二百九十二話 教師と答案
作戦会議が良い感じにぐつぐつコトコトと煮詰まり、味が染みる。
得(とく)さんも斗羅畏(とらい)さんへの親書を書き上げた。
「さて、それじゃあ動き出しますか!」
と私が気合を入れてパンと太腿を叩いた、ちょうどそのタイミングだった。
「お屋敷の外が騒がしいわ。たくさんの人がいっぺんに押しかけて来たみたい」
私たちの耳にはまだ届かない喧噪を、玉楊(ぎょくよう)さんが知らせた。
「なにごとでござろうかな。よもやここ、司午(しご)のお屋敷を、不埒な郎党どもが襲うことなど有り得ませぬが」
頼もしさしかない巌力(がんりき)さんが、外の様子を伺いにまず出て行く。
私たちも後に続き、邸宅の正門前で見た光景は。
「なんか食いもの、いやまず飲みものをくれ! 喉がカラッカラで死にそうだ!!」
「ずっと馬車の上にいて、風呂にも入れてねえんだよ! 背中と腰とケツが痛いぜ!」
「この館のあるじは、気前のいい御仁だってシャチ公が言ってたぞ! たっぷり面倒見てもらおうじゃねえか!」
口々に大声でわめき散らし要求を叫ぶ、下品な……失礼、元気な年代様々の男性たち。
こんがりと焼けた肌に、鍛え抜かれた肢体が並び、圧迫感が半端ない。
巌力さんが側にいなかったら、ちびって逃げ出していたところだけれど。
「あれ、なんか見た顔がいますね。シャチ姐のお仲間さん?」
私はその中の数人に声をかける。
「オジョウチャン! マタアッタネ!」
「ゲンキ! オタガイ! メデタイ!」
腿州(たいしゅう)の港街でシャチ姐と一緒に海の仕事に従事しているはずの、東国人男性たちだった。
他の面子もよく見ると、東の荒くれ船乗りさんたちだな。
シャチ姐の呼びかけに応じて、海上のお宝を昂国(こうこく)に売る商売に乗っかった面々だ。
「再会できたのは私も嬉しいですけど、みなさん陸路で角州まで来たんですか? って言うか、今の腿州は、相浜(そうひん)の街はどうなっちゃってるんです?」
「それは、私から説明しよう……」
私の質問に、一人の初老紳士が静かに前に出て答えた。
相浜の街で私たちに農業を教えてくれていた、籍(せき)重狛(じゅうはく)先生である。
少しやつれていて衣服も汚れだらけなことから、よほどの強行軍を押してこの場に来たのがわかる。
「おっちゃん先生~! 心配したんだぜ~~!!」
「メェ~~!!」
軽螢(けいけい)が先生の体に抱きつき、ヤギがすり寄る。
彼らにとってはそれなりの長い間、ご飯を食べさせてもらった恩人なので、無事を確認できた喜びはひとしおだ。
後ろには静かに籍先生の奥さまも控えていた。
「ははは、おかげさまでなんとか、ね。それで相浜の街の様子だが」
「ぜひ教えてください。私たちは反乱が起きたその実態を、まるで知らないんです。翼州(よくしゅう)にも角州にも、暴徒が押し寄せて来ているということがほぼ皆無なので」
浮かれたバカが調子に乗って、小規模な悪さをする現場には、いくつか遭遇したけれどね。
組織的な暴動として、実際に姜(きょう)さんがどのように賊軍を扇動し運用しているのか。
具体的な情報は喉から手が出るほどに欲しい。
入れるだけの人々を中庭に移してから、一つ一つ、時系列に沿って籍先生は教えてくれた。
「除葛(じょかつ)が暴動蜂起の前にまずやったことは、港の封鎖だった。彼は禁制薬物……まあ、阿片などの類だな。それらの品が大量に荷揚げされそうになったと告知して、まったく当たり前の手続きで以て、港に出入りする船のすべてを凍結した。この時点では誰も、違和感や不自然さに気付いていなかったのだ」
「麻薬とかですか? 確かに悪い品物を取り締まるという名目なら、誰もおかしいとは思いませんね」
