二百八十話 宣戦、布告
尾州(びしゅう)、蹄州(ていしゅう)、そして腿州(たいしゅう)。
昂国(こうこく)の南半分を占める四州のうち、三つもの州で同時多発的に暴動が発生した。
南部へ至る関所は固く閉ざされている。
農業研修の続きで相浜(そうひん)の街に戻る、どころの話ではなくなってしまった。
「麗央那、大丈夫か? これからどうする?」
黙りこくって考え込んでいる私に、翔霏(しょうひ)が心配そうな顔で声をかける。
私は掌を軽く上げ「もうちょっと待って」と目線ジェスチャーを示し、さらなる思索の海へと潜る。
「こういうときは、アレだな」
妙案を思いついた私は、両手の人差し指をぺろりと舐めて唾をつけた。
その指で自分の左右のこめかみをぐりぐりと押し回し、その場に胡坐をかいて、両手のひらを上に向けて合わせ、瞑目する。
「ぽく、ぽく、ぽく、ちーん」
脳内木魚と鐘の音を口ずさみ、私の心は空の領域へ。
突然の奇行に、想雲(そううん)くんが戸惑いの声を寄越す。
「ど、どうしたのですか央那さん? やけになってしまったのでは……?」
「慌てない慌てない。一休み一休み」
考えろ、北原麗央那。
チンケな私にできることはそれだけだろ?
なぜ今になって、腿州を一時的に私が離れたタイミングで、各地の暴徒は蜂起したのだ?
いや、なぜこの時期に、姜さんはことを起こし始めたんだ?
そこを考えれば考えるほど、自惚れとも自負ともつかない、私という女への複雑な自他評価が思考に混じるのを感じる。
「姜さんめ、なんだかんだ私にウロチョロして欲しくないんだな。海の上で一泡吹かせたのがこういう形で繋がって来るのかぁ。根に持つ男ってやあねえ」
一つだけ、鍵は見つけた。
私は想雲くんと翔霏の顔を順に見つめ、決まった方針を告げる。
「神台邑(じんだいむら)に行こう。南部も心配だけど、鶴灯(かくとう)くんやシャチ姐なら、なんとかしてくれると思う。あの人たちはいざとなれば海に逃げられるから」
翔霏はそれを聞いても、まだ疑問が残るようでこう言った。
「邑に行くのは良いが、暴徒が、というのはどうする? また覇聖鳳(はせお)のときのように、都や皇城が狙われたりしないのか? どうせ通り道だ、念のために様子を見ても」
「その必要はないよ。河旭(かきょく)の街に危害を加えるやつはいないか、いてもまだ少数だと思う。私たちが無視しても検視(けんし)さんたちが対処するから、大丈夫」
きっぱりと言い切る私。
その様子から翔霏も納得してくれたのか、頷いて神台邑行きを承諾してくれた。
「そこまで言うのなら、麗央那には確かな考えがあるんだろう。なら神台邑へと急ぐか」
「うん。申し訳ないけど想雲くんも一緒に来てるくれるかな? ひょっとすると大事なことを頼むかもしれないから」
急な展開について行けない想雲くんは、明確にオロオロアワアワして、不安を口にする。
「で、ですが僕は一度、司午(しご)別邸と朝廷に戻って指示を仰いだ方が、と……」
「気にしなくていい! そっちのことはそっちの人たちが上手いことやってくれるから! むしろ私たちが、きみにいてくれないと困るの!!」
面倒臭いので一喝。
「は、はいっ! ご一緒させていただきます!」
「よろしい。では行くぞ、いざ神台邑へ!」
ごめんね、ここでああだこうだと議論するつもりは私にはないのだよ。
とにかく黙ってついて来い、理由は道すがら説明してやる!
