二百七十九話 魔人、麒麟の如く疾く
楽しい河旭(かきょく)滞在の日にも終わりが訪れる。
「んじゃな、二人とも。先生と奥さんによろしく」
「メェッ」
軽螢(けいけい)、ついでにヤギとはいったんここでお別れ。
元々なし崩し的に籍(せき)先生のところに居候していただけで、軽螢は南部農業研修の人員にカウントされていない。
軍官僚の兆(ちょう)閣下と相談した結果、軽螢は早めに現場に入った方が良い、という判断になった。
翼州(よくしゅう)の軍人さんたちと一緒に、神台邑(じんだいむら)に水濠(すいごう)を新しく掘ったり、防壁を建てたりする工事が待っているのだ。
くそう、頼もしいじゃないか、軽螢のくせに生意気だぞ。
「みなさんに迷惑かけないようにな」
「相浜(そうひん)に着いたら手紙出すね」
「おーう、任せとけーい」
翔霏(しょうひ)と私の言葉に手を振って返し、軽螢は軍人さんと一緒に東の街道へと去って行った。
さて私たちは都市城門の南から出て、蹄州(ていしゅう)を経由し腿州(たいしゅう)に向かう手筈なのだけれど。
「おお、出発に間に合いましたか。これはなにより」
宦官たちの長である司礼(しれい)総太監(そうたいかん)の馬蝋さんが、汗をかきかき現れた。
お見送りのため、司午(しご)別邸まで足を運んでくれたのか。
「お忙しいのに、わざわざありがとうございます。私たちがいない間も、翠(すい)さまと皇子さま、そして中書堂のことをよろしくお願いしますね」
頭を下げる私に、ほっほっと豊かな頬の肉を上下させて、線のように細い目で馬蝋さんは返す。
「それはもちろん。拙の仕事はそれしかありませぬから。それよりも麗女史」
「はい、なんでしょうか?」
「若い頃の除葛(じょかつ)帥(すい)のことを知りたいという話でございましたな。少しばかりはお教えできることもありますぞ」
「本当ですか。ありがとうございます。どんな話でも良いので、ぜひお聞かせください」
それを伝えるために、重たい体で早歩きしてここまで来てくれたのか。
まっこと、気持ちのええ御仁じゃきに!
と、なぜか唐突に出てきた私の中の坂本竜馬も、大喝采である。
「除葛帥はかなりお若い頃から、そして中書堂を出て地方官として赴任してからも、たびたび朝廷に政策や計略を上奏しております。内容は多岐に渡りますが」
「働きものだなあ、ホント嫌になるくらい」
私の軽口に、ニコニコ頷いて馬蝋さんは続ける。
「それらを一言でまとめるとすべてが『北方の戌族(じゅつぞく)に、強力な一つの勢力を作らせてはならない』という方向性に収束されるのです」
「姜(きょう)さんの基本指針ですね。ずっと前から主張していた策だったんですか」
「さよう。もっとも分かりやすいのは『狛狼相食(はくろうそうしょく)の計』でありましょうか。青牙部(せいがぶ)の頭領が、若かりし頃の覇聖鳳(はせお)めに代替わりしたときに出された策です」
狛狼、山犬と狼、か。
覇聖鳳が青牙部のボスになった後の献策なら、尾州(びしゅう)大乱が片付いた約8~9年前の話だな。
相(あい)食(は)むという名が示す、その内容は。
「攻撃的な性格の覇聖鳳の勢力を、阿突羅(あつら)さん率いる白髪部(はくはつぶ)にぶつけるように仕向ける……要するに、二匹の獣を共食いさせる策ということですか?」
「その通りで。除葛帥は青牙部と白髪部の間に怨恨を焚きつければ、勝手に両者は喰らい合うと予測しました。しかしながら当時の帝(みかど)も百官も、無用に北方を刺激することを恐れ、その策を採用することはありませなんだ。もし策が露見して、阿突羅大統の怒りを買うのは国益に害である、と」
話を聞いて、翔霏が重苦しい空気を出したのがわかった。
もしも姜さんの策略が当たり、覇聖鳳の矛先が神台邑ではなく、白髪部に向いていたら。
私たちの邑は、焼かれずに済んだのかもしれない。
けれどその代わり、回り回って白髪部のどこかの邑が燃やされ、滅ぼされたのだろう。
その後に展開される報復合戦により、確かに両勢力は大きく疲弊するに違いない。
喧嘩をけしかけられたと知った阿突羅さんが、昂国を攻撃し出すと泥沼だけれど、バレなきゃ昂国の一人勝ちもあり得る。
馬蝋さんは翔霏の顔色に気付かず、話を続けた。
「かような策をいくら建言しても朝廷から取り上げられないことに、除葛帥は忸怩たる思いを抱えたのでありましょう。以後はご自身の裁量と権限を駆使し、独自に北方へ干渉するようになりました。先帝が身罷られてから、その度合いはますます濃くなったように拙には思えまする」
「そうだったんですか……」
貴重な教えを提供し、馬蝋さんはお城へ戻って行った。
沈痛な表情で翔霏が吐露する。
「あのモヤシはモヤシなりに、昔から本気で国のことを考えていたんだな。その配慮が及ぶ人間と及ばない人間に、やつなりの明確な区別があるようだが」
それを聞いても、私はなにも気の利いたことを言えなかった。
少しばかりのボタンの掛け違え次第で、姜さんは神台邑を救っていたかもしれない。