「そうなのだ。港の封鎖はすぐに解かれるだろうと誰もが思っていた。長くても数日で、貨物船の臨検は終わり日常が戻るだろうと皆が楽観していた。それと言うのも除葛が今まで、街のために必要な政(まつりごと)を迅速に処理し続けてきたからだろう……」
民衆はそれだけ、姜さんの実績と州への貢献を信頼していたということだ。
意表を突かれた悔しさをにじませながら、籍先生は続けた。
「港の封鎖が解かれないまま、腿州軍の一部が州庁府を予告もなく占拠した。彼らはこう宣言した。『腿州の貴族と高官の中に、北方の戌族(じゅつぞく)と手を結んで朝廷、及び皇帝陛下に害を為そうとしているものたちがいる。北部の四州はそのことにまだ気づいていない。だから自分たちが兵を起こし、天下に急が発したことを知らせるのだ』とね……」
そこまで話した籍先生は、私に一枚の紙をくれた。
短い文が、力強い筆字で書かれている。
則天従命
克殿中冥
「天に則り命に従い、殿中(でんちゅう)の冥(くらき)を克せん……」
声に出して読んだ私は、その意味を脳内で咀嚼する。
宮殿の中に悪い要素がある。
天が下した意思に従いそれを打ち払おう、という内容に取れる。
殿中の冥というのは、遠く北方に位置する外敵、戌族(じゅつぞく)の脅威を国の一大事だと察していない中央官僚を指すのかな。
こういうわかりやすいキャッチコピー怪文書を、姜さんは街中、いや腿州のいたるところに同時にばら撒いたのだろう。
ここに書かれている文章が、事実に基づくものかどうかは問題ではない。
事実として民衆に「信じ込ませることができるかどうか」という話になってくるのだけれど。
「それを、腿州や蹄州(ていしゅう)の人たちは信じちゃったんですか?」
私が驚き問う言葉に、籍先生は苦い顔で否定と肯定の両方を滲ませた。
「除葛の指揮下にある州軍は、彼と運命を共にしている。加えて除葛から船漕ぎの仕事を貰っていた罪人たちもね。さらに悪いことには、東や南の外国人たちに仕事を奪われた無職浪人たちも、この蜂起に先を競って参加して行ったことだ。その他多くの住民、もちろん私も含めて、ただ手をこまねいて見ているしかできなかった……」
隣で聞いていた船乗りのおじさんも付け足す。
「除葛の軍に逆らえるやつは、相浜の街にはいやしねえ。そいつらが気勢を上げて近隣の街を練り歩きゃあ、興味を持ってホイホイとついて行くアホどもはいくらでも集まるわな。大方、意味が分かってねえでお祭り騒ぎに乗っかりたいだけのガキなんかも、山ほどいるはずだぜ。なにせ一緒にいるだけで、メシと仲間が勝手に得られるんだ……」
「誰だって、賑やかなことには興味持っちゃうからなァ。陽気な南の街なら尚更だ」
呆れたコメントを軽螢が口にした。
古今東西の暴動の歴史をひも解いて見ても、最初は非現実的な、無計画で無茶な勢いから自然に発生したものが多い。
しかし一度でも「流れ」が生まれてしまうと、まるで雪だるまを転がして大きくするように、それは自分勝手にどんどんと膨らんで、手の付けられない怪物に育つ。
潜在的にノリの良い陽キャが多い南部の性質を、姜さんは実に巧みに利用したのだ。
「ははは、すげえ。あんたはやっぱりすげえよ、姜さん……」
私の想像を軽く超えて来る敵の姿を知り、私は知らずに笑っていた。
むしろ感動で、目尻に滲むものすら感じてしまうよ。
なにより素晴らしいのは。
国のため、皇帝陛下のためという大義を用意して、戌族の地を侵攻する正当で強固な動機づけを、姜さんはぶれずに用意していたところだ。
私が今、立ち向かっている敵が。
本当の意味で、私が信じ思い描く以上に、偉大な存在であることが、不思議なくらいに愉快なのだ。
ひっそりと震える私に気付かず、周りの人は話を続ける。
