二百九十一話 策謀は帷帳の中、必勝は千里の外

 司午(しご)本家の中庭から部屋の中に移り、作戦を確認し直す。

 皮切りに私は、卓の上に広げられた角州(かくしゅう)半島の地図を前に話し始めた。


「得(とく)さん……失礼、猛(もう)閣下にも難しい立場があるでしょうから、私の言ってることをすべて実現していただけるとは思っていません。その上で、こうした方が良いと私が思う、今の指針をお話しします」


 かしこまって言う私。

 得さんは「よせよせ、気楽に行こうぜ」と言うように軽く手を振る。

 事態が深刻であったとしても、思考までが重苦しく硬直してはいけないのだ。


「なるべく力になってやりてえとは思ってるさ。なんでも遠慮なく言ってくれ。翠(すい)のやつにも『ややこしい問題が起こったときは央那の意見を聞いてみるのもいいかもね』って言われてるからなあ」


 こんなに離れていても、翠さまは私が行動するための力を貸してくれていた。

 それが嬉しくて思わず笑みを浮かべ、私は最初の段取りを説明する。


「まずは蒼心部(そうしんぶ)の斗羅畏(とらい)さんに、急使を出してください。東の海岸沿いから暴徒が上陸する恐れがあるので、警戒しつつ内陸まで引き下がってくれるようにと。州公閣下の署名付きで、できる限り強い言葉でお願いします」

「ぬーん、やっぱそうしなきゃならねえか」


 早速の無理難題に、得さんは顔をくしゃっと縮めて唸った。

 そりゃそうだ。

 私の予想がもし外れたのなら、とんだ騒ぎを巻き起こして無駄に人々を混乱させるだけに終わってしまうからね。

 難しいと感じているのは、得さんだけではない。

 軽螢(けいけい)が申し訳なさそうに、周りの様子を窺いつつ意見を差し挟んだ。


「前から言おうと思ったんだけどサ。おかしなやつらが喧嘩を売りに来ても、黙って逃げる孫ちゃんじゃねえと思うんだ……」

「マジそれな~~!」


 思わず激しく同意。

 ホント、私の知っているかのイイ男は、大人しく他人の忠告を聞き分けてくれないという、実に素敵な美点を持ち合わせている。

 頑固なくらいに芯の通った男性って魅力的ですよね、って言ってる場合かガハハ!

 けれど、ここで不確定な要素を気に病んであれこれ議論している時間はない。

 渋々ながら納得した頷きを見せ、得さんが言ってくれた。


「斗羅畏がどう受け取るかは実際わからねえ。ただこの国で起きてる乱の行方が、戌族(じゅつぞく)の暮らす北方に波及する可能性は、どうしたって考えなきゃならねえことだ。できる限り速く、ことの重大さを伝える使いを出すことにしようかね」

「お願いします。必要なら私の署名を添えましょう。私が絡んでいると知れば、斗羅畏さんは嫌でも危惧するはずです。今回の問題が実に厄介な局面に突入していることを」


 認めたくないものだな、素敵な殿方に化物扱いされているというのは。

 少なくとも危険の度合いが未知数であると連絡さえしておけば、斗羅畏さんは領民を避難させたり守備兵を配置したり、なにかしらの手段を講じてくれるはずだ。

 その上で真正面からぶつかりたいと彼が本気で願うのなら、私にそれを止める手立てはない。

 結局、人は人を好きなように動かすことなどできないのだから。


「んじゃあ次は、沿岸沿いに配置した州軍の使い道だがよ……」


 得さんが言う。

 早速お屋敷の人から筆記用具を借りて、斗羅畏さんに渡す書類の作成に取り掛かりながらだ。

 慣れている雰囲気から察するに、ちょくちょく気分転換で、ここ司午家を仕事場にしているのだろう。

 角州全軍の四分の一にあたる左軍。

 それほどの大軍で、人気の少ない南岸の過疎地帯を防備する必要は、ハッキリ言って、ない。

 どうせ沿岸の町や邑は荒らされないし、もし攻撃があったとしても姜(きょう)さんお得意の「びっくり作戦」の一貫でしかないだろう。

 関係ないところでちょっと暴れて他者の目を引き付け、その隙に本隊は本命の目標に突き進む。

 そういうやり口を、姜さんは好むはずだからね。

 けれど私は、頼りになる恩人、玄霧(げんむ)さんの真面目腐った澄まし顔を想像しながら提案した。


「敢えて玄霧さんには、半島の中でも辺鄙な岸辺にへばりついて、海を進む賊徒を引き続き睨みつけてもらいましょう」

「はて、それはいったい、どのような意図があってのことにござるか」


 巌力(がんりき)さんの質問に、私ではなく得さんが先に答えた。


「なるほどな。ここで焦って左軍の全部を移動させようもんなら、海にいる除葛(じょかつ)の船団を警戒させることになっちまう。俺たち角州は、見た目の上ではあくまでも『海から来る反乱軍を、本気で警戒している』ように、相手に思わせなきゃならねえってことかい」


