二百八十二話 おかわりは要らない

 軽螢(けいけい)とヤギ助を途中の街でピックアップし、引き続き神台邑(じんだいむら)へ急ぐ私たち。


「へえ、末っ子ちゃんをぶっ潰したい痩せ軍師さんが、反乱軍を引き連れて北方に? なんかもうわけわかんねえなコレ。なにより中州の先生たちが心配だぜ」

「メェ~……?」


 世間のニュースと私たちの推論を聞いた軽螢が、実に素朴で的確な感想を述べる。

 背景情報を補足するため、私なりにもう少し詳しく説明しておこう。


「この蜂起を準備するために、姜(きょう)さんは南部の海賊討伐に本気で取り組んだんだと思う。水軍の中から自分の同調者を集められるし、外国の罪人を解放したのも、恩を着せて自分の手ごまを増やせるから」


 私の言葉を聞いた翔霏(しょうひ)が心底嫌そうな溜息を吐いて、言った。


「義侠気取りの大バカ男も、おそらくモヤシに完全に丸め込まれた連中の一人だろうな。またあんな面倒臭いやりとりを繰り返さなければならないのか……」


 南川無双、柴(さい)蛉斬(れいざん)のことだ。

 彼と彼のお仲間、蹄湖(ていこ)四鬼将たちも、海の上で会った雰囲気からして姜さんに絶対服従だろう。

 多少の不穏分子がいても、姜さんはあっさり始末しちゃうだろうし、実際そのようにした現場を私たちも見た。

 なんだかあの集団は、恐怖だけではないなにか別の魔法じみた力で、姜さんに心酔している雰囲気があったんだよな。

 経験や知識からもたらされる人心掌握術なのか、私の知らない異能の力が姜さんには備わっているのか……。

 成り行きで一緒に行動させてしまっている想雲(そううん)くんが、不安げな顔で問う。


「央那さんを警戒しつつも、除葛(じょかつ)軍師は央那さんに対し、今まで決して深刻な被害を与えようとしてはこなかったのですよね?」

「そうだね。どっちかって言うと『なにもせずに大人しくしているように見張られ続けてた』ってのが正解に近いかも」


 その話を聞いた想雲くんは、ふと真剣な顔で考え始めた。

 あれ?

 その表情がまるで父の玄霧(げんむ)さんにそっくりだったので、少し驚いてしまった。

 いや、親子なんだから、似てて当たり前なのだけれど。


「央那さん、その、気を悪くしないで聞いていただけますか。決して他意はないのです。純粋な疑問でしかありませんので」

「回りくどいこと気にしないで。なんでも言ってよ」


 父の玄霧さんも、理論を越えた勘所に鋭い人だった。

 彼が深く疑問に思ったことは、いつも事件の中核、本質に深く迫る情報だったのだ。

 そっくりな目つきで謎を追い詰め、暴こうとする想雲くんが言ったのは。


「そもそも、どうして除葛軍師は央那さんを、まるで過保護と言えるほどに護ろうとするのでしょう? 殺そうと思えば、いつでも殺せたはずです」

「え」


 予想外のことを言われて固まる私。

 代わりに答えてくれたのは、軽螢だった。


「そりゃあ、軍師さんは麗央那のこと可愛がってるンだろうし、なにより麗央那を傷モノにしたら想雲の叔母ちゃん、司午(しご)のヒメさんが黙ってないだろ」


 だいたいは同じ見解を私も持っていた。

 私になにかあってしまって翠(すい)さまを怒らせるということは、間接的に皇帝陛下を悲しませることに繋がる。

 国家と陛下にすべてを捧げる姜さんとして、そのルートを選択することはないだろう、と。

 けれど想雲くんは、姜さんと私の関係を深く知らないからこその、先入観のない視点でこう語る。


「除葛軍師の指針と今までの行動だけを見れば、央那さんが邪魔だと判断した時点で、ただちに命を奪いに来てもおかしくないと思うんです。それこそ、腿州(たいしゅう)の中州で襲われたという件を見殺しにしていれば、罪科や怨恨が除葛軍師に及ぶこともありませんよね?」

