二百八十七話 ゴート♂ ミーツ ドッグ♂

「ここらの方が神台邑(じんだいむら)より暖かいんだな。雪もすっかり溶けてら。濡れてるから足下気を付けろよ」


 湿った斜面にある私を先導し、ゆっくり進んでくれる軽螢(けいけい)。

 ヤギはさらにその先を走って、フンスフンスクンカクンカと地べたに鼻をこすりつけている。


「角州(かくしゅう)に近い地域の方が、翼州(よくしゅう)の内陸より気温は高いはずだよ。南の海から暖流が来るから」


 緯度だけで見ればかなり高い地域にある斜羅(しゃら)の街だけれど、そこまでの寒さにはならない。

 実際、首都の河旭(かきょく)や神台邑(じんだいむら)の方が、盆地なので冬の冷え込みが過酷だ。

 これは南方海域から来る温かい海流が角州半島を撫でて、その暖気をすぐ北にそびえる山脈が閉じ込めてくれるから、と聞いた。

 なので、山一つ越えただけの距離にある斗羅畏(とらい)さんの領地、蒼心部(そうしんぶ)は暖かい空気が流れ込むのを山々に妨げられる。

 結果として別世界のように、とても寒いのである。


「フンスン、メッ、メッ。モゴモゴ、フゴ」


 たまに文字通りの道草を食いながらも、ヤギは追跡任務に勤しんでいる。

 追いかけて歩いていると、川を少し下ったところに大きな岩がドーンとそびえているのが見えた。


「メメエッ! ヴァァアアッ~~!」


 私たちの場所からは見えないその岩の陰に、なにかを見つけたような勢いでヤギが突進する。


「うんせ、うんせ。でかしたぞヤギちゃん。あとで塩を舐めさせてやろう」


 私たちも足元に配慮したノロノロ歩きで、けれどしっかり慎重にその場へと近付く。

 どうか対象のご老人であれば、無事でいてくれますようにと祈りながら。

 けれど私たちを出迎えた声は、人のものではなく。


「ワフ、バウッ」


 岩に身体を預けてぐったりと身を崩している高齢男性の、その傍らに、予期せぬ異物。


「犬? じいさんの飼い犬なんて話は聞いてねえぞ。野良犬かな」


 軽螢が驚いて言うように、褐毛の痩せた、けれど大きな野犬が男性に寄り添っていた。


「メエェ……!?」


 ヤギもその状況に困惑しており、遠巻きに様子を窺うしかできないでいる。

 害のある獣なら一刻も早く追い払うだけだ、けれど。


「う、うう……誰か、来たんか?」

「ワンッ、ワフンッ!」


 まるで野良犬は倒れているおじいさんを今まで守り続けていたかのように、ぴったりと体の横をくっつけて、たまに顔を舐めたりしている。

 意識を取り戻したおじいさんは、まだ手足に力が入らないようだ。


「グルルル……」


 私たちを値踏みするかのように睨み、喉を鳴らす野良犬。

 傷付き倒れた哀れな迷い人である老人を、自分が保護してきたのだと言うようですらある。

 最初は警戒されていたとしても、私も軽螢も動物の相手は得意な方だ。

 まずは友好的接触を試みよう。


「だ、大丈夫、落ち着いて。私はいいやつだよ」

「そうかァ?」


 軽螢が余計な茶々を入れるけれど、無視。


「あ、ああ、若いの、どうか助けちゃくれんか……滑って足をやっちまったらしい……」

「お望み通り、街の人に言われて助けに来たんだよ。歩けないなら背負うしかねェかなァ」


 私が野犬とのコミュニケーションに神経を使う間に、軽螢がおじいさんの足もとを確認する。

 

「ぐぅっ、イテテ……」

「ありゃりゃ、ごめん」


 どうやら足首をぐねったかなにかしたらしく、大きく腫れていた。

 折れているかどうかはわからないけど、とにかくしっかり固定して冷やした方が良さそうだ。


「はい軽螢、サラシ布。包帯に使って」

「おう、雪が溶けちまってるからなあ。とりあえず川の水で冷やして縛るか」


 医療行為にかけては私よりも軽螢の方が格段に達者なので、この場は素直に任せる。

 なおもグルルと鼻を鳴らし、こちらを威嚇し続ける野犬くん。

 私は刺激しないように静かにその様子を観察して、ある一つの発見を得た。


「この子、左の前足がないよ。怪我かなにかしたのかな。途中から切れちゃってる。傷口は完璧に塞がってるから、生まれつきかもしれないけど」

「へえ? 足が不自由なモン同士、じいさんに同情して助けてたのかもなあ」


 そんな感情が犬畜生にもあるものかね。

 前足の一部が欠損していても、歩行そのものは問題がないようだ。

 おじいさんの手当てに勤しむ私と軽螢を、監督し見張るように周囲をウロウロしている。


「フゥゥー……」


 濃い土気色の、そこらによくいそうな一見はパッとしない、小汚い犬。

 だけれど鼻筋はスッと通り、たまに覗かせる見事な犬歯が青白く光る。

 じっくり見ればかなりのイケメン犬だった。

 

「たまにいるよね、顔は超絶美形なのに、身だしなみはズボラなオタクみたいな男の人」

「知らねえよ、なんの話だよいったい」

「メェ……?」

 