私たちが踵を返し、東の翼州(よくしゅう)へ向けて出発しようとすると。
「ま、待たれよ女官どの、我らはどうすれば……?」
亭長をはじめとした関所の武官さんたちが、置いて行かれる子犬のような目で私を見ていた。
私に聞かれても困るけれどねえ、そんなこと。
一応、言うだけ言っておきましょうか。
「朝廷からの連絡が、おいおいやって来ると思います。それまで固く関所を閉じておいてください。もしもそれより先にならずものたちが押し寄せて来たら、関所に集まっているみなさんを避難させつつ、一緒に北へ逃げてください。変に抵抗しない限りは、相手もそこまで乱暴してこないと思います」
ただの通り道だからね、ここは。
と言う説明はいちいちしない。
突っ込まれたら答えるのに時間がかかっちゃうからね。
「か、かしこまりました! おいみんな聞いたな!」
彼らが慌ただしく仕事に戻る中、私たちはハイヤと馬をけしかけ、元来た道を戻る。
私は同じ馬の前に跨る翔霏と、隣を走る想雲くんに、今わかっていることを言って聞かせる。
「こんなのちっとも自慢じゃないけど、姜さんは私に邪魔されるのを嫌がってる。私はなんだかんだ、少しはあの人に注目されちゃってるんだ」
その見解に翔霏が同意を返した。
「今までのことを考えると、そうだろうな。翠蝶(すいちょう)さまが眠っていたときも、東海の海賊退治のときも、麗央那がいたせいでモヤシは計画を十全に達成することを妨げられた。やつにとっては両方とも、不本意な結果に終わった策だろう」
想雲くんも、確かに、と言う顔で首肯した。
彼は翠さま昏睡事件のときに私の側にいて、一緒に銀龍の背に乗った仲だ。
父である玄霧(げんむ)さんからも、姜さんに関する情報をいくらか聞いているに違いない。
二人が理解してくれていることを確認し、私は続ける。
「だから姜さんは私の動きを止めた上で、自分の計画を思う存分に繰り広げたいと思ってる。なら私の動きを止めるため、一か所に釘付けにする作戦で、一番現実的で効果的なのはなに?」
私の問いに、想雲くんが真面目な顔で考えをめぐらす。
「叔母上と皇子殿下のいる皇城は多くの武官に守られていて、首都の治安も乱れてはいません。央那さんの言う通り、賊が来たからと言って、今すぐどうなるものではないですね」
その言葉を翔霏が繋いだ。
「なら残るは、神台邑しかない」
その通り、さすがはソウルメイト。
「正解っ。軽螢(けいけい)や翼州の少年たちが、無防備丸裸の神台邑で土木作業を始めようとしてる。彼らを人質に取られたら私は身動きができない! 姜さんなら絶対にそこを狙ってくる!」
私の叫びを聞き、翔霏が舌打ちを鳴らす。
「虎の尾を踏んだな、モヤシ野郎。私たちを本気で怒らせたらどうなるか、今度こそ思い知らせてくれる。倍返しでは済まんぞ!」
怒りに任せて、馬をおっつける翔霏。
こうなると南部に行こうとして引き返した無駄な道のりと時間の浪費が、いよいよ洒落にならず痛くなってきた。
翼州の北辺近くにある神台邑まで、急いで向かってどれくらいかかるだろう?
必死に食らいついてくる想雲くんが、当然の疑問を叫んだ。
「そ、そもそも除葛(じょかつ)宰相代理が、なぜ謀反など起こすのですか!? 央那さんはそこに心当たりがあると!?」
「話すと長くなるけど、どうせ長い道のりだし、知らせておこうか。それはね……」
私が教えようと言葉をまとめているとき。
「麗央那。話の途中だが、良くない報せと悪い報せがある」
「どっちもダメじゃん! とりあえず良くない報せから教えて?」
「行く道の先から悲鳴と騒ぎ声がする。複数人だ」
「じゃあ、悪い報せは?」
答える前に翔霏は、腰に提げていた紐状の武器を構える。
細い革紐の先に鉄の分銅、要するに錘(おもり)を結びつけた、翔霏の新しい得物だ。
東の海で縄スウィングの船渡りをして以来、便利さを気に入っているらしい。
もちろん威力をつけた分銅で殴られたら、痛いでは済まない。
「襲われている人の声と、襲っている連中の下品な声が聞こえる。襲われているのは来る途中にすれ違った二人組だろう。通り魔か物盗りの類だな」
別々の話題じゃなく、ただの細かい説明だねそれ。
