二百八十一話 GO EAST
首都の河旭(かきょく)を守る、長大な城壁。
その南東の角を舐めるように沿う道を、私たちは馬で移動している。
「アホ盗賊どもめ、南で起きた騒ぎに浮かれて便乗しただけのようだな。ろくな情報も持っていなかったとは、無駄な時間を使わせてくれる」
ずいぶんとおかんむりの翔霏(しょうひ)さんがボヤく。
今は盗賊たちを樹に縛り付け、襲われていた二人を河旭の南城門まで送り届けた後になる。
私たちは浪費した時間を取り戻すように急いで、神台邑へと向かっている。
道すがら、迂闊にも詳しく聞き忘れていたことを、改めて確認。
「想雲(そううん)くんに聞きたいんだけど、軽螢(けいけい)と一緒に神台邑(じんだいむら)で作業に掛かるのは、総勢何人くらいかわかる?」
想雲くんは首都での遊学が功を奏し、文武双方の官僚に「有望な若者」と可愛がられている。
ために、その辺りの情報に詳しいのだ。
「軽螢さんの仲間の少年たちが二十人前後、初期工事に参加するはずです。監督、補佐役の武官が四、五人ほど邑に詰めると言っていたでしょうか。それに加えて翼州(よくしゅう)の住民から、工事夫を状況に応じて雇うことになると思います」
「本職の武官さんは、五人足らずかあ」
仮に悪いやつが徒党を組んで邑を襲ってきたら、ひとたまりもない。
そりゃそうだ、普通はなにもない邑を襲ったりしないから、警備の手だって薄いわ。
姜(きょう)さんの指図で神台邑にちょっかいを出されると考えた場合、拉致誘拐が一番怖いし、可能性として最もあり得るだろう。
軽螢たちを死なせてしまっては牽制の脅迫として意味を成さないし、私と翔霏がその瞬間に獄炎アンド猛吹雪の復讐鬼と化して大暴れするのは目に見えている。
だから危険な刃傷沙汰は起きない、姜さんも起こすつもりがない、と思うのだけれど。
これも私の希望的観測であり、事態がどう推移するかはまだ予測がつかないんだよな。
「あ、それと央那さん」
「なにかな。良い方向に働く情報なら大歓迎」
そう美味い話がポンポンと出てくるわけもないけれど。
「宦官の銀月(ぎんげつ)さまが、工事指南のお役目で軽螢さんたちと一緒に向かっているはずです」
あら、意外な名前が出てきたわね。
「そっか、銀月さんのお父さんは元々、工兵さんだっけ。だからそっちの分野に詳しいのか。きっと後宮にいる博柚(はくゆう)さまが、連絡役として派遣したんだな」
博柚さまのご実家である兆(ちょう)家は、軍の工兵部隊と繋がりが深い。
おそらく私が知るよりずっと前から銀月さんとも懇意にしていたんだろう。
「改めて、一口に宦官と言っても実に様々いるものだ……」
翔霏が複雑な笑い声で、人材の多様性に感心した。
私もはじめて巌力(がんりき)さんを見たときには、そりゃあビビりましたとも。
宦官という存在に不気味な先入観と偏見を持っていた私を、明るい世界に招き入れてくれた彼らの存在には、どれだけ感謝しても足りないくらいだ。
「と、ところで央那さん」
「なにかな少年」
私が幸せな物思いに軽く耽っていると、想雲くんから質問が来た。
「つまるところ、いったいどうして除葛(じょかつ)宰相代理は、反乱などをけしかけたのでしょう。僕の見識が浅いからかもしれませんが、到底、上手く行きっこないと思うのですが」
「さっすが、司午家(しごけ)の御曹司、冴えてるねえ。その通りだよ」
私が説明するまでもなく、想雲くんは真相の半分以上まで辿り着いているようだ。
姜さんが南部三州を巻き込んでまで勃発させたこの反乱暴動。
多くの人に衝撃を与えたであろうその行動が、しかしながら建設的未来などもたらさないことを、姜さん自身もきっと理解している。
と言うか、わかっててやってるはずだ。
その部分的要素を、翔霏が的確に述べた。
「国の在りかたや王朝に不満のあるやつらなど、そもそも多くいるはずもない。今まで国の内外をあちこち飛んで回ったが、皇帝陛下や朝廷に明確な悪意や敵意を持っている連中を見たことがないからな」
「だよね。私たちは尾州(びしゅう)に行ったことがないから、その辺の詳しい事情はわからないけど。他の地域はみんな、多かれ少なかれ陛下のことも朝廷のことも、尊重して敬ってるもんね」
反乱の火種に油を注いでも、その油はあっと言う間に尽きるのだ。
それなりに平和で豊かなこの国は、反乱の芽が出たとしても雑草を払うように、あっと言う間に鎮圧されるに決まっている。
むしろ姜さんは積極的に不穏な勢力を潰して回っていた側なので、それがわからないはずはない。
だからこそ、自ずから湧き出る疑問を、想雲くんは口にする。
「それを承知していながら、なぜ今回のようなことを……?」
お姉さんぶった私は、未来の想定を小出しにして、彼を答えに導く。
「反乱軍は討伐されるとして、国の正規軍から攻撃を受けた反乱軍は、どこへ行くと思う?」
「それは……国内に居場所がなくなるのですから、国境を越えて逃げて、外の国へ向かうしかないのでは」
「うんうん。じゃあ、昂国から一番簡単に逃げられる外国ってどこだろうね?」
少し考えた想雲くんは、自信なさげに答えた。
「北方の、戌族(じゅつぞく)たちの地域、でしょうか」
その解答に私は満足げな笑みと頷きを返して、讃えた。
「百点満点! 想雲くん、きみもめでたく魔人や狂人の世界に一歩だけ、足を踏み入れたよ!」
「えぇ……」
微妙な顔をする想雲くんをよそに、翔霏が「あぁ……」と忌々しげな納得の呻きを漏らし、言った。
「あのモヤシめ、反乱勢力の暴徒をまとめて北方に連れて行って、突骨無(とごん)の治める白髪部(はくはつぶ)の地を荒らし回るつもりなのか。そこまで頭がおかしいやつだったとは……」
翔霏の言う通り、姜さんの本当の目的は国内で反乱を起こすことではない!
