二百八十六話 知らない山
長く連れ添った仲間との別れは、寂しいものだ。
「ごめんね、ヤギ。でもこうするしかないんだよ……」
「メッ!? メェェ~~~ッ!!」
前足と後ろ足を縛って動けなくしたヤギを前にして、私は鋼鉄の串を構える。
せめて苦しまないように、心臓を一突きして楽に仕留めてあげよう。
これもみんな、空腹が悪いんや。
「恨むなら、お腹の虫を恨んでね。生命の宿業を……大丈夫、ただ円環の理にきみも組み込まれるだけだから……」
「ビメェ~~~~~~ッ!!」
涙を押し殺して串を逆手に握り、今際の泣き声を叫ぶヤギの胸をめがけて振り降ろそうとした、そのとき。
「なにやってんだよ麗央那。昼メシ買って来たぞ」
「あ、おつー。渡したお金で足りた?」
軽螢(けいけい)が食料を抱えて戻って来たので、茶番は終わった。
いつの日か来るかもしれない、ヤギを食材にするためのシミュレート。
それを打ち切り、私は芳香を放つお昼ご飯に飛びつく。
「十分だったぜ。おまけで飴もたくさんつけてくれたよ」
「それは素晴らしい。飴ちゃんはいくらあっても良い」
軽螢が調達したのは、蒸かしたての大きめの肉まんのようなものと、付け合せとしての根菜類の塩漬け。
お茶もたっぷりヒョウタンみっつに補充されていて、さらにお茶請けの飴玉もある。
過不足ない品ぞろえと言えよう。
ほー、いいじゃないか、こういうのでいいんだよ、こういうので。
と、このように私たちは、目的地までの中間地点である翼州(よくしゅう)と角州(角州)の境界の街で、休憩に入っている。
「州を跨ぐ関所の取り調べが厳しいみたいなんだよな。南部でおかしなことが起きたからだろ。通関待ちの行列も長いし、今日は諦めてこの街に泊まろうぜ」
軽螢の説明通り、角州に入るための関門には長蛇の列ができていた。
こういう些細なトラブルも織り込み済みである。
だからこそ私は軽螢にあらかじめ「急ぐ必要はない」と伝えたのだ。
「メェ~~~……」
「あーあ、すっかり怯えちまってるよこいつ。麗央那がおかしな悪戯するからだぜ。よしよし、怖かったなァ」
震えて足元に甘えてくるヤギを、優しくなだめる軽螢。
恨みがましい視線をヤギ畜生から送られているけれど、気にしないこととします。
そもそもそいつは、邑の総意で食う予定だったはずでは?
「なら情報を集めよっか。南部で起きた暴動や反乱に、街のみなさんがどういう感想を持ってるのか知りたいから」
「メシ食いながら聞いて回ろうぜ。なんか人が集まってる広場あったわ」
とのことで、私たちは街の中央にある公園的な広場へ足を向けた。
老若男女、様々な人々が噂話に興じながらお昼ご飯を頬張っている。
「どうして南部で一揆なんて起きるのかしら。こっちよりずっと豊かな土地だって聞いてるけど」
「その豊かさのせいで、南部の方が税が高いんじゃ。わしら翼州(よくしゅう)の農民は八分の二が税じゃがな、腿州(たいしゅう)と蹄州(ていしゅう)では、農家の税は八分の三のはずじゃのう」
「半分近くがお上に持って行かれるのかあ。前から気に入らなくて、不満が爆発したってことなんかねえ」
首狩り魔人の除葛(じょかつ)姜(きょう)が反乱蜂起の主体であるという情報は、あまり広まっていないらしい。
これほど大規模な謀反が、たった一人の人間の思惑に起因するか?