「最短最速でやっつけて! 助けないと!」
「わかってる! 間に合うか……!」
さらに加速した私たちは、騒動の現場へと急ぐ。
こういうことの積み重ねが時間を食っちゃう理由になるけれど、まさか見捨てるわけにもいかないからね。
「……怖がるな! 巌力(がんりき)さんに教わったことを思い出せ! 危ないときこそ、前に飛び込むんだ!!」
決意と共に腰の剣を抜いた想雲くんが、後ろから続く。
いつの間にか頼もしい男の子になっちゃって、おねえちゃんは嬉しいよ。
って、誰が姉か。
相手の人数次第だけれど、きっと想雲くんの出番はないと思うよ、とは言わない。
なんて緊張感のないことを考えていると、視界の先に人が集まっているのが見えた。
「嫌ぁ! お願い、離してーーーッ!」
「後生だ! 頼むから彼女だけは……あぐっ!」
どうやら悪者たちは、男性の身ぐるみを剥いでボコした挙句、女性を連れ去ろうとしているらしかった。
「命乞いは聞かんぞ! どうせすぐに口が聞けなくしてやる!」
見事に馬を操縦したまま、翔霏が片手で紐分銅を振り回し、暴漢の一人に投げつける。
「おお? またカモが来たか……ってぐべぇ!!」
のんきなことを言っていたバカの下顎が粉砕され、地面をのた打ち回った。
「情報が欲しいけど、無理そうならどうでもいいよ!」
「ああ、覚えていたらな!」
こんな連中を相手に、遣うための気心などない!
馬から飛び降りた翔霏は、暴漢たちに回転蹴りと分銅スウィングの合わせ技を見舞う。
「グワーーーーーーーーーーーーーッ!!」
「な、なんだコイツ!? ひぃぃこっち来るなごっべぇ!!」
冬が終わっても吹雪は荒れ狂うのだとばかりに、眼にも止まらぬ速さで敵をバタバタと薙ぎ倒す。
一般通過盗賊ごときじゃ、翔霏にとって遊び相手にもならないな。
「央那さん! 身を僕の陰に!」
「ありがとぅー。頼りにしてるよ」
若者は褒めて伸ばす方針。
馬が逃げないように、綱を樹に縛っているその間で、翔霏は合計六人のバカどもを昏倒させていた。
襲われていた男性は上着を剥ぎ取られ、怪我もしているけれど命に別状はなさそうだな。
「おい、死にたくなかったらこの人たちから盗んだものを出せ。さっさとしろ。こっちは急いでて気が立ってるんだ」
「あわ、あわわわ……お助けぇ……」
涙とおしっこを漏らしながら、盗賊たちは息も絶え絶えのていで盗品を地面に並べる。
想雲くんがそれを回収して、襲われていたカップルに返却した。
「ご安心ください。僕たちは公務の……軍関係のものです。河旭(かきょく)に戻るご予定ですか?」
想雲くんも「スキル・方便」の使い方がわかってきたようだね。
すっかり怯え切ってしまっている男性の方が、コクコクと無言でうなずく。
どうやら口の中を怪我してしまったようで、喋るのがきつそうだ。
もう一人、落ち着きを取り戻しつつある女性が、詳しい話をしてくれた。
「腿州(たいしゅう)の相浜(そうひん)にいる知り合いから、夏が来る前に遊びにおいでって言われたの。けれど来るはずの追加の連絡が来ないから、向こうでなにかあったのか心配になって……」
「今は行かない方が良いです。河旭まで送り届けますから、身内の方やお知り合いにもそう伝えてください」
私の話を聞いた女性は。
明るい解答を期待するような、縋る目線で、こう質問した。
「あの豊かで穏やかな南部で反乱なんて、嘘でしょう? 私が物心ついて以来、そんな話は聞いたことがないわ。この国は一体どうなってしまうの?」
この国がどうなる、か。
自信を持って、私は答える。
なんの形も意味も内容もない言葉。
けれど、私の心の奥底に、頑として存在する未来を。
「なんとかなりますよ。いいえ、なんとかしてみせます。ご安心ください」
私も大好きな、昂という美しくも勇ましい名のつくこの国のため。
さあ、史上空前、最強最高の愛国者よ。
「私の『好き』とあんたの『好き』の、どっちが勝つか。決着を付けよう、姜さん」
瞼の裏に浮かぶのは、慣れ親しんだ木造五階、叡智の砦、中書堂。
妹弟子の私は、巨大な兄弟子へと宣戦布告を心の中で告げた。
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