二百九十三話 生焼けの獲物

 地の果て。

 そう呼びたくなる景色が目の前に広がっている。


「すげー景色だな」

「ね、吸い込まれそう」


 軽螢(けいけい)、そして私は今、自殺の名所かと思うほどの断崖絶壁の上に立っていた。

 角州(かくしゅう)半島の最東端。

 まるで海を刺すように突き出して尖っている「狼吼(ろうこう)岬」というスポットである。


「やめろよ。麗央那が言うと冗談に聞こえねえから」

「心外な。高いところが好きなのは翔霏(しょうひ)だよ」


 切り立った崖の上から見下ろす海原までの高さは、およそ30メートル弱だろうか。

 まだ冷たい鉛色の海面がゆっくりと、けれど力強く波打ち、寒気と暖気が入り混じる奇妙な風が岬の岩壁を打ち付ける。

 ホォォと鳴る風の音が狼の切ない遠吠えに聞こえるから、この名前が付けられたのだろう。

 人の来訪が少ないからか、馬車が通れるような道路は整備されていない。

 それでも乗馬したり歩いたりする分には不自由なく、雑草の短い春の野原が私たちの足下を優しく、かつしっかりと受け止めてくれた。

 私たちの左手、北西方面にそれほど高くない山脈が見える。

 そこを越えればもう昂国(こうこく)の外。

 斗羅畏(とらい)さんが治める、蒼心部(そうしんぶ)の領地だ。


「ここを、北へと乗り込もうとする賊軍が通るのでござるか。まさに果てのなきようなこの広い海原で、きゃつらがどれほど岬に近付くのか……」


 作戦に同行してくれた巌力さんが、懸念を示す。

 私たちが姜さんの船にちょっかいを出そうとしても、岬からの距離が遠すぎると、なにをしても無駄に終わるだろう。

 それでも私は自分に対して「そうであってくれ」と思い込ませるように、その安心材料を口にする。


「岬の向こう側、蒼心部の領内に入ってすぐの地点に、角州(かくしゅう)と斗羅畏さんたちが共同で建設する港の予定地があります。整地や基礎工事は終わっているはずなので、姜さんたちが船を乗り付けるならそこでしょう」


 角州、蒼心部、そして東海の国を繋ぐ三角貿易。

 その拠点の一つを新しく作るための用地が、山を越えた北方面にある。

 元はと言えば、覇聖鳳(はせお)がまだ若かった頃にシャチ姐に対して船着き場を造ってくれ、と要求した場所なのだ。

 アホいわく「儲かってから金を払うから、建設費は全部ツケといてくれ」とのこと。

 その勝手な希望は、シャチ姐の拒否によって敢え無く袖にされた。

 他にも商取引の面で折り合いがつかなかった覇聖鳳とシャチ姐は、あわや殺し合い一歩手前まで関係が拗れたという。

 ときが過ぎて今、同じ場所にちゃんとした港ができるというのは、運命の数奇を感じる。

 結局は覇聖鳳の言う通りになっちゃってるんじゃないか、と考えると微妙だな。


「あ、兎だ」

「メエ~」


 原っぱの上を、枯れ草色の毛を持った野兎が走る。

 軽螢がヤギとともにそれを追いかけながら、私の知らないわらべ歌を口ずさんだ。


「春の山、妹(いも)は兎を追い

 夏の川、弟(おと)は鮒を釣る

 秋の田、媼(おうな)は稲刈り穂を干して

 冬の路、翁(おきな)が炭売り肉を買う

 嗚呼忘れ得ぬ愛し故郷(さと)