そんな状況を認識できない、到底納得できないというのも理由の一つかもね。
特に角州や翼州は姜さんの地元である尾州から遠いの。
ために、姜さんがどんな人なのかを民衆がよく知らない傾向にある。
別視点で考えれば、首謀者が腿州宰相代理、兼水軍司令官なのだと広く知られると、社会不安も増大する。
だから国として情報を伏せている可能性も高いかな。
「直接の被害はまだないけど、怖がっている人は多いって感じだね」
人々の声と顔色を観察しながら私は言った。
「みたいだなァ。もう少し詳しく聞いてみっか。なあなあお姉さんたち~?」
同意を返した軽螢は、おばちゃまグループの輪の中に、気軽に突進して行った。
こういう場面でのフットワークが軽いのは、本当に助かるわ。
新宿駅のど真ん中であっても、知らない通行人相手に平気で道を聞けるタイプだな。
出口が複雑すぎてわけわかんねえんだよ、新宿ェ……。
だから私は歌舞伎町方面の東口しかぶっちゃけよく知らない。
たまに行ったら行ったで火事に遭うしさ、踏んだり蹴ったりですわ。
やはり池袋、池袋東口サンシャイン通り方面こそ我が聖地。
「あらやだ、お姉さんだなんて恥ずかしいわ、こんな可愛い男の子に」
「お腹空いてない? おモチ食べる?」
「若い男の子はお肉の方が良いでしょう。こっちに羊の臓物煮込みあるわよ」
あっと言う間に溶け込んでおやつをもらってるし、やるな。
ちなみに軽螢は応氏(おうし)の生まれなので、羊肉を禁忌として食べない。
ご先祖が八畜八氏の「未(ひつじ)」の系譜に繋がるからだ。
古い言い伝えを信じるのであれば、翼州公である塀氏(へいし)の分家筋が応氏だという話なので、紅猫(こうみょう)貴妃殿下と軽螢は遠い親戚に当たる。
本当かどうなのか、疑わしいと私は思っているけれどね。
私もおばさまたちのご相伴にあずかりながら、街の中で目ぼしいニュースがあるかどうかを尋ねた。
「この街にはまだ、騒ぎらしいものはありませんか?」
「まだ、なんて言わないでよお。これからなにかあるみたいじゃないの」
軽くあしらわれ、笑われた。
そんなことはあるわけがないと、完全に信じ切り、思い込んでいる様子だった。
別のおばさまも続けて言う。
「毛州(もうしゅう)と翼州は皇帝陛下のお膝元よ。暴徒が関を超えて街まで攻め込んで来るわけがないわ。この街にもほら、頼もしい州軍のお兄さんが沢山いるのだし」
「はあ……」
結局は他人事、と軽く流す彼女たちを見て、私は胸が痛くなった。
隣にいる軽螢の顔色を窺うと、彼も苦いものを噛んだように口をへの字に曲げている。
危難は、災害は。
そんなときこそ、不意に訪れると私たちは知っているから。
輪の中にいた一人の女性が、思い出したように話す。
「反乱とは関係ないけれど、ちょっと気になることはあったわね。うちの隣のおじいさんが、山菜を採りに裏の山に入ったんだけど、二日も経つのに帰って来ないのよ」
「それは大変じゃないですか。怪我でもしてるか、遭難してるかもしれませんよ。探しには行ったんです?」
私の問いに女性はふるふると軽く首を振る。
「街に詰めてる軍のお兄さんも、検問の仕事に忙しいでしょう? だから人手が回せないって言われて困ってるの。今日あたり若い子たちが何人か、様子を見に山に行ってくれるって話だけど」
「ふーん」
顎をポリポリとかきながら軽螢が呟き、ヤギを見た。
「メ?」
「お前、確か鼻も良いよな。手がかりがあれば匂いを辿って行けるか?」
「メェッ!」
「じゃあ手伝うかー。今日は他に予定もないし」
気安く言って軽螢は、街の奥にある山へと歩いていく。
「ちょっちょっちょっ、大丈夫なのあんた。土地勘もないのに人探しなんて」
心配してくれるおばさまをよそに、軽螢はあっけらかんと答える。
「街に入るまでに山の形はざっと見たから、なんとかなるよ。山菜集めならどんなところを通って分け入って行くかもなんとなくわかるしな」
「山育ち、おそるべし……」
私もすっかり忘れていたけれど、地形の把握に関して言えば軽螢は翔霏よりさらに鋭い感性を持っているのだった。
「ダメそうならさっさと引き上げるって。知らん土地で無茶したくないし、お節介で俺が怪我なんかしたら翔霏に怒られるからな」
