第三十三章 両翼

二百八十四話 SPREAD OUR WINGS

 私は、とある内容をしたためた手紙を一通、翔霏(しょうひ)に渡す。


「本当に上手く行くのか?」


 受け取りながら翔霏が疑問を口にする。

 苦笑いを返し、私は答えた。


「ダメだったら、私たちのボロ負け。でもたったのそれだけだよ」


 私の言い分に翔霏も笑った。


「そうか、ただそれだけか。どうせ失うものなど私たちにはないからな」


 爽やかに納得して馬に跨る翔霏。

 さて、お次は想雲(そううん)くんだ。


「結構、無茶な日程になると思うけど、よろしくね。ここには翔霏と想雲くん以上に、馬を上手に乗れる人が他にいないから」

「わかりました。任せてください央那さん」


 急いで旅支度を整える彼に、私は尋ねる。


「こんなバカなことには付き合えないって、言ってくれてもいいんだよ?」


 私が考えたデタラメに、今度は想雲くんを巻き込んでしまった。

 不満を口にしてくれた方が、かえって罪悪感が軽くなる気がするのだ。

 けれど想雲くんは、少し照れくさそうにはにかみながら、こう言ってくれた。


「実は、あちこち飛び回っている央那さんたちが、前からずっと羨ましかったんです。僕は国内から出たことも、南部を見たこともありませんから」


 その聞き分けの良さに、横から軽螢(けいけい)が突っ込みを入れた。


「良いんだよ、普通はそれで。麗央那と翔霏がおかしいんだ。毎度毎度とばっちり食う俺らのことも、少しは考えて欲しいぜ」

「メェメェ、メエ」


 荷卸し作業を監督している椿珠(ちんじゅ)さんも、会話を盗み聞きしてウンウンと頷いて言った。


「想雲、これも楽しい経験だ、なんてことは思ってても口にするなよ。つけあがるからな、こいつ」

「うるせー野郎どもですこと。さっさと働けや。私たちの方も予定がぎゅうぎゅうなんだからねっ」


 まだまだボロ雑巾のように擦り切れるまで使い倒してやるからな、覚悟しやがれ。

 そう、翔霏と想雲くんには別行動を頼んでいる。

 生死不明のまま、過酷な旅路を押し付けてしまったのだ。

 椿珠さんは今の商売が途中なので私たちに協力するのは難しい。

 けれど、合間を見て落ち着いたら別のことを手伝ってくれる手はずだ。


「ではみなさまも、お気をつけて」

「無茶はしても無理はするなよ」

 

 想雲くんと翔霏が馬の尻を叩き、神台邑(じんだいむら)から離れて行く。

 しばらくの間、どこへ行くにもずっと一緒だった翔霏。

 離れ離れになるのは、ずいぶんと久しぶりのことだ。


「こうすることで、少しでも私の本気が姜(きょう)さんに伝わればいいけど」


 私は祈るような気持ちで、二人の背中を見送った。

 もうじき、連絡を受けた銀月(ぎんげつ)さんたちが、隣の邑からやって来る。

 まずは彼らに邑を襲ったバカたちのことを説明して、引き渡す。

 待ってる間に工事道具の整理くらい、私も手伝うか。


「結局、水濠(みずほり)をもう一本、邑の外周に造るんだよね?」


 私の問いに、軽螢がツルハシを荷車から降ろしつつ答えた。


「ああ。でも今あるやつより幅は狭いよ。みんなで取り掛かるし、掘るだけならすぐ終わるんじゃねえかな」

「掘った土を積み上げて、土塀にするんだっけ。むしろそっちが防御機構としては本命なのかも」


 溝を掘れば要らない土が余るので、それを再利用して防壁を造るのは合理的である。

 戦争も、邑を襲撃されるのも嫌だ。

 けれど邑の構えが立派になって、外敵を跳ね返す能力が高くなる光景を想像するのは楽しいし嬉しいと感じる。

 怖がって泣いて震えているだけよりもずっと、建設的で前向きな行動だからだろう。

 もともと私が、自衛隊のお祭りとか航空ショーとか、結構好きなタイプだったからという、単純な趣味趣向の問題かもしれない。

 航空自衛隊の基地が、実家の目の前にあったものでして。

 なにより防御が強いということは、あそこを攻めるのはやめようと敵に思わせる力、いわゆる抑止力になるからね。

 屈強な相手に無茶な喧嘩を仕掛けて、どれだけの損害が出るのか。

 数字に強い人ほどそれがよくわかるはずである。


「小さな邑を囲うように、簡単には行かないかな」


 ごちゃごちゃと頭の中を駆け巡る雑多な思念を一旦は追い出す。

 私はいつも以上の笑顔で、駆け付けた銀月さんを迎えたのだった。


「ほほう、邑の入り口に炎を立てて賊の侵入を阻んだ、と。在りし日の朱蜂宮(しゅほうきゅう)を思い出しますなあ」


 ことの顛末を聞かされた銀月さん。

 感心しながら、私と共通の思い出を口にして目を細めた。

 私たちのような若造が賊徒の集団を相手に大立ち回りしたこと自体には、驚いていないようだ。

 お互いに、あちこち感覚がマヒしていると思う。


「覇聖鳳(はせお)が後宮を襲って来たときは、大変でしたね」

「まことに。しかし研修のための南部行きが妨げられてしまったとは、麗どのも難義なことにございますな」

「そうなんですよ。なんかここに来る間もしっちゃかめっちゃかで、翔霏ともはぐれちゃったから心配で心配で」


 さっそく嘘をひとまぶし。

 これから私は仲間内に対しても「翔霏と想雲くんがどこでなにをしているか、知らない」という姿勢を貫かなければならない。

 敵を欺くにはまず味方からと言うけれど、やはり心は痛む。

 特に銀月さんは、神台邑、司午家の面々の次に付き合いが長い間柄で、私の中では親戚のおじちゃんポジションに近い人だから。

 邑に関することをお互い報告し終わった後。

 銀月さんは、周囲に人がいないことを見計らって、シリアスな話題を提供してくれた。


「そう言えば戌族(じゅつぞく)めらに後宮が襲われたとき、我らを救うために除葛(じょかつ)軍師どのが馳せ参じてくれましたな。しかし今になり、南部の暴動がよもやかの御仁に起因するとは、驚きのあまり開いた口がふさがらぬ思いでございます」