この考えを素直に認めるには、私たちはまだ若すぎたのだ。
「ごめんね想雲(そううん)くん。わざわざ遠いところまで」
「いえいえ、たまには僕もお出かけしたいですから」
州の境が近付く。
河旭の司午別邸からここまで、想雲くんが同行して送ってくれたのだ。
峠の関所を越えてまずは蹄州に入り、そこから「良河(りょうが)」と呼ばれる大きな川を下って、腿州の相浜へ。
あと半年の研修を終えた頃には、また河旭へ報告に来る段取りになっている。
しばしの別れでも、寂しくないさ。
「土産選びを手伝ってくれて助かったよ。鶴灯(かくとう)のやつも喜ぶだろう。あいつは意外と、舌が肥えてるからな」
翔霏が言ったお礼の言葉に、想雲くんの顔が一瞬、固まった。
「い、いえ、それほどのことは。あの、翔霏さん、か、鶴灯さんという方は……?」
「相浜の街で知り合った……まあ、仕事仲間だ。いろいろと細かい面で世話になっているからな。土産くらいは奮発してやらないと」
一方で翔霏は、想雲くんの変化に気が付かない。
「そ、そうですか。お仕事の、お仲間、ですか」
「正確に言えばあいつの仕事は畑いじりではなく、船乗りなんだが。なにかと勝手の分からない港街のことを詳しく教えてくれているんだ。お母さまも素敵な人でな」
「おお、お母さまにも、お会いになって……」
想雲くんの顔色が、とうとう土気色にまでなってしまった。
罪な女よのう、翔霏ってば。
「別におかしい話ではないだろう。同じ街で暮らしているんだ。挨拶くらいはする」
翔霏の話す他愛のない世間話すべてが、知らず知らずのうちに想雲くんの表情を強張らせて、弱らせていくのであった。
気を落とすな、少年よ。
若いという字は、苦いという字に似ているんや。
と、謎の上から目線で二人のやりとりを生温かく見つめていると。
「今は南部に行かない方が良いみたいだね……」
「ああ、街のみんなにも知らせよう」
道で私たちとすれ違った馬上の二人組が、そんなことを言いながら慌てるように去って行った。
「なんだろ、今の。なにか事故でもあったのかな。困るゥ~」
不安に思う私に、想雲くんが返す。
「とりあえず関所まで行ってみましょう。そこに詰めている州兵が、なにか知っていると思います」
「そうだな。まず状況がどうなっているのか確かめなければ」
翔霏も頷き、お馬ちゃんのスピードを上げる。
関所が近付くにつれて、道には人の姿が多くなっていった。
しかもみなさん一様に、進むべきか、帰るべきか、不安げな顔でウロウロしながら話し合っている。
なにか良くないことが起きたのは間違いなさそうだな。
そんなことを考えながら高山(こうざん)の南東にある、峠の関所に到着。
「通してくれよー! 大事な仕事があるんだ!」
「南部の知り合いが病気でさあ。薬を届けに行きたいのよ、どうにかしてくれない?」
閉ざされた関門の前に、人だかりができている。
どうやら通関を拒否されているらしい。
門衛さんに要求を叫ぶ人たちが、おしくらまんじゅうのように密集して詰め寄っていた。
「僕が少し聞いて来ます。お二人は待っていてください」
そう言って馬を下りた想雲くん。
困った顔で民衆を跳ね返している門衛のお兄さんに、努めて穏やかな声色で訊ねた。
「お役目ご苦労さまです。自分は角州(かくしゅう)左軍正使、司午(しご)玄霧(げんむ)の家のものですが、この騒ぎはどういったことでしょうか?」
若いのに落ち着いた想雲くんの様子に、門衛さんが少し驚く。
もちろん「予想外にいきなり偉い人の名前が出て来た」という意味もあるだろう。
邪険にしていい相手ではないと思ったか、門衛さんも丁寧に答えてくれた。
「……まだ、詳しく調べている最中ですが、蹄州(ていしゅう)の街道沿いに暴徒の集団が現れた、という情報があるのです。安全が確保されるまでは、申し訳ありませぬが軍人、官人以外の方は関門をお通しできませぬ」
「暴徒……? 一揆かなにかでしょうか?」
想雲くんが確認した問いに、渋面を作って門衛さんは首を振った。
「はっきりしたことは、まだ、なんとも。とにかくみなさま、安全のために蹄州に立ち入ることはお控えください。どうか山越えのような無茶無法もなさらぬようにお願いします」
平和で豊かなあの南部で、暴動か。
私の横で翔霏が面倒臭そうにボヤく。
「せっかくここまで来て、河旭まで引き返したくないぞ。バカな物盗り集団くらい、私がいくらでもブチのめしてやるから、さっさと先に行かないか?」
「うーん、正直それも悪くない、けどね……」
気になることがあるため、その案は保留。
私は腹の中に思惑を抱えて門衛さんの側に近付き、他の群衆に聞こえない小声で尋ねる。
「暴動が起きてるの、蹄州の大路沿いだけじゃないでしょう?」
「な……!?」
図星だったのか、門衛さんは瞳をぎょろりと剥いて私を見た。
なにものだコイツは、なぜそれを知っている、という顔をしている。
ふふふ、知らずば言って聞かせやしょう。
見た目は小娘、頭脳は狂人、その名も名探偵れおれお!