 などと考え、そして共感されない喪女の私であった。

 私だってな、鼻があとほんの少しだけスッキリ尖って高く、さらにほっぺがふっくらしていたら、美少女だったかもしれないんや。

 眼とか口元とかはそこまで悪くないと思うんや。

 などと日本人顔のコンプレックスに鬱屈した思いを馳せていると、軽螢は手際よく処置を終えてくれた。


「背負って戻るからさ。俺とじいさんを紐かなにかでしっかり縛ってくれるかな」

「す、すまねえなあ、若いの……」


 よっこいしょ、と軽螢がおじいさんをおんぶして、もと来た道を戻る。

 私の外套の帯で、ブレないようにキツく固定した。


「ブメッ、ブモッ」


 上り坂ではヤギがおじいさんのお尻をぐいぐい押して、軽螢の歩行を助けている。

 いいコンビだよ、まったく。

 で、私はその様子を見守りながら慎重に歩いているのだけれど。


「ワフ、ワフン」


 後ろから一定の距離を保ち、よちよちトテトテと続く生きものが、一つ。


「なんか、犬がついて来ちゃってるよ」

「いや、麗央那が追っ払ってくれよ。俺は手がふさがってるし」

「えぇー」


 野良犬を攻撃することに若干のトラウマがある私は、どうしたものかと顔をしかめた。

 犬と睨み合って迷っていると、軽螢の背にあるおじいさんが、か細い声で懇願するように言った。


「そ、そいつの、好きにさせちゃあくれねえか……俺の体が冷えないように、ずっと横にいてくれたんだ。人に慣れてるなら、俺の家で飼ってやってもいいと思ってる。逃げるなら逃げるで構いやしねえ」

「ああ、それは結構なことだと思います」

 

 不本意な動物虐待をしなくてすんで、私も安心。

 あまり人懐っこい犬ではなさそうだけれど、凶暴なわけでもない。

 足に不自由を抱えているなら、人に飼われてエサを貰うほうが、この子にとってもいいんじゃないか。

 街の近くをうろついていたのだから、以前は誰かの飼い犬だったのかもしれない。


「メエェン……?」


 微妙にヤギがガンつけてるね。

 マスコット動物としての座を奪われたくないというマウンティングだろうか。

 もっと心を広く、なにごとにも鷹揚に構えんといかんぞ。


「坊ちゃん嬢ちゃん、この街のもんじゃねえだろ。よくこんなところまで、探しに来てくれたなあ」

「なんか行きがかりでね。山菜採ろうと思ってたついでだよ。おっちゃんも気を付けないとダメだぜ、いつまでも若い頃みたいには動けねえんだから」

「へっ、ちげえねえ……孫みたいなトシのガキに説教されちまうとはよ」


 ぐすっ、と鼻をわずかに鳴らすご老人。

 こんな状況になるまでは、きっと「俺はまだまだイケる、老いぼれちゃいねえ」と思っていたんだろうね。

 でも山と言う大自然は、そして年月と運命は不意に容赦なく牙を剥いて来るのだ。

 私たちも、いつの日にか気に留めなければいけないことなのだよな。

 帰り道、慎重に時間をかけて山を下りたこともあり、すっかり日が沈んでしまった。


「本当に助かったぜ。しばらくは家から動けねえだろうが、命あっての物種だあな」

「もう、そうですよお前さん! 気の良い方がいてくれたからよかったものの……」


 はらはらと涙を流しながら、おじいさんの肩をバンバンと平手で殴る奥さま。

 今日中に解決できてなによりだ、と私もしんみりホロリとしていると。


「……メェ~?」


 くんくん、と野良犬がヤギのお尻の臭いを嗅いでいた。

 あれは犬と犬が道端で会ったときに、お互いの感情や関係を把握するために行う挨拶行為の一種と言われる。

 もちろん草食動物であるヤギにそんな習性はないので、意味が分からず困惑していた。


「ブメッ!!」

「ガウッ」


 憤慨したヤギが後ろ足キックを仕掛けた。

 野犬から見ればヤギはそもそもエサでしかない。

 けれど、うちのヤギ公は無駄に体格が立派で喧嘩が強いので、痩せた野良犬ごときには負けないだろう。

 犬は攻撃を華麗に避けて、静かに私たちを観察し続けていた。


「うちで飼おうと思ってたんだがなあ、そっちの方が気に入っちまったか」


 おじいさんが寂しそうに言って、犬の喉を撫でた。

 私は、イヤイヤイヤ、と首を振り掌を振ってお断りの意思を示す。


「連れて行く気はないんで、そちらで縄に繋いで面倒見てくれると助かります」

「ワン、ワンッ!!」


 軽螢と奥さんが、犬の体に縄を巻こうとしたけれど、思いっきり拒否られて逃げられた。

 そのまま、ツンデレなのかどうかわからない犬は姿を消した。

 翌日に私たちは、厳しい関所の検問をなんとか無事にパスして角州(かくしゅう)への道行きを再開さいたのだけれど。


「メェ~……」

「うわ、あの犬まだついて来てるよ。なんなんだろな」


 軽螢が驚きと呆れの混じった声で言う。

 数十メートルの微妙な距離を保ちながら、前足に傷を持った野良犬が後方にいるのだった。

 ヤギと話が通じているように見えるのは、気のせいだと思いたい。


「気にしないでおこうよ。飽きたら街に戻るでしょ」


 私は敢えて、これ以上余計なことを抱え込まぬように、突き放した物言いをした。

 人助けをしたと思ったら、人に繋がれるのは頑なに拒み、それでも人が気になるらしい。

 なにを考えているのかわからない、みすぼらしいけれど美しくもある野良犬。

 不思議と心に引っ掛かるものを意図的に無視して。

 斜羅(しゃら)の街に着いたとき、するべきことを私は頭の中でまとめるのだった。

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