「そうですねえ。なにかの間違いであってほしいんですけど」


 ワンチャン、夢であってくれないかなーと思っている、往生際の悪い私がここにいます。

 溜息とともに銀月さんが続ける。

 今まで私が知らなかった、新たな情報を。


「あの折、軍師どのは少しばかり。具合のよろしからぬ咳をしきりに出しておりました。埃や煙が立った場でありますので、それも仕方ないことかと気にはしておりませなんだが」

「咳? 姜さんが?」


 後宮の北塀で覇聖鳳とぎったんばったんしてたとき、私はまったく余裕がなかったのでそれに気付かなかった。

 私の反応に頷いて、銀月さんはさらに詳しいことを教えてくれた。


「先だって除葛軍師が南部の海賊討伐に赴く前、もちろん河旭(かきょく)の朝廷にも参られて、事の次第を主上に報告なさいました。その際にも、以前より痛々しく苦しげに咳き込む様子がございましたな。拙(せつ)の父親も肺の疾(しつ)で命を落としましたゆえ、特に印象に残っておったのです。麗どのにはお伝えしておこうかと」

「ありがとうございます、そんなにしっかり見ていただいて」


 あの姜さんが、病気?

 いや確かに言われてみれば、虚弱なモヤシだし、いつもヘロヘロしてるし、持病の一つや二つあってもおかしくはないか。

 私の前で咳き込む姿なんて見せたことなかった気がするので、予想外の情報だった。

 ひょっとするとと思い、念のために私は質問を重ねる。


「銀月さんは若い頃から朝廷に勤めていたんですよね。中書堂で学んでいた時代の姜さんについて、なにか知っていることがありますか?」


 銀月さんは雑に見積もっても四十年選手の宦官である。

 後宮、朝廷、そして中書堂周りのことに関しては、生き字引のような人なのだ。

 ほほ、と軽く笑い、謙遜するように身を低くして銀月さんは答える。


「拙は学のないまま浄身(じょうしん)いたしましたゆえ、優等の書官さまたちと、そこまで深い付き合いはございませぬ。ですが除葛どのが中央にお越しになって間もない頃、他愛のない雑談を交わしましたな」

「どんな内容ですか?」

「兵士や軍馬が、皇都から北の国境に移動するまで、およそ何日かかるだろうか、ということを聞かれました。歩兵も糧食もすべて含めるのなら、二十日以上はかかりましょう、そう話したのを覚えておりまする」


 ふむふむ、きっと若かりし姜さんは、銀月さんが兵事に詳しいことをどこかで聞きつけたんだな。

 それで実務的な兵隊の運用について意見を聞いたのだろう。

 数字やデータを重視する姿勢は、若い頃から一貫しているようだ。

 歩兵や輸送兵が1日に20kmほどを行軍できると仮定すれば、確かに河旭から北辺まで20日少々で移動できるかもしれない。

 話を聞いて、私は適当な推論を付け加える。


「食料や武器の輸送部隊を連れない、物資は現地調達するって考えれば、移動はもっと速くなりますよね。合計で十五日、いや、馬車に交代で人を乗せれば十日前後まで縮まりそう」


 聞いた銀月さんが実に楽しそうに、ははっと笑った。


「まさに、あのときの除葛軍師は麗どのと同じことをおっしゃいましたな。頑張れば十日で足りそうだ、と」

「うげえ、発想が同じじゃん」

「拙は『糧食を運ばぬ行軍など、行く先々の土地で略奪する匪盗と変わりませぬ』と意見いたしました。除葛軍師は照れくさそうに笑って逃げて行かれたものです。あの頃はまだ、御髪(おぐし)も黒くお互い若かったですな……」


 話を聞いていてわかったことは、銀月さんは姜さんに悪印象を持っていないということだ。

 わけのわからぬことをしでかす魔人である以前に、ぴちぴちした若手書官時代の印象が強いのだろう。

 南部で反乱を起こした張本人であると聞いても、なにか事情があるに違いないと、共感する気持ちがあるんだな。

 私は考えをまとめて、次の行動を決定する。


「軽螢、やっぱり一緒に角州(かくしゅう)まで行ってくれる? 私一人じゃいろいろ無理っぽい」

「やっぱり言うと思った! 俺はいつンなったら邑の仕事にかかれるんだよ!」

「メエェン!?」


 ヤギは要らんわ、別に。

 それにしても姜さんが、肺の病かもしれない、か。


「あいつ、残された時間が少ないのか……?」


 ふざけんじゃねえぞと思いながら、私はさらに東へ移動する準備に取り掛かる。

 翔霏は西へ、私は東へ。

 反乱軍が南部から押し寄せて、北部の州境を越えたとして。

 そこから姜さんの最終目的地と思われる、白髪部(はくはつぶ)の領域まで、先ほど話した20日、プラス北方草原を移動する20日。


「姜さんなら、その半分まで縮めてもおかしくない」


 やつの行動がとにかく速すぎることを、きっと私がこの世の誰より知っている。

 羽根を広げたつもりになって、私も急がなければ。

 

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