第7話 僕ら人の子




         ***




「それで今日はね、びしょびしょのまま家に帰っちゃって、怒られちゃった」


「傘持ってたなら、ちゃんとさせば良かったのに」


「さっきも言ったでしょ。雨に打たれたかったの」


「ハルは相変わらずかわってるね」と言うと、ハルはいつもと同じようにコロコロと笑う。それにつられて僕もはにかみ、同時にこうして毎日通話できていることにあらためて、嬉しさを覚える。


 僕らはこんなふうに毎日その日に起きたことやしたことを共有しては、互いに感想を言ったり、他の話に繋げたりしていたが、そうして話して、ハルを知っていくうちに彼女が独特の感性や気まぐれさを持っていることに気づいた。決して僕がまともであるとは言えないが、ハルはたぶん僕より――僕がこの短い人生で出会った人の中で1番変わっている。それでもハルに対する愛くるしさが消えるわけではないが。


 ハルが話題を出すとき、そこには天気と電車と、季節が必ずあった。セミがいつもより変な鳴き声をしていたとか、電車にいつも乗っているおじいさんが最近いないだとか、ゲリラ豪雨にあいたくて濃い雲を追いかけたが追いつけなかっただとか。話すことの3分の1には必ず、僕が考えもしなかった考えを持って行動していた。なにか別の角度から世界を見ているような……不思議と感心してしまうものの見かた。しかしその中に友達は、いなかった。それをまた疑問に思っていたが、しばらくしてその疑問は突然、解決することになった。


 あるとき、僕が部活帰りにコンビニで友達とアイスを食べたことや、そのあとカラオケに行ったことを話すと、少し躊躇うような唸り声とともに「笑わないでほしいんだけど」と前置きをして、ぼそりと呟いた。




「わたし、友達ができなくて」




 そう言われたとき、僕は一瞬固まってしまった。なんと言って良いかわからず唾だけを呑み込んだのはこのときが初めてだった。僕にはそういう経験がなかったし、なにより彼女は変わってはいるが、人に好かれるだろう性格とものの見かただったから、話題に出てはこなくとも親しい友人がいるものだと思っていた。


「もちろん、トモくんは友達だよ。大切な友達」と言って笑うハルはどこか寂しげで。そのことが僕の心をキュッと締め付けた。きっとこの時からだ――ハルの側に寄り添いたいと思ったのは。それから彼女に友達がいない理由を聞かされた。それがまたどうしようもなく、僕が彼女に会いたいと思わせた。


 小さいころから持病があって、なかなか学校に行けなかったこと。それは中学に上がってからも同じようで、勉強こそそれなりにやっていたが、やはり持病のせいで学校に行けず、友達を作るきっかけをなくしてしまったようで、気づいたときにはもうグループが出来上がっていたこと。そこに彼女は、自身が根暗で内向的であることを付け足し、自虐的に笑う。その笑い声はいつものコロコロと笑う音ではなく、酷くどんよりとした、くぐもった笑い声だった。


「だからね、こうしてトモくんと繋がれて、本当に嬉しいの。……ありがとう」


 その言葉が、今まで目にしたり触れたりしてきたものの中で、1番きめ細やかで、そっと触れても壊れてしまいそうなガラス細工のように脆く、そして美しいもののように感じた。似た動機をもって電話をしていた僕とは比べようもない、極めて純粋で清潔な……そのことが嬉しくもあったし、同時に自分へ悔しさをもった。――こんなにも尊い彼女の、きっと大切な存在が、本当に僕で良いのだろうかと――。


 そんな会話があってから、僕にとってハルは大切な通話仲間という単純な存在を通り越して、今にも溶けてしまいそうな純白の、不純物など無き雪のように感じるようになった。そしてそんな彼女に見合うようになりたい、彼女を世界のあらゆる理不尽から守ってあげたいと、本能的に思うようになった。




         ***




 そうして雪を見て触れて、ハルのことを思い出しているうちに、時計を見れば22時。あと10分もすれば蟹田行きの津軽線電車が到着するころであった。ホームの外では先ほどよりも強くなった風と、空中をゆっくりと切り裂いて飛ぶ雪が感じられる。静岡県の気候に慣れた僕にとって、青森の先端北緯41度の気候は厳しいものがあった。肌を刺すような冷たい風に空気感の違う、まるで異国の雰囲気。でも今は、そんな困難と呼べるものも、1つの目的を前に困難ではなくなっていた。


 ――この線路の先、瀬辺地駅の小さな駅舎の中に彼女が待っている――電話が出来ずとも、それが分かる。着いたらすぐに謝ろう。きっと彼女はコロコロと笑って許してくれる。ハルは……どんな服を着ているのだろう、どんな座り方?どんな匂い?手はきっと小さな膝にスッと揃えられて、添えられているだろう。彼女は僕を見たとき、どんな顔をするのだろうか……。そして僕は現実のハルを見たとき、何を感じるのだろうか?


 あとにも先にも、あれほど心が穏やかでありながら脈拍を打つ音がうるさかったことはないだろう。しかしこの後、僕は自身の運の無さと、それにつけ込む世界の理不尽さを呪うこととなった。

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