二百八十五話 歩くような速さで
出発の荷支度をしている私に、銀月(ぎんげつ)さんが声をかける。
「本来であれば止めねばならぬのでしょうが、麗どのに拙の説教は効かぬでありましょうからな。くれぐれもお気をつけなされ」
「ごめんなさい。邑のことはひとまずお任せしますね」
朝廷からの監督役として派遣された彼に、勝手をしてしまうことを詫びて頭を下げる。
実際に迷惑をかけてしまうのは銀月さんだけではない、けれど。
「軽螢(けいけい)がいないくらい、ぜんぜんへっちゃらだって。気にしないで行って来いよ」
「お土産よろしくなー」
翼州(よくしゅう)少年団の面々も、頼もしいことを言ってくれた。
屯田開拓の工事作業自体は、問題なく進むと信じたい。
物資の荷卸しを終えた椿珠(ちんじゅ)さんが、やれやれと言った顔で私に小袋を手渡して、言った。
「今ある手持ちで渡せるのはこれだけだ。角州(かくしゅう)に着いたら、追加で巌力(がんりき)に頼んで金を受け取れ」
袋の中には金銀銭がミチミチに詰まっていた。
旅往くなら現ナマはいくらあっても良い。
さすがに世慣れしているだけあって、こういうところがスマートで段取り良いんだよね、この兄ちゃんは。
「いつも済まないねえ、私に甲斐性がないばっかりに」
ありがたく受け取り、道中の必要経費に使わせてもらおう。
「おい、貸しだからなこれは。善意だと思って丸ごと懐に入れようとするなよ。俺だってそんなに余裕があるわけじゃないんだ」
「チッ、しっかりしてんな。有耶無耶にできるネタを考えておかなきゃ」
なんて風な、いつも通りの緩いやりとりをして椿珠さんとはいったんお別れ。
シャチ姐の懐刀である黒服用心棒さんも、引き続き椿珠さんと行動をともにすることになる。
贅沢を言えば、彼くらいの使い手が側にいて欲しいのだけれど、こればかりはどうしようもないな。
配られたカード、与えられた馬でこのゲームを 進むしかないのだ。
「じゃあこっちも出発すンぞ。振り落されないように気を付けろよ」
慣れない馬の上に跨った軽螢が、後ろに乗る私に告げる。
「メッ、メエッ!」
軽螢と私が同じ馬上でタンデムする横を、張り切ったヤギが随伴する。
頼んでもいないし、マジでいなくてもいいんだけど、なんで当たり前のようについて来るんだコイツ……。
邑を出て東に進み、ひとまずは角州の州都、斜羅(しゃら)の港街を目指す。
東方海上貿易の新しい拠点であり、翠(すい)さまのご実家である司午本家もある。
二人乗り騎馬の小走りで休息を挟みつつなら、十日もかからないくらいで斜羅の街に着けるだろうか。
旅路を踏み出して間もなく、軽螢が話を振って来た。
「麗央那、そういえばさ」
「なあに軽螢? なにか重大な情報でも気付いてくれた?」
「そんなのはねえけど。俺たち、二人っきりでどっか行くのってはじめてだなーって思ってナ。だいたいはいっつも翔霏(しょうひ)が一緒だし。それか椿珠兄ちゃんか」
意識して話題にしなかったことを、わざわざ口に出すんじゃねえ!
年頃の男女が二人旅……ってなにも起きん!
起こしてなるものかよ!
そんな浮ついたお出かけではないの!
「えーと、そうだっけ。まあ心許ないのは確かだけど、なんとかなるでしょ。角州までは通い慣れた道だし」
バリバリ気付いていたのに、しらばっくれて話を逸らそうと小細工を弄する私。
けれど軽螢の口から出た次の言葉は、そのように心中穏やかではない私の想定から、わずかにずれていたものだった。
「俺は翔霏ほど達者に馬に乗れねえからな。麗央那は急ぎたいんだろうけど、無理するつもりはねえぞ」
「あ、そゆこと。いや、うん、それなら大丈夫。安全運転でお願いします。ぶっちゃけ角州まではそんなに急いでないから」
ドギマギしかけたのがバカらしいわ。
私が「ゆっくりでいいさ」と答えたことに、軽螢は少しく驚いた声色で問い返す。
「でも南の反乱は、痩せ軍師さんが白髪(はくはつ)の末っ子ちゃんをぶちのめしたくて起こした騒ぎなんだろ? 麗央那だって、それをどうにかしたいから、大人しくしてないでなにか仕掛けようとして、角州に向かってるんじゃねえのかよ。角州になにがあるのか俺は知らんけど」
「それはまあ、もちろんやるべき大事なことがあるよ。でも今くらいは、まだ焦る場面じゃないって言うか」
「まだるっこしくてややこしい言い方だなァ」
私はウーンと頭を整理し言葉をまとめて、一つずつ噛み砕いて軽螢に説明する。
「まず、反乱は国の南側、しかも東西に分かれて起こってるんだよね」
「それくらいは俺もわかるよ。西南の尾州(びしゅう)と、俺たちが畑の先生の世話になってた腿州(たいしゅう)だろ?」
「そうそう。西は旧王族の除葛氏(じょかつし)本流の、誰か偉い人たちがまとめてて。東の海沿いは姜(きょう)さんがまとめてると考えて、その集団がすんなり北上して、突骨無(とごん)さんたちの白髪部の草原に向かえると思う?」
「無理だろな。途中で他の州の軍だとか、都の禁軍にぶちのめされるだろ。少なくとも関所や峠道で通せんぼ喰らうぜ」
「メエメェ」
わかった風に頷くヤギがうぜぇ。