 まさしくその通り。

 伊達に修羅場をくぐって来てないね。


「さすが尾州大乱平定のもう一人の英雄、犀得(せいとく)将軍閣下。おわかりになりましたか」

「よせやい、若い娘っ子に褒められると体の真ん中が熱くなっちまわあ」


 前言撤回、セクハラ野郎はまだ冷たい海の中にでも飛び込んで、頭と言わず火照った全身を冷やしてほしい。

 巌力さんが私たちのやり取りを聞いて、感心して言う。


「確かに謹厳実直で知られる玄霧どのが海岸で睨みを効かせていれば、相手もこちらの『本気』を疑わぬでしょうな」

「ええ。私たちが裏で小細工していることも、玄霧さんとお仲間たちの存在感が上手い具合に隠してくれる……そう思いたいところです」


 普段は優しい人ほど、怒ったら怖いと世間に言う。

 玄霧さんはまさにそのレベルがマックスみたいな人だ。

 かつて襲われた朱蜂宮(しゅほうきゅう)を守るために、急ぎ駆けつけた玄霧さんの部隊。

 人数では倍近く負けていたにもかかわらず、覇聖鳳(はせお)率いる青牙部(せいがぶ)の荒武者たちを、その怒気で完全に圧倒したくらいなのだから。

 角州の沖を北上しようとする反乱軍も、浜辺から睨みつける玄霧さんの硬質なオーラを感じ取り、多少なりとも萎縮するに違いない。

 萎縮した人間は、最大のパフォーマンスを発揮できない。

 だから玄霧さんには、申し訳ないけれど敵の来ないであろう海岸で、踏ん張り続けてもらわなければいけないのだ。

 

「こんな仕事を押し付けちゃったら、後ですっげー、文句言われるんだろうなあ……」


 私のボヤキに、玉楊さんが軽やかに笑って言った。


「なら私の名前を出せばいいわ。いつだかの貸しを返してもらう、って」

「そのことを持ち出されれば、玄霧どのは歯を噛んで黙るしかありますまい。あまり意地悪なことをおっしゃいますな」


 巌力さんが苦笑して突っ込むのを見て、私はその意味を察した。

 玉楊さんは翠さまと人質交換を試み、自らが覇聖鳳に従って北方に赴いたことで、司午家の未来を救ったという実績がある。

 あのときの玉楊さんも、決して恩に着せようとしてそうしたわけではないだろう。

 けれど使えるものはなんだって使ってやるのだという強かさは、さすが天下の豪商、環家(かんけ)に生まれた女性である。

 引退したと言えども、後宮の貴人。

 多少のふてぶてしさも持ち合わせていないと、その役は務まらないのだな。


「なら岸にいる左軍の半分だけを、それと気付かれねえように引き揚げさせるか。どうせ央ちゃんのこった、なにかその軍を使ってやりてえことがあるんだろ?」

 

 書き物を進めながら、意識の一部を器用にこちらに向けて、得さんが訊く。


「え、私に任せてもらっちゃっていいんですか、そんな大がかりなこと」

「あんまりにもバカバカしいなら、聞かなかったことにするだけだぁな」


 そう言ってもらえると、こちらも気が楽である。

 この人が民衆に慕われ、推挙されて州公に収まった理由がわかる気がするね。

 いやらしいのはさておき、一緒に仕事がしやすいタイプなのだ。


「賊軍は角州半島を迂回して、さらにその北にある斗羅畏さんの領に上陸しようと考えているはず。というのは説明した通りですけど」


 地図上、ユニコーンのツノのように北東へ尖る角州半島。

 その最東端にある岬を指で示して、私は続ける。


「私は全力でその邪魔をしたい。もし人数を貰えるなら、手段を問わずに姜さんの水軍に嫌がらせする、そのことだけに持てる力のすべてを傾けたいと思います」


 後先を考えていては、姜さんには勝てない。

 この後も闘いは続くのだからと考慮することは、無駄に時間とエネルギーを温存してしまうことに繋がる。

 そんな姑息な皮算用をして、目の前の一勝に全力を尽くせないのであれば、人の身で魔人に敵することは不可能なのだ。

 私の意気に感じ入ったのか、みなが黙る中でさらに詳しく語る。


「半島の突端から見えるこの海域を、賊軍を乗せた船は必ず通るはずです。そこより遠い東の遠洋はシャチ姐たちのお仲間、東国の武装商船が頻繁に行き来しています。だから姜さんの連れる船団は、半島から離れた海域を航行しないと思うんですよね」


 説明する私の指先を凝視しながら、得さんはフムと腕を組んで、言った。


「情けねえ話だが、南部の軍船とまともにやり合えるような水軍は、この角州にはねえぜ。国じゅうからかき集めても無理だろうよ。用意できるとしても、圧倒的に時間が足りねえや」


 元は軍人なだけあって、得さんの戦力分析は現実的であり、微塵の希望的観測もない。

 姜さんが腿州(たいしゅう)に赴任し、真っ先に仕込んだ屈強な水軍、見事な艦船の数々。

 私もそれを間近で見た。

 勝利が遥か遠くにあり、極めて微かなことを認めざるを得ない気持ちは、確かにある。

 けれどもこの作戦の目標は、海を北上する反乱軍を撃滅打倒することではない。

 あくまでも反乱軍が北方へ上陸するのを遅らせ、時間を稼ぐことだけが主目的なのだから。


「私にいい考えがあります。と言っても、これを教えてくれたのは日焼けした素敵な、海の人たちですけど」


 ドヤ顔で言い放ち、秘蔵のアイデアを開陳する私。

 かしこまって真面目ぶった空気をあざ笑うかのように、外の野良犬がウォンと吠えた。

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