と、楽しんでいる場合ではないので真面目な体裁を取り繕い、私は門衛さんに告げる。
「私は朝廷の工兵部長官、兆(ちょう)閣下の命を受けた女官で、麗と申します。他の人たちに聞かれないよう、門衛さんの詰所でお話をしたいのですけど、よろしいですか?」
私は胸元からちらりと兆閣下の印が押されている人事書類を見せる。
軍務関係者であるというハッタリだ。
厳密に言えば本当に関係者なんで、嘘をついてるわけじゃないのだけれどね。
ただの農学生とバレたら話が進まないので、こうせざるを得ない。
「工兵部の……! わ、わかりました。こちらへどうぞ」
「翔霏、想雲くん、行こう」
二人に声をかけて、私たちは兵隊さんの詰所にお邪魔する。
おそらくここの関所に勤める人たちは、すでにもっと詳しい情報をいくつか得ているはずだ。
けれど群衆に対してそれを正直に話すと混乱が拡大してしまうので、大っぴらには言えないのだ。
詰所の中には、ここの責任者であろう年配の武官が中央にいた。
他の若手武官に囲まれて、苦い顔で腕を組んでいる。
「亭長(ていちょう)、工部兵部の兆閣下のご使者という方がいらしておりますが……」
「おお! 本朝(ほんちょう)のご内務から連絡か! ささ、どうぞこちらに……ぁあ?」
私たちがあまりにもチンケな若者だったので、亭長と呼ばれた上役さんは喜びの顔を一瞬で消し、口と目を半開きにした。
彼以外のみなさんも、怪訝な顔で私たちを見つめる。
私は詰所の中をくるりとひと眺めして、こう言った。
「暴徒の集団は蹄州だけでなく、腿州(たいしゅう)でも出現しているのでしょう。民間人や素浪人だけでなく、おそらくは州の軍人の中からも、暴動に加わっているんじゃないですか?」
私の言葉に一瞬だけ唖然とした亭長さんは、すぐにカクカクと連続して首肯した。
「そ、その通りで。今までそんな気配をおくびにも出さなかった南部二州で、まるで示し合わせたように、街や砦、軍基地の打ち壊しが起こっているのです!」
その言葉を聞き、私の胸の中に一気に不快感と、無力感が押し寄せた。
「やっぱりかぁ……クッソ、油断した。また先手取られちゃった」
断腸の思いで頭を掻き毟り、私は呟く。
力弱く、けれどみんなにはっきりと聞こえるように。
次に起こることは、私だからこそ、予見できるのだ。
「もうじき、西南の尾州(びしゅう)方面からも、早馬で連絡が来ます。悪い報せです」
「尾州? い、今起きていることに、なにか関係があるので?」
焦り戸惑う亭長さん以下、砦の門衛さんたちへ教えるのは。
「尾州旧王族の除葛氏(じょかつし)が、民衆を巻き込んで暴れ始めます」
はーあ、と深呼吸して。
詰所の天井を見ながら涙をこらえ、続ける。
「内乱が起きました。尾州大乱の再来が。今回は蹄州と腿州まで巻き添えにして」
私が言い終わった、ちょうどそのとき。
体を泥だらけ、顔を汗まみれにした武官さんが、詰所に駆け込んで、叫んだ。
「び、びび、尾州各地で庶民、官人問わず一斉に蜂起! 謀反、謀反にございます!!」
翔霏と想雲くんが、驚愕唖然として私を見る。
私はとりあえず、この身近な二人に謝ることから始めよう。
まずは自分のできることから、一つずつ。
「ごめんね。ちょっとは予測してたけど、さすがにないかなと思ってさ。だって普通こんなことしないじゃん?」
自分の台詞に、自分でおかしくなる。
あいつは、そもそも普通じゃねーんだわ!
ちっくしょお~~~~~~~、こう来たかあいつめ~~~~~~~~~!!
「……麗央那、どういうことだ?」
翔霏の質問に、私は答えたくなかった。
だって言葉にしちゃえば、それは確定してしまうから。
曖昧なまま、知らんぷりしてやり過ごしたかった。
けれどそれじゃ、ダメなんだよなあ。
観念して紡ぎ出す、私の口から出てきた答え。
「姜さんが仕掛けたに決まってるじゃん。これがやりたくて、姜さんは南部で人気取りに励んでたんだよ。あンの腐れモヤシめ~~~~~」
周りで聞いていた全員が、言葉を失った。
私の頭の中だけが、色んな声と想いでやかましかった。
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