 夢は瞼に巡り、想いは仰臥に及ばんか」


 相変わらず、歌は中々上手いのがムカつく。

 忘れがたきふるさとを歌ったもののようだね。

 妹や弟というのは、少年少女一般を指す言い回しかな。

 細かく韻を踏んでいないので、田舎の方で庶民に親しまれている歌なのだろう。


「翼州(よくしゅう)とか角州では聴かない歌だね。どこで知ったの?」

「南部にいるとき、おっちゃん先生に教わったんだ。北でも南でも、やることはみんな同じなんだな」

「そうかもね。私の地元にも似たような歌があったよ」


 人の営みの原風景というのは、土地や文化、時代が違ってもどこか似通うものがあるのかもしれない。

 きっと昂国人ではない斗羅畏さんも、小さい頃にはウサギを追いかけたり、川魚を捕まえたのだろう。

 いや、彼のグループは半狩猟生活を送っているのだから、むしろ今でもやってるか。


「さ、私たちも狩りの時間だ。春先は狩りの季節だとのん気に言って死んでったのは誰だったかね」


 私は海の先に徐々に姿を現した、大規模な船団を見て言った。

 間違いない。

 南部でイザコザしたときに相対した、姜さん自慢の腿州(たいしゅう)水軍、その主力を担う帆櫂(はんかい)併用船の群れだった。

 ひときわ大きく、まるで海に浮かぶマンションのような艦船が中心を往く。

 数多の郎党を引き連れた姜さんが、あれに乗っているのだろう。


「では、参りますか」


 巌力さんの呼びかけで角州軍のお兄さんたちが、大型の投石器を構える。

 作戦会議の後にすぐ用意してもらって、船が来る事前にこの場で組み立てたものだ。

 長い棒がシーソーのような反動で動き、びゅーんと遠くに石や玉を飛ばす仕組みの、シンプルなものである。

 一応、投げ紐(スリング)式の投石器も用意しているけれど、これだと届かないだろう。

 と思っていた時期が、私にもありました。


「ぬうん」


 巌力さんがぶんぶんと紐を振り回して、導火線に着火された火薬炸裂玉を勢いよく放り投げた。

 羽根でも生えているのかと思うほどに、その玉は高く遠くへ飛んで、先頭を行く船の近くに届く。

 パアン! と乾いた音が中空に鳴り響いて、火薬が爆発し破片が散った。


「なんとかなりそうでござるな」


 角州の軍人さんたち、全員が唖然。

 さすがに真似はできないと一瞬で悟ったのだろう。

 素直に粛々と反動式の投石器に火薬玉をセットして、次々に船団へと飛ばして行く。


「おお、たまやー」


 バンバンと爆発する音と光に、私は童心に帰って手を叩く。

 ちなみにこの火薬玉は、音が派手に鳴る火薬と共に、尖った石片を詰めて作ったものだ。

 これが飛び散ることで、船の帆に傷を付け穴を穿つ効果が……。


「あんまり上手く行ってねえなァ」

「メェ~……」


 軽螢が言うように、今一つのようだ。

 私たちと賊軍の船の距離が遠すぎるせいで、投擲爆弾の狙いが上手く定まらないのである。

 やはり大砲でもないことには、海を進む船を岬から邪魔するのは難しいな。

 もし用意できたとしても、さすがに船が沈没するような攻撃はしないけど、人死にが出ちゃうし。


「ぬ~~ん、ならば次の手だ! 角州軍のお兄さんたち! 今こそ例のアレを!」


 私はシュバッと手を伸ばして、できる参謀のポーズを取る。


「了解」

「本当に上手く行くのか……?」

「黙っとけ、怒らせると面倒臭そうな女の子だ」


 一時的に無理言って協力してもらった角州左軍の若手兵士たちが、少し不本意な顔を滲ませて私の言葉に従い、動き出す。

 用意も準備もなにせ急だったもので、しっかりとした納得や信頼関係を構築できていないのが哀しい。


「軽螢、相手方の様子はどう見える?」

「こっちのやることを気にしてる風だけど、針路を変えたり進みを遅くしてる感じじゃねえなあ」


 軽螢が目の悪い私を補佐する形で、敵の船の反応を確認してくれる。

 鬱陶しい羽虫のような存在感でしかない、というのが現時点での私たちだった。


「気にしてくれてるならそれで結構。さてあんなに遠くに聞こえるかな」


 私は岬の縁に立って、眼下を往く船団を斜めに見下ろす。

 大きく息を吸い込んで、届くかわからない大声を上げた。


「蹄湖(ていこ)の大将、柴(さい)蛉斬(れいざん)、聞こえてるかーーーーーーーーーッ!?」


 叫ぶ私の後ろに、角州兵たちが別の人々を連れて来た。

 こんな無骨な場所には似合わない、品の良く艶やかな刺繍入りの衣に身を纏った、多勢の女性たち。

 その数、まだまだ元気そうなおばあさんが一人に、私より上くらいの大人のお姉さんが、十二人。


「お前の大事な母ちゃんと、可愛い妹たちはすでにこっちの手の内にあるんだよーーッ!! ちょっくらゆっくりと話し合おうじゃないのさーーーーッ!? 大丈夫、お前と違って私は、話がわかるやつだからーーーーーー!!」