ただの散歩みたいなテンションで軽螢が言うので、私も深く考えずに後に従う。
帰って来ないというおじいさんの家で、よく使いこまれた薪割り用のナタを借り受けた。
これがあればヤギが匂いを追えるし、山中での藪払いにも使える。
「本当にありがとうねえ、あたしも足が痛まなければ一緒するんだけど……」
「いいっていいって。俺もちょうど山菜採りに行きたかったところだし。ゆっくり待っててよ」
未帰還の男性の奥さんを元気付けるように言って、ヤギを伴った軽螢が山道を踏む。
この街も神台邑と同じように、市街地の外郭に人が管理する林や里山が広がっている。
そこからシームレスに自然のままの山地に繋がっているようだ。
「奥さんの足が悪ぃって言ってたから、薬になるような草とか花も探しに行ったのか。イタドリの芽が出始める時期だから、それを目印に根っこを掘ってたりしてるかもナ」
「メェ」
さすがに山のこととなると解像度も髙く想像力も豊かな軽螢である。
私もすっかり感心するほかない。
「あ、タラの芽見っけ。麗央那、ここ覚えといてくれよ。じいさんを見つけた帰りに採るから」
「え、ああうん。全然見分けつかなくて自信ないけど……」
くそう、小さい頃からもっと秩父のおじいちゃんと一緒に山に入って、山菜スキルを養っておくべきだったぜ。
まったく軽螢について歩くだけのオプションと化した私は、改めて世の中にまだまだ知らないことが多くあることを痛感するのだった。
そのように山間を進んでいるとき、不意に軽螢の足が止まった。
「どしたの?」
「なんか、前にもらった宝玉が冷たくなっちまってる」
懐から取り出して見せてくれたのは、薄黄色い水晶玉だった。
覇聖鳳(はせお)を倒して神台邑に帰ったときに、姜さんから旅メンバー全員に宛てて贈られたプレゼントの一つだ。
この宝玉は軽螢の法術力に呼応するアイテムのはずだね。
良いことや悪いことを予見したり、探し物に反応を示すと言ったダウジング的な使い方ができる。
「姜さんから貰った道具が、今になって変な様子になってるってのは、こりゃどう捉えたらいいもんだろ」
「この玉に罪はねえだろよ。でもちょっとは気を付けた方が良いかもなァ」
そう言って軽螢はナタで藪を払いながら、さらに奥へ進む。
しばらく行くと、急な斜面に挟まれた下方に、細いけれど流れの急な川があった。
橋のようなものは見当たらないけれど、川幅は狭いので気合を入れれば向こうへ渡ることはできそうだ。
「イタドリを採るなら、こういう日当たりのいい斜面なんだ。川の近くで湿気も十分にあるし。この近くで足を滑らせて、怪我したんかな」
軽螢の説明を受けて、慎重に目を凝らし山肌を観察する。
「ほんとだ。赤っぽい芽がたくさん生えてるね。ならここを中心にして人が通った形跡を探そう」
「ここまで足を踏み入れるってことは、じいさんは結構な健脚なんだろうな。そういう老人に限って、まだ行けると思って油断して怪我すんだよ。雷来(らいらい)じっちゃんも、山に入って転んで腰を打ってから、足腰が弱っちまったんだ」
懐かしいな、雷来おじいちゃん。
確かに元気な割には、歩行だけ難がある感じだった。
「なるほどぉー、山が怖いって言うより、自分の中の過信が怖いんだね」
「それ、上手いこと言ったつもりか?」
「メェ~……?」
せっかく私が良いことを言ってやったのに、なにも感じ入ることのない軽螢とヤギ。
彼らに導かれるまま、足元に気を付けて探索を続ける。
「フゴッ!? メメェッ!?」
フンスフンスと嗅覚を駆使するヤギが、下流へと駆けて行く。
なにか特別なものに気付いたかのようだ。
「麗央那、無理すンなよ。ゆっくりでいいから」
「う、うん」
私は軽螢に手を取られながら、恐る恐る斜面を下りて行く。
握られた掌に汗をかいていないかどうかが、やけに気になるお年頃であった。
山河の果て蒼穹の彼方、響いて届け私の聲よ ~泣き虫れおなの絶叫昂国日誌・第七部~ 西川 旭 @beerman0726
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