「そう、かな。いや、確かにそうかも」


 私は中州で浪人の泉癸(せんき)さんに襲われた。

 乙さんの救助は間に合わなかったけれどそれは不慮の結果で、乙さんは私を守るために傍にいてくれた、はず。

 なにより私や翔霏があの中州でのんびりと勉強している最中、姜さんなら私たちを暗殺するチャンスはいくらでもあったはずだし、自分の仕業だと悟られない姑息な手段もいっぱい持ち合わせていたはずなんだよな。

 新鮮な視点からの疑問に私がウームと考え込む中。

 翔霏が、前にあったことを懐かしむように言った。


「いつだか麗央那が言っていたんじゃないか。モヤシが麗央那を見守る理由は、麗央那にやって欲しいことが残っているからだ、と。まだ首が繋がっているということは、他の誰にも任せられないくらいに大事な役目を、麗央那は負わされているんだろう」


 その言葉を聞いて、私は思い出す。

 白髪部(はくはつぶ)の領域、阿突羅(あつら)さんのお葬式で殺された、星荷(せいか)と号するお坊さんのことを。

 彼はきっと、途中までは姜さんたちと共闘していたはずだ。

 あの事件は強く偉大な阿突羅さんを殺して白髪部を弱めようとする姜さんの計略に、星荷が同調して実行したものだと私は考えている。

 だから星荷は、姜さんの部下である乙さんが自分を襲ったときに「裏切られた」ような驚きを見せたのだ。

 姜さんの視点に立てば、次代を継いだ甥の突骨無さんに権力を集中させようとする星荷の存在は、単純に邪魔になる。

 阿突羅さんを失った白髪部には、有力者同士が適度にいがみ合って、バラバラでいてほしいと考えていたはずだからね。

 ことが終わったら星荷を始末するのは、はなから織り込み済みな計画だったのだろう。

 翔霏の言葉に想雲くんは納得しきっていないようで、こう付け足した。


「除葛軍師は、目的の邪魔になるなら大事な仲間を排除することも躊躇わない方と聞きます。なのに今このとき、央那さんだけが特別扱いされている。そこになにか重要な意味が隠されていると僕は思うんです。負わせたい役目とはどれだけ重いのか、具体的にどんなことなのか、というのが……」


 私も彼の意見には納得するところがあった。


「なるほどね。単に目をかけてくれている以上の、なにか特別な思惑が姜さんから私へと向けられている、ってことか」


 とは言っても、複雑な気分じゃわい。

 確かに私は若干の特別な庇護と注目を、姜さんから受けている。

 けれどそれは、私たちがちょっぴり奇妙な腐れ縁だからだろうという、ふんわりした納得でしかなかった。

 さらに深く細かく考えたことがないという点で、思考停止だったなと反省。


「その話も良いけどサ、もうすぐ邑に着くぜ。えーと、まずなにをしなきゃならないんだっけ?」


 軽螢が言うように、私にも見慣れた景色が広がりつつあり、神台邑が近いことを知る。


「軽螢は、連絡もなしにいなくなってる子がいないか点呼して確認! 翔霏は邑の外、想雲くんと私は邑の中におかしなやつが紛れてないか、変なものが仕掛けられてないかを探そう!」

「わかった、気を付けろよ。なにかあれば大声だ」


 私の指示で翔霏をはじめ、みんながそれぞれの持ち場に走る。

 慌ただしく危機感を持って邑に入った私を、まず迎えたのが。


「おろ? なんでお前さんが邑に帰って来てるんだ? 反乱がどうのと言うせいで、南部に入れなくなったのか?」


 多数の荷馬車を引き連れた、商人風の優男。

 毛州が生んだ放蕩美男子、環(かん)椿珠(ちんじゅ)その人であった。

 荷物を守る番人を引き連れ、一人だけナヨっとしているから悪い意味で目立っている。


「なんであんたこそ、ここにいるんですか」

「俺は商売の途中に決まってるだろう。ここの邑にツルハシだの円匙(スコップ)だのといった道具を降ろして、それが終わったら河旭(かきょく)だ。鯨の香り石も追加で手に入ったしな。良い儲けになるぞこりゃ」


