第6話 帳尻

 ……僕はいま、スマホをポケットに突っ込み、降り出した雨の匂いに嫌気を……いや、そんなことはどうでもいい。ただホームのベンチに座ってに対して両手を結んで祈るばかりであった。というより動き出せない僕自身に対しての無力さと、ハルに対する申し訳なさがふつふつと湧き上がる。ホームにいる人々もせわしなく動いていたり、電話をしていたり――そうだ。


「電話しなきゃ……」


 スマホを取り出し、キーパッドでいつもの番号を入力し、電話をかける。


 …………


 ………


 ……


『おかけになった電話番号は――』




「どうして」


 そんな言葉が情けなくも口から出る。何故か繋がらない電話に、動かない新幹線。そして何もできずに動けない僕。それを見ている世界がどうしようもなく憎くなったが、それはすぐに消え去って。残ったのはやるせなさだけであった。




         ***




 2時間ほど前――東京駅で降りた僕は一度改札を出て、きっぷ売り場へと向かった。想像以上の人、人、ひと。静岡駅もある程度の駅だと思っていたが、全く比較にならない人の波。僕は歩きながら何度も人とぶつかり、その度に「すいません」と謝った。ぶつかった人は1秒程で人混みの中に消えていくし、そこからさらに人は出てくるし、本当に大変だった。そしてなにより、人々の出す音がワー……という擬音にしがたい音を立て、波となり、僕の心の中を踏み漁るようにどんよりと蔓延っていたのが、苦痛だった。


 無事に乗車券と特急券を取り終えた僕は改札の向こうにある新幹線ホームを目指した。この時も人混みに辟易したが、あの一瞬が経験となってフィードバックされたのか、先ほどよりも疲れはしなかった。そうして雑踏と人の気配に満ちた駅内を歩き切り、幾分か落ち着けるホームまでたどり着いた。そうしてフーッと大きなため息を吐いて安堵し、ホーム内にある電光掲示板を見たとき――脳に困惑が満ちた。




「接触、事故……?遅延……??」




 右肩からずり落ちたリュックサックの背負い紐を背負い直す。スマホで情報アプリを開いてみれば、東北新幹線の線路内で接触事故があったようだった。その影響で遅延、または運休になる可能性が――ここまで読んで、慌ててアプリを閉じ、スマホのデジタル時計を見る。16時ちょうど。


 もう一度アプリを開く。接触事故の影響で遅れるとすれば何分――いや、何時間だ?その問いは検索の1番上に出てきた記事によって、現実となって襲いかかった。――5時間……。実際はどの程度なのかはわからないようだが、新幹線での接触事故は最低でも1時間以上かかるのが一般的なようだった。その最も正解に近い答えが、僕に鈍包丁でブスリと腹を刺した。


 ふらふらとベンチに座り、スマホをポケットにしまう。……もしこれで、会いに行けなくなってしまったら。もしこれで、ハルが失望したら――いや、ダメだ。この考えはしまおう。とにかく今は待つことしかできない。


繰り返される同じ案内放送。ざわざわと動き、話す人々。そして、そこに置かれた僕。何もすることなく、ただ苦痛で長い時間を待ち続けた……。




         ***




 ハルへの電話が繋がらなかった、数十分後――。僕は新幹線の中にいた。接触事故で遅れていた新幹線がようやく発車し、今に至る。窓際に座って景色を眺めているが、その景色は脳に届いていない。本来ならばここから夕陽を眺めるはずが、今は一寸先に闇が広がるばかりである。読みかけていたはずの本を読む気にもならず、スマホで何かを調べる気も湧かなかった。ただ1秒でも早く、目的の駅――ハルのもとへ行くことだけが、思考を占めた。


 変な汗が背中に滲み始めたころ、ようやく新青森駅の近くまでやってきた。デジタル時計を見ればすでに22時前。本来ならば21時前にはハルの最寄り駅に着いて、会っているはずだったのだ。そうして今ごろ、互いに話しているころだったのだ。接触事故は仕方のないもの、予見しようのないものと分かってはいるが、事実こうしてハルを待たせていることに、酷く心を痛めた。


「お願いだ……早くしてくれ」


 そんな言葉が、口から漏れる。




         ***




 新青森駅から青森駅への移動はすぐに済み、東京駅で見て聞いた人々の波は、あれは幻想だったのではないか、という疑問が脳内であがるほど空いた駅の構内を、息を切らしながら走って、津軽線のホームへと辿り着く。肩を上下させていると、鼻がムズムズしだし「くしゅん!」とくしゃみが出た。少しだけ、自分が情けなく感じた。……するとどうも、自分の息が白くなっていることに気づいた。ホームから見える夜を見れば――雪だった。心の痛みはスーッと雪で冷やされたかのように引いていき、雪は僕の心を惹いた。静岡県ではほとんど降らないのだから、それはもう呆然とした。


 点字ブロックの外に出て、片手を伸ばす。ひんやりとした白い粒が手のひらに。やがてしおり、と溶けていく。それがなんだか切なくて、忘れてしまいそうで。


「まるで、ハルだ」


 突発的に出た言葉に驚きながらも、彼女が前に言っていたことを、思い出した――。

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