さんですら、今の段階でも有効な対策を打てていないのだから。
面白くなさそうな顔で舌打ちし、乙さんがこぼす。
「岬の上で茶番を繰り広げたことが、海中の網に対する目くらましになってたってことかい。船の連中の意識が上方向に集中するよう、わざとデカい音を立てる火薬を岬の上から飛ばしてたんだね」
「その通り。よく見れば気付いて迂回できたかもしれないのに、火薬玉が大したことないからと油断して船は直進しました。まんまと網にかけてやれて央那ちゃん嬉しい」
ドヤ顔で威張る私。
負け惜しみのように、ケッと笑って乙さんが突っ込みを入れる。
「散々もったいぶっておいて、それしきのことが秘策かい。あんな足止め、網を切られたらそこで終わりじゃないのさ。時間稼ぎったってせいぜい半日も……」
言いかけた途中で、乙さんは言葉を失って海の、遠い方を見やる。
同じ方角を見ながら私は、今回の作戦が百点満点の成果の内に終わることを確信した。
「よっしゃ、信じてましたよ、シャチ姐……!」
喜びに打ち震えて、思わずグッとガッツポーズ。
対照的に、乙さんは有り得ない、信じられないと言った顔で叫んだ。
「どうしてここで、あの刺青船長が来るんだい! しかも、あんな大軍を引き連れて!!」
そう、水平線の先から現れたのは、シャチ姐の船に率いられた、東海国の武装船団。
ジャーン、ジャーン、ジャーンと威嚇のようにドラの音を激しく鳴らし。
反乱軍の船団編成の横を突く格好で、猛烈な勢いのまま突進してくる。
「声が聞こえるように、崖の中腹まで降りましょうか。人がかろうじて通れる桟道がありますから」
私たちは戦いの行く末を詳しく見守るため、今より少し低い場所に移る。
反乱の賊徒たちが、櫂に絡む縄を作業用の小舟に乗って切っている。
そこに突然現れたシャチ姐たちに、恐慌の顔を浮かべていた。
巌力さんの上で、乙さんはなおも疑問をわめきたてた。
「どうして、どうしてだい!? あの女船長は腿州(たいしゅう)の港から逃げて以降、昂国(こうこく)の誰とも連絡を取ってなかったはずだ! 特に央那ちゃん、あんたはあの女が『自分の船で海に逃げた』以上のことを、なに一つ知らなかったはずじゃないのかい!?」
そんな詳しいことまであんたは知ってるのかよ、と突っ込みたくなった。
「そうですね。知りませんでしたよ。もちろん連絡が取れなかったんだから、示し合わせたわけでもありません。でも現に今、こうしてシャチ姐は来てくれた。それが答えですよ」
乙さんが不思議に思うのも無理はない。
実際、私はシャチ姐の動向を調べる手段がなかったし、あえて探ろうともしなかった。
目の前には逃げるタイミングを失った、哀れな大船団。
網を切るのにもたついてしまったせいで、迫り来る獰猛なシャチの群れに完全に捕捉され、後手に回ったのだ。
ここまで聞こえる大声で、遠く離れたシャチ姐の吶喊がこだまする。
「野郎ども! あいつらは全部が全部、昂のお国に反旗を翻した『賊船』であります! 言うなれば海賊連中と同じ存在であります! ならばワタシたちが、好きに攻めて好きに奪っていい『エサ』でありますよ!!」
「うおおおおおおおおおおおおおッ!!」
「切り取り放題だぜええええええええええぇぇ!!」
歓喜の怒号が鳴り響き、船体同士がぶつかる音に空気が震える。
唖然としてそれを見つめる乙さんに、私は解説のための質問をする。
「まず第一に乙さんたちは、シャチ姐をどういう人だと思っていたんですか?」
「……そりゃあ、腕っこきで肝の据わった、金にうるさい海商人だろ?」
遠からず、でも当たらず、というところか。
私は偉そうに先生ぶって、優しく教えてあげることにする。