 国内で反乱が勃発しているというのに、とにかく商売が優先とは、見上げた根性である。

 言いだしっぺは私なんだけどね。

 神台邑の工事用資材も椿珠さんが手配してくれていたのか。

 そこは素直に感謝。

 どうやら名目上の責任者である、軽螢の到着を待っていたようだ。


「おーい軽螢! こっちに来てさっさと受け取りに署名してくれ! お前の名前を貰わないと次に行けないんだ!」

「うっせーちょっと待ってろ! えーと十三、十四、十五……あ、クソしに行ってたやつが戻って来たか、これで十六」


 作業に集まっていた少年たちの確認に夢中な軽螢。

 怒鳴り声を返した後はすっかり椿珠さんを無視し、邑の中をぐるぐる歩き回って人数の把握に努める。


「なんだってんだ、いったいぜんたい」


 なんの説明もなく私たちが別のことで殺気立っているので、椿珠さんは怪訝な顔を浮かべた。


「後で詳しく話すから、とりあえず椿珠さんが邑に来た時点で、なにかおかしなことなかった? 人が争っていた痕跡とか、ものがなくなってたりとか」


 私の質問に、椿珠さんは首を傾けて答える。


「まだ工事も始まっちゃいないこんなところで、なにかもへったくれもないだろ。林の中で鹿と野良ヤギが喧嘩してるくらいだ」

「取り越し苦労、だったかな……?」


 この邑に魔人の手が伸びているという発想自体、私の被害妄想が根拠になっている。

 なにもないならマジでそれが最高だし、みんなハッピーで万々歳なのだけれど。

 軽螢のお仲間少年団の何人かが、私たちの会話に気楽な様子で混じって来る。


「なんにもないどころか、今は商人の兄ちゃんがお宝をたんまり抱えてっけどな」

「南の方でなにかあったんだろ? ごろつきどもがここを襲ったらひとたまりもねえや」

「やめろよそういうこと言うの。ただでさえこの邑はさぁ……」

「大丈夫だって、騒ぎは遠いところで起きてんだろ。こんな田舎まで来るヒマ人はいねえよ」


 話している彼らに私は質問する。


「一緒に来るはずだった、お目付け役の武官さんと宦官さんは?」


 工事にあたる少年たちと一緒に、この邑には国と州の兵士が数人、そして宦官の銀月(ぎんげつ)さんが来る段取りになっている。

 けれどその姿が見えないのだ。


「軽螢が着くまで、隣の邑で待ってるよ」

「酒でも飲んでるんだろ。そろそろ呼びに行かなきゃな」

「俺が行こうか? 馬があるならすぐだ」


 彼らの話によると、軽螢が帰り道に羽目を外してみなさんを待たせたこと以外、トラブルはないようだ。

 ひとまず心配事はないかな?

 と思っていた矢先、荷車の番をしていた男性の一人が私のところへ近付き、言った。


「お前たちが来た方の道から、なにか迫る音がするぞ。おかしな連中を連れてきやがったな」


 そう忠告してくれたその人。

 よく見るとシャチ姐の身辺を警護していた、黒ずくめの凄腕剣客用心棒さんだった。


「お久しぶり、でもないか。今は椿珠さんの護衛をしてくれてるんですね。って、おかしなやつが!?」

「あの元気なサル娘を呼び戻せ。戦えないガキどもは邑の真ん中にある堂に隠れさせろ。ったく、給金以上の仕事をさせやがって……」


 私にそう告げると用心棒さんは腰の刀を抜き、邑に一つしかない入口に走った。

 あの人も翔霏と同じくらい、勘が鋭く耳が良いのだ。

 彼がそこまで危機を感じ、動き出したということは。


「翔霏ーーーー! 戻って来てーーーーーーー! なんか悪いやつらが私たちの後をつけて来たみたいーーーーーーーーーーーッ!!」

 

 得意の大声で救難要請を叫ぶ。

 ひょっとして、関所の近くでぶちのめしたゴロツキどもの仲間だろうか?

 次第に私の耳にも多数の馬の足音と、男たちの声が届く。


「本当だろうな、こんな田舎に儲け話があるってのはよ!?」

「心配すんなって! ほれ見ろよ、あのデカい荷馬車を!」


 姿を現した、由来不明のならずものたち。

 彼らが身に纏う毛皮中心の服装や、手に持つ鋼鉄製の武器を見て、椿珠さんが呻く。


「……北方、戌族(じゅつぞく)の連中だ」


 一年半前の悲劇が一瞬で頭に浮かぶ。

 私は脳の内部と視界全てが、真紅に染まるのを感じた。

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