「して、お集まりのみなさまはなぜ、どのようにここ、角州に?」
巌力さんの質問の答えを、人込みを掻き分けて前に出た女性が話す。
「シャチ姐さんが、自分のお金をはたいて馬車を用意してくれたの! 手当たり次第に顔見知りを集めて、騒ぎが大きくなる前に急いで角州の司午家に向かってくれって!」
なんと、鶴灯(かくとう)くんのお母さんであった。
一緒に避難してくれたのは本当に安心だよ。
シャチ姐グッジョブ過ぎる、マジで。
「あれ、奥さんも来てたんか! ここは良いところだから、自分の家みたいに寛いでくれよな!」
驚きと喜びで軽螢の顔が上気する。
かのパツキン褐色ボンキュッボンな美マダムは、軽螢の好みのタイプど真ん中なのである、ケッ。
って、お前の家でもねーわ、勝手なこと言うなバカ。
「じゃあそのシャチ姐と、それに鶴灯くんも姿が見えませんけど、どちらに?」
私の問いに、お母さんは切ない目で小さく首を振り、言った。
「軍の目を盗んで、自分の船でこっそりと港を出てしまったのよ。『一揆の軍勢が船で北上するつもりなら、ワタシのなすべきことも海の上にきっとあるのであります』って言い残して……」
「あの姐さんも、麗央那に負けず劣らず無茶苦茶するなァ。大人しく逃げろよ」
呆れの軽螢、二回目。
なにはともあれ、南部からの生の情報を持った人が大勢、この角州に集まってくれたのは心強い。
フムスと意気込んだ得さんが、居並ぶ面々に堂々とした声で告げた。
「ひとまず野郎連中は俺についてきな! 食堂のある風呂屋を貸し切ってやんよ! そこでゆっくり話を聞かせてもらうぜ! ご婦人方は、こちらの司午屋敷の接遇を受けて連絡を待っててくれ!」
「おおう、話が分かるじゃねえか、小さいオッサンよォ!」
「酒はあるんだろうな?」
「オフロ! ゴハン!」
「ところでこのおっさん、いきなり仕切り始めたけどなにものよ!?」
ワイワイと騒ぎながら、男たちは銭湯へ向かった。
籍先生には私から言って、司午家に残ってもらった。
「って、軽螢とヤギまでつられて行っちゃったし。アホかあいつら」
手分けしていろんな話を聞けるのなら、それは結果オーライだけれどね。
情報の精度と確度が上がり、今回の反乱に関して高い解像度を得られた。
それでも、私たちや得さんの作戦における基本指針と、秘められた策は変わらない。
前に踏み出す足を止める要素は、ないのだ。
「ところで籍先生、よく陸路でこんな大勢、関所を通って移動できましたね」
私の素朴な疑問に彼は、痛いところを突かれたという顔で白状する。
「役人時代の知り合いに、まあその、賄賂を渡してね……仕方がなかったのだ、この状況ではこうするしか」
「はははっ、素晴らしいことです! 良いお友だちを持ったのが身を助けましたね!」
まったくの皮肉でなく、私は称賛して笑う。
やるべきときに、やれるだけのことをすること。
それが一番なのだから!
「……こんなときでも、麗くんの顔は明るいのだね」
籍先生も私につられて笑い、けれどどこか寂しそうに言った。
「ごめんなさい、軽率不出来な教え子で」
謝罪を述べる私を、巌力さんが弁護した。
「麗どのは難問に立ち向かうときにこそ、より強く輝くのであります。その輝きはおそらく、多くの得がたき師に恵まれたからこそではありますまいか」
改めて私は、かつて師と仰ぎ、兄弟子と慕った学問の先輩たちの顔を瞼の裏に浮かべ、そして籍先生の顔を見た。
さあ次の運命よ。
懲りずに私を試験するがいい。
今度も斜め上の解答を提示して、採点者を混乱させてやろうじゃないか。
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