 南川無双、あるいは槍聖とも謳われる豪壮の武人、蛉斬の泣きどころ。

 それは老いた母と十二人の妹からなる、なによりも大切な家族であった。

 私の背後では、いかつい武人に囲まれて、不安げな顔を浮かべる女性たち。

 少し離れた、海の上では。


「お、あいつら焦ってる焦ってる。もっと岸の方まで近づいて来るかもナ」

「メエメェ!」


 軽螢の見立てでは、賊軍の船の上にささやかな混乱を産むことに成功したようだ。

 最低な作戦だというのに、不思議と私の心は痛まない。

 さて、となると次の段取りは。


「な、なんだ貴様らは!」

「麗どの! 敵の別動隊に気付かれたぞ!」


 突然の乱入者があったらしく、角州兵のお兄さんたちが声を上げて知らせてくれた。

 私が好き放題楽しくやってるときに、水を差してくる存在と言えば。


「やれやれ央那ちゃん、おイタもたいがいにしないとお姉さん怒っちゃうよ?」

「乙さん、やっぱりあなたでしたか」


 彼女だけではなく、その周りにはおそらく尾州(びしゅう)の工作員仲間を従えている。

 合わせて十人ちょいくらいか。

 余裕の笑みで迎えた私を、ほんの少しだけ驚いた顔で乙さんは見た。

 けれどすぐにいつもの不敵な面構えに戻り、辺り見渡して嘲笑する。


「岬の上から炸裂玉かい? でもいかんせん規模が小さすぎるね。こんな小石が飛んでくる程度のちょっかいじゃ、あの船は止まらないよ」

「いろいろとバタバタしていたもので。どうにも中途半端になっちゃいましたね」


 私が素直に認めたのに、気をよくしてウンウンと乙さんが頷く。


「いくら賢くても央那ちゃんは、まだまだひよっこの女学官でしかないからね。戦の真似事をしようったって無理だよ」

「ええ、だからこその人質による心理戦です。家族思いの蛉斬なら見捨てて先に行くような真似をしないでしょう」 

「そんな人質に価値なんてないよ。いや、これから価値がなくなるんだ、と言ったら、どうする?」


 乙さんの問いと同時に、尾州の間者たちがずいと前に出る。


「やめろよ、姉ちゃん……」


 軽螢が剣呑な空気を察して嘆く。

 ああ、そう来るとは思っていたけれど、本当にやるのか。

 乙さんはここで人質全員を、混戦の巻き添えで死なせる気だ。

 足手まといは切り捨てる、その基本方針に従って。

 後で蛉斬と合流したときに「助けたかったけれど、どうしても……」とかなんとか言いながら、嘘泣きでもかますんだろう。

 けれど残念でした。


「交渉は決裂のようです。みなさん、やっちゃってください」

「応ッ」

「承知!」


 私の言葉に遅れることなく、十三人の人質女性――いや、もちろんそんなやつは、ここにはいない。

 蛉斬の家族に扮装していたのは、玄霧(げんむ)さん子飼いの、角州左軍精鋭部隊!

 服の中に隠していた刀剣を抜き放ち、尾州間者集団に猛烈に襲い掛かる!

 彼らこそ今回の作戦のために、玄霧さんが忸怩たる思いで私の補佐とお目付役に回してくれた、有望な若武者たちなのだ!


「そもそもこれほど国内が混乱している状況で、蛉斬の家族を人質になんか取れるわけねーだろ、物理的に!」 

「え、ちょ!? 央那ちゃん!? ここで本気でおっぱじめる気かい!?」


 女性だと思っていたら男で、しかも一見してわかる手練れの集団が、十三人。

 もともといてくれた兵隊さんたちを含めてこちらの数は二十人以上、しかも巌力さんまでいるもんね!

 人数的にもまったく勝ち目がないと悟ったのか、乙さんは完全に目論見が狂わされた顔色で、必死で逃げ道を探している。


「あったりめーだ! 乙さん、私のこの場での目的は、船を足止めすることじゃない! いい加減、あんたという優秀な諜報員をとっ捕まえて、姜さんの『目』を奪うと同時に、あんたが持ってる情報も吐いてもらうからね!!」


 私がこんな目立つ岬の上でちゃちな妨害行動をしていたのは、乙さんをおびき寄せるためのエサでしかなかったのだ。

 そんな子ウサギの私を狙い、乙さんという狐がまんまと姿を現した。

 ならば角州左軍の力を借りて、狐狩りとしゃれ込むまでよ!

 春こそ、狩りの季節なのだからね!


「ちっくしょう、してやられた! 船と陸の往復で頭が鈍ってたか!?」


 悪態を吐きながら味方を盾にして、なんとかこの場を切り抜けようとする乙さんだけれど。


「メエエエエエッ!」

「あ痛ッ! こんの腐れヤギ公!」


 さすがに野生の瞬発力には勝てないのか、ヤギタックルを喰らって地面にもんどり打った。


「抵抗はもう諦められよ。麗どのがあなたに危害を加えぬことくらい、重々存じておろう」


 乙さんの体を巌力さんが優しく拘束する。

 彼も玉楊さんを北方から奪還する折には、乙さんから多大な恩を受けている。

 尾州の間者集団は大方制圧させられたか、逃げおおせたようだ。

 乙さん一人ゲットできれば、この場面は完全勝利!


「舌を噛んだり毒を飲んだりはやめてくださいね。それをされたら乙さんの歯を全部折らなきゃいけないんで。もうあんな凄惨なことはこりごりなんです」

「……わかってるよ。でもあたしから除葛の情報を漏らすことはできない。これも分かってくれるよね?」

「もちろん、無理に喋ってもらおうとは思ってませんよ。体の自由だけは奪わせてもらいますけど」


 諦めて縄を受け、乙さんはやるせなさ全開で漏らした。


「猿(ましら)の嬢ちゃんも性悪商人もいないから、余裕だと思ったんだけどねえ……あたしもヤキが回ったもんだ」


 私は苦笑だけを返し、あえて言わなかった。

 翔霏(しょうひ)と椿珠(ちんじゅ)さんを遠ざけて別行動をしたこと、それ自体が。

 いつか来るこの日のために、乙さんを油断させるための伏線でもあったのだ、とは。

 乙さんは引っかかってくれたけれど。

 姜さんだと、どうだろうな~?

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