「シャチ姐の本質は、私たちと同じ復讐鬼です。あの人は、とにかく海賊という存在が嫌い過ぎるんですよ。もちろん、自分の商売の邪魔をするやつらすべても、ですけど」
なるほどと頷いて、巌力さんが言う。
「確かに除葛(じょかつ)軍師の起こした乱のせいで、かの船長どのの商売は迷惑を被っておりますな。腿州の港は封鎖され、海域でも反乱軍の船団が幅を利かせておるとすれば、船長どのにとっては『敵』でしかありえぬでしょう」
「そうなんです。そしてシャチ姐は、敵を、狩るべき獲物を前にしてイモを引くことは絶対にありません。この広い海で、己の自由を阻害する連中を決して許さない、それがシャチ姐の行動原理です」
前に言っていたことにも通じる。
敵とエサを前にしておきながら弱味を見せて戦いから引いたとき、シャチ姐は仲間から見捨てられて海の藻屑と消えるのだと。
姜さんがどんなに恐ろしくても。
反乱軍の船団が、どんなに多数であったとしても。
「美味しそうな鯨を前にして、噛みつかないシャチはいません。いえ、そんなシャチはいずれ飢えてやせ細り、大海の中でひっそりと死んで逝くんです。マグロが泳ぎ続けないと死ぬように、シャチは絶えず獲物を喰らい続けないと死んでしまうんですよ」
シャチはサメと違って魚ではなく哺乳類、要するに体温の高い動物だ。
冷たい水にどんどんと奪われる自分の体温を維持するために、高カロリーのエサを大量に必要とする性質がある。
だからサメは獲物を待って狩るけれど、シャチは常に獲物を追って狩るのである。
「……央那ちゃんは、知らされなくてもそれを読んでたのかい? この地点で反乱軍をもたつかせることができれば、必ずあの刺青船長がその隙に喰らいついてくれることを」
「ええまあ。逃げっぱなしの人ではないとわかっていましたし」
なによりも、これが一番大きいことだけれど。
シャチ姐と一緒に仕事をする関係になってから、ただの一度たりとも。
彼女は私たちの期待と信頼を、裏切ったことはないのだから。
おそらくシャチ姐は腿州から逃げた後、東国の知り合いのもとを訪れて、こんな風に誘ったのだろう。
「今なら襲い放題のバカな船が海にうようよいるのであります。一緒に食い荒らしに行くでありますよ」
ってな感じでね。
だから血の気の多い、厳つい船を大量に引き連れているんだ。
特に今、シャチ姐は新しい商売のために角州の沖と東海を行ったり来たりしている。
要するにこの海はシャチ姐に与えられた、まっとうな狩場であるのだ。
魔人だろうと湖の四鬼将だろうと、彼女が任された場所を荒らして良い資格も権利も、ありはしない。
意地なのか、誇りなのか、矜持と呼べばいいのか。
シャチ姐もきっと、自分らしくやりたいようにやった結果、ここに来てくれたんだね。
逆を言えばシャチ姐の側も、この海域で私たちや角州軍が、なにか局面を変えるための仕掛けをすると信じて、機会を窺っていたのだろう。
私たちが岬の上から放って鳴らした火薬玉が、その狼煙になったのだとすれば、嬉しいな。
念のために、私は大声で呼びかける。
「相手が反撃の体勢を整えてますよーーーー! 無理はしないで撤収してくださいねーーーー!!」
「心得ているでありますよーーーーーーッ!!」
虚を突かれたと言っても、反乱軍はなにせ数が多く、強力な武装もずらりと並んでいる。
まともにガチンコで打撃戦をしては勝てるわけがない。
シャチ姐たちはもっぱら、相手の船と通り過ぎるタイミングで嫌がらせの一撃をかまして離れる、ヒット&アウェイの戦法を取っている。
櫂や帆柱が折れて航行能力を失った艦船があれば、そこに寄ってたかって横付けし、丸ごと制圧する。
見事なシャチ姐ルーチーンで二、三の小型船が完全に虜とされた、けれど。