けれど、とセンテンスを入れ直し、私は続ける。
「姜さんなら、無理だと思ってもなにがなんでもやり切るはず。例えば西側の山沿いなら、関所を守ってる部隊を買収するとかね。東だって、海軍の船は姜さんの指揮下にあるから、海をぐるっと回って東北方面から戌族(じゅつぞく)の領域に入ることができる」
反乱が起きたとなれば、首都周辺の防備を国はまず分厚くするはずである。
しかしそこで虚を突くように、首都を無視して東西両端の経路を反乱軍が北上するとなれば、対応しきるのは難しいだろう。
東西の反乱勢力がどれほどの規模か、私にはまだわからない。
しかし姜さんが腿州の兵隊を訓練し直して、艦船も改修し終えた今、洋上に出た反乱軍を押し留められる武力は、この国には存在しないはずだ。
むしろ兵力や物資を消耗させずに東海を行き来するため、散在する小島まで食料基地として開発していたのだから。
名実ともに今の姜さんは「東の近海王」として、確固たる独立勢力になってしまったと考えて良い。
東の海からでも反乱軍は北上できると私が言ったからか、軽螢の体が強張った。
「それだと孫ちゃんまで巻き添えを食っちまうじゃねえかよ。東北から暴徒が上陸するってことは、孫ちゃんの領域をどうしたって通ることになるんじゃねえか」
蒼心部(そうしんぶ)の首領、斗羅畏(とらい)さんのことだ。
軽螢の言ってることは正解で、むしろそれが姜さんの第一目標であるだろうと私は考えている。
「だね。姜さんはおそらく、突骨無さんを叩く際に障害になる斗羅畏さんを手始めに潰したいんだと思う。その上で西から来た尾州の反乱軍と合流する腹積もりじゃないかな」
斗羅畏さんを応援する気持ちが甚だ大なる私だけれど、さすがに今回ばかりは相手が悪い。
私が角州に行く用事の一つは、角州公の得(とく)さんを通じて斗羅畏さんに使いを出し、海からの侵入者があると知らせること。
加えて、できれば正面からぶつかることを避けて、逃げてでも生き延びることを優先して欲しいと伝えることだ。
不安になってしまったのか、軽螢が切羽詰った声で漏らした。
「ならもっと、急がねえと……みんな気の良いやつらなんだ。おかしな妖怪軍師に、好き勝手されてたまるかよ」
軽螢は元々、白髪部の面々に対して憧れや親近感を持っていた。
先代の阿突羅さんを本当に深く畏敬していたし、その後継者たちである突骨無さんや斗羅畏さん、周囲の関係者に対しても、常に印象良くフレンドリーに接していたね。
「大丈夫、大丈夫だから」
私は軽螢の背中にそっと掌を当てて、落ち着かせるように説く。
「今はまだ東西双方の反乱軍も、手勢をまとめるので大忙しのはずだよ。反乱がそこらで起こっても、小さい勢力はすぐに鎮圧されちゃうでしょ? そうならないように、尾州は尾州、腿州は腿州で一度、小さい勢力を吸収しながら、より大きなまとまりを組織しないといけないんだよ」
って、項羽と劉邦の本とか解説サイトで読んだ気がする。
テストが近い時期なのに、なぜか夢中になって関係もない解説動画を見まくってしまうことって、あるよね……あるよね?
王侯将相、いずくんぞ種あらんや!
ちなみに私は張良が好きです。
「そういうもんなんか。なんでそんなことに詳しいんだ麗央那? まさか生まれ故郷の国で反乱の片棒担いでこっちに逃げて来たんか?」
「なんでそうなるんじゃい! 私の地元は150年も内乱が起きてない平和な国ですわよ」
その150年の前半期には、よその国と何度も戦争したけれどね。
「前に麗央那、神台邑に来る直前に建物の火事に遭って、とかどうとか言ってたじゃんか。てっきり家が燃やされたり家を燃やしたりして過ごしてたんかと思ってたわ」
「そんな恐ろしい女を笑って受け入れてんじゃねーよ。普通に街中で買い物してただけですぅー」
「可哀想になァ。せっかく田舎から街にお出かけしてた矢先に、そんなことになっちまって……」
「メェ~~……」
なんか不本意な同情をされているぞ、ヤギにまで。
「いや街に行くくらい珍しくねーわ。たまにはお洒落して買い食いしたりするわ。埼玉舐めんな」
実家の最寄駅はちゃんと特急が停まりますので、都内に出るのも比較的楽です。
「聞いたことないくらいの僻地を自慢されてもなァ。そもそも麗央那、友だちいないって言ってたじゃんか。一人で気取ってどこへ行くってんだよ」
「貴様ーッ! 触れてはならない闇を掘り起こしてくれたなーッ! 良いだろ一人でめかしこんで甘いもの食べに行ったってよー! 誰にも迷惑かけてねーだろォン!?」
「ちょ、揺らすなって、落ちる!」
なんてバカ話を続けながら。
まだ長い道のりを私と軽螢、大人しく賢い馬、ついでになにを考えてるのかわからないヤギが往く。
神台邑に来る前の話を、こんなにゆっくりたくさん軽螢に話したのは、実はこれがはじめてだった。
家族を喪った軽螢と、家族の下に帰ることができない私。
共感し合えているのは、きっと傷の舐め合いなんかじゃない。
私がそう信じているから、そうなのだ。
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