血気に逸ったろくでなしどもを大量に引き連れて、北方勢力をぐちゃぐちゃにするつもりなんだ!
私はそれに加えて、最悪の事態を二人に言って聞かせる。
「いくら無頼の反乱軍でも、この国の人たちには違いないからね。下手するとそれがきっかけになって、昂国と白髪部の間で全面戦争が起こるかもしれない。そうなったらまだ足場を固めきってない突骨無さんが、圧倒的に不利だよ」
私の説明を聞いて、想雲くんも思い出したように続けた。
「父上からも聞きました! 除葛軍師は病的なまでに、白髪部の勢力が伸長することを警戒していたと! まさか、よもやそれだけのためにこんな手を打って来るなんて……!!」
まるで意味が分からんぞ、と言わんばかりに想雲くんが愕然とする。
ええもう、私ですら理解できないよ、あの人の頭ン中だきゃぁ。
皇帝や朝廷に北伐をいくら進言しても、聞き入れてもらえなかったからって。
「自分でバカ軍団を率いて、自分が謀反人になってまで戌族をブッ叩きに行きたいなんてなあ……」
ホント、どうしてそうなった。
なにが彼を、そこまでさせるんだ?
いや、それは考えるまでもないか。
「魔人と呼ばれる男にそこまで買われているとは、突骨無のやつも案外、喜ぶんじゃないか?」
「あの人、調子いいからね。おだてると樹にも登りそうな感じだし」
そう、なんだかんだ突骨無さんは、仲間たちに上手く担がれて、立派な親分になるのだろう。
だからこそ、姜さんにとってそれが「我が国の脅威となり得る」と考える、十分な材料になってしまうわけだ。
私たちはそんな話をしながら州の境を越えて、翼州(よくしゅう)の地を踏んだ。
まだまだ北辺国境近くの神台邑までは距離がある。
走り詰めで満身創痍の状態を癒すため、そして移動中の食料水分を確保するために、途中の街に寄って小休止。
先を急ぎたい心を抑えて、休むときは休まなければ、知らない間に力尽きて倒れちゃうからね。
「体全身がバッキバキだよ。お風呂に入りたい」
「あっちに湯気と煙突が見えるな。行ってみよう」
私と翔霏が盛り上がる後ろを、頬を染めながらおずおずと想雲くんがついて来る。
なんだろ、女性と一緒に銭湯に行くのが恥ずかしいのかな?
別に混浴ってわけでもあるまいし、そんなことをいちいち気にせんでも。
と思って、街の中でも賑やかな通りを進んでいたら。
「さあさあ張った張った! 張って悪いはかかあのケツと言いますが、なあにそれも張ってもらって一向に構いやしません。ほれそこのお兄ちゃんも、一儲けして気になるカノジョに土産でも買って行ったらどうだい?」
なにか、怪しげな口上を並べる呼び込みに、ふと気を取られてしまった。
路肩に座り込んで商売? いやあれは賭博か、そんなものをしているおじさんのようだ。
「闘鼠(とうそ)か。ごろつきやヤクザものの商売だ。相手にするなよ」
じろじろ注目して観察している私に、翔霏が注意する。
なるほど、盆の中に飢えたネズミたちを放り込んでエサを奪い合わせる、動物虐待的な賭け事か。
河旭の後宮では虫を競わせる遊びがそれなりにメジャーだったな。
興味を惹かれるけれど、のんびり遊んでるヒマもないしスルーでいいか。
と、思っていたら。
「おっしゃ! 俺はせっかくだからこの赤いネズミに賭けるぜ!」
「メエェッ!」
どこかで聞いたような声が、バカ二つ分。
なにが「せっかくだから」だよ、前後の文脈がないだろう、と言語文法に厳しい私は心の中で激しく突っ込む。
「軽螢さん、こんなところでなにをしているんですか……」
とても情けない状況を目の当たりにした感想を、呆れた声で想雲くんが発した。
「あ、あれっ!? なんでお前らこそ翼州にいるんだ!? 南に行ったんじゃなかったンかよ!?」
「メェ! メェ!?」
むしろ私たちの方が非難されている勢い。
はー、と溜息を吐いて、翔霏が嘆いた。
「お前は本当に、私たちが見ていないと遊び呆けるばかりなんだな……」
「う、うるせーな! いいだろ少しは息抜きしたって! いきなり出てきて説教とか鬱陶しいんだっつーの! 二人こそ早く南部に戻って畑の勉強してろよ!」
と、このようになにも知らず遊んでいる軽螢を確保した私たち。
これから起こりそうな良くないことを説明しつつ、休息を挟んで再び神台邑へ急ぐ。
「姜さんの目的地は十中八九、突骨無さんのいる白髪部の領域だ……」
そこへ至るまでの間、果たしてなにができるだろう?
眠りの間も私は、夢の中であらゆる可能性と道筋を描き、何度も何度も戦い続けた。
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