「……姜さんや蛉斬は、どうして出て来ないんだろ」
ここまで良いようにやられているというのに、肝心の二人が甲板に姿を現さない。
じろりと乙さんを睨むと、そっぽを向いて口笛を吹いていた。
余裕あんなこいつ。
っておい、まさか。
「姜さん、あの船団にいないんじゃ?」
「さあ、どうだったかね。最近物忘れが激しくてさ」
しらばっくれる乙さんの、笑いを噛み殺した表情。
私は一気に全身に鳥肌が立つのを感じる。
「くそ! ファック! やられた!!」
「お、おいどうした麗央那」
「メェッ?」
つい汚いFワードを発し、地団駄を踏む。
反省する間もなく続けて指示した。
「巌力さん! 急いで峠を越えて、斗羅畏(とらい)さんのところに向かいます! 今すぐ馬を!」
「い、いかがいたした、そのように慌てて」
目を丸くする巌力さん。
面白そうにプププと吹き出す乙さん。
私は逸る気持ちの雑な説明で、馬のいるところに走りながら答える。
「海を北上する腿州の反乱軍こそが囮だった! 姜さんが直接に指揮する本命の部隊は、西南の尾州から陸路を越えて戌族(じゅつぞく)の地に進んでる方!」
混乱しながらついて来る軽螢が、焦りを浮かべた顔で問う。
「え、海沿いから悪いやつらが来るから、孫ちゃんが危ねぇって。孫ちゃんを磨り潰してから、末っ子ちゃんを軍師さんは叩く算段だって、麗央那が言ったんじゃんか?」
「それが姜さんの仕掛けた目くらましなの! 私が斗羅畏さんの安否を気にしてこっちで右往左往している隙に、姜さんは西から戌族を叩こうとしてる! クッソォあんのモヤシ野郎! 少しはこっちの思い通り動けや~~~~~~~~!!」
いわば、私は思い込みの結果としてこの場に釘付けにされていた。
私は斗羅畏さんと縁が深いから、彼を気にして角州半島から蒼心部(そうしんぶ)の地域をウロウロするだろうと、姜さんに完全に読まれていた!
私と斗羅畏さんのやんごとなき関係を、詳しく姜さんに伝えていたのはもちろん。
「おやおや忙しいことだねえ。ところでお姉さん、喉が渇いたんだけどさ。ああもちろん海水なんて飲ませようとしないでよ。央那ちゃんならやりそうだ」
縄に縛られたまま、澄ました顔で腹立つことを言って退ける、この優秀な諜報員だ。
マジで海水飲ませてやりたかったのに先回りで嫌味を言われて麗央那げきおこぷんぷんハリケーンである。
まったくはらわたの煮えくり返る思いで、私は海原を振り返る。
おそらく優秀な将兵はほとんど乗っていない、雑兵まみれの使い捨ての船団と。
大鯨に群がるシャチのごとく、それらの船を貪り喰らう東海国の武装商船たち。
「角州の水軍も、応援に駆け付けたようでござるな。この状況であれば負けはないとの判断でござろう」
南側から追加で訪れる軍船を眺めて、巌力さんが言う。
この海域から反乱軍を駆逐し、秩序と平和がもたらされることは、ほぼ確定した。
その代わり、ああまさに文字通り、こちらを立てればあちらが立たぬ。
憤懣で死にそうな私を見て、乙さんが憎たらしく告げた。
「央那ちゃんがヤギ少年とのんびりイチャついてる間にも、世の中色々めまぐるしく動くもんだねえ。甘い時間は過ぎるのが速いって言うからね。あたしも青春時代を思い出すよ」
「イチャついてねえし! 甘くねえし!」
あーもう切れそう、って言うか切れてる。
こうなったら一刻も早く斗羅畏さんと合流して、突骨無(とごん)さんたち白髪部(はくはつぶ)の救援に向かわないと!
それはそれとして、乙さんの青春時代は、少